ANIRON

ひとりごと日記

2023.02.05 進路を考える

仕事が忙しく、なかなかブログを書くゆとりがなかったのと、持病による視線恐怖症の症状が強く出たり、Twitterの凍結は免れたものの、どうしても今後のことを考えざるを得ず、消耗してしまい、ブログに一時的に鍵をかけたりした。

今後も鍵をかけるタイミングがあるかもしれないけれど、「調子が悪いんだなぁ」とそっとしておいてくださるとありがたいです。

そうしてTwitterでの宣伝などを打ち切って、ほとんどTLを見なくなったので、ふたたびここを本格的に動かしていこうかと考えている。

優先順位としては、仕事>家事>ブログ・創作という位置づけに変えざるを得ない。

独身の頃は小説のことだけを考えていれば良かったけれど、世の中が不安定な状況ということもあり、またTwitterの凋落によってネットでの副業のプラットフォームが揺らいでしまったことはやはり大きい。

創作だけで食べていける世の中でもないし、ネットのビジネスモデルも変わったと判断せざるを得ない。ようやく得た仕事をきちんとこなすことにまずは集中して足元を固めていきたい。そうした話を主人とも交わして、主人も「仕事は大事だからね」と語ってくれた。

そういうわけで、ここでの更新は時には間が空くことになるかもしれない。

今日は久々に句集を読みたくなり、かねてから買って積んでいた、小津夜景『花と夜盗』と、高橋睦郎『花行』を読んだ。

花と夜盗

花と夜盗

Amazon

いずれもページをめくるたびに感嘆してしまい、ここ二年ほどはすっかり俳句から遠ざかっていたけれど、再び詠んでみたいという気持ちが湧き起こってきた。

とはいえ、私の俳句はどうにも藤原月彦の影響が大きすぎて、なかなかそこから脱することができないのだけれど。

短歌よりも俳句の方が好きな時期が長かったなと今にして思う。

俳句を詠んでいた時期は、季語の魅力にずいぶんと惹きつけられて、日々の彩りを感じていたし、短歌を詠むようになってからも、季語を取り入れたいと願ってきた。

愛猫・冴ゆの名も、俳句歳時記から探して命名したほど、私は季語に対して愛着を感じている。

ただその試みが上手くいったとは云えないし、短歌に関しては私などよりもよほど上手い人を間近で見てきているので、今さら戻ったところで、形になるかどうかわからないのだけれど。

ただ、短歌を中途半端に投げ出してしまったという後悔は未だにあって、まだ試したいことを果たさないまま離れてしまうと、後々まで悔やむことになるのは目に見えている。

もう一度腰を据えて短歌を作るなり、俳句を詠むなり、短詩型の文芸と向き合ってみたら、また違う可能性も見えてくるかもしれない。

今の私は自分自身の実力に対して、かなり否定的な見方をしてしまっているけれど、それでも人と比べて落ち込んでばかりもいられない。

詩を極めたい、依頼された小説も書かねばならないという状況の中なので、どこまで可能なのかはわからないけれど、今年中とは云わず、もう数年かけて、長いスパンで向き合ってみるのもいいのかもしれない。

 

追記

主人と飲みの席で小津夜景の話をしところ、短歌読書会のお相手のまさやまさんを交えて三人で読書会をしてもいいかもねという話になった。

実現するかどうかはわからないが、まさやまさんと再び読書会をしたいという気持ちはシェアしていたため、夜が開けてひと段落したらご連絡を差し上げるつもりでいる。

2023.02.01 #2 ことばをひらく

ブックライティングの仕事で言葉を開く作業を繰り返していたこともあり、「詩も言葉を開いてひらがな混じりにしてみたらどうなるのだろう」と思い、ここ数日試している。

ただ、元々私の詩形は改行なしで書くスタイルで、漢字がぎゅっと濃縮されていくさまが美しいと思っていたので、ひらがなはあまり意識して使ってこなかった。

谷崎潤一郎石川淳など、ひらがな混じりの文体を作っていくのは、それ相応の技量とコツが必要で、素人が安易に真似をしようとすると、どうしても鼻白みたくなる文体になる。

それが嫌で避けてきたのだけれど、ルビを振るのも面倒だし、ひらがなにしてみるかと思って、いろんな箇所を直していると、詩というものはやはりリズムでできているということをまざまざと思い知る。

筋に沿って食材の肉を切るように、言葉にも筋や流れがあって、それに沿ってひらがなに直す。その見極めはまだまだ私にはできているとは云いがたいのかもしれないが、一箇所をひらがなにすると、全体的な配置を見直さなくては、どうしても不自然な形になる。

思い起こせば、同人をメインで活動していた頃に、ひらがなの開き方が美しい人がいて、ずいぶんと憧れたものだった。表現というものについて考えるとき、私の基軸となっているのは、谷崎潤一郎泉鏡花といった文豪の他に、その人や、音楽の表現のあり方について熱心に指導してくださった、吹奏楽部の恩師のことを思い出す。

そうした人々の文筆や、あるいは恩師の言葉を礎に、今、私は言葉を扱って詩を書き、あるいは小説をこれからふたたび書こうとしているのだということを忘れずにいたいと思う。

詩はファイティングポーズを取らねば書けないものだと昨年中は考えていたけれど、ファイティングポーズの取り方にもさまざまあって、ひらがなを用いるということは、柔術に近いのかもしれない。もっとも私は柔術古武術には詳しくないので、力を抜いて相手を倒すという姿勢という大雑把な認識でしか捉えられていないのだけれど。

ただ、そうして構えの取り方にもさまざまな志向性があるなということをここ数日感じている。その今の構えがどこまで通用するものなのかはまだわからない。自分のものとして使いこなすには至っていないので、しばらくの間は投稿などはせずに、習作を積み重ねることになるかもしれない。

試しにこの一ヶ月、納得いくまで詩におけるひらがなと向き合ってみたい。それでまた思うように結果が出せなければ、新たな方向をさらに模索するつもりだ。

 

ポケモンSVに登場するエリア・ゼロオマージュの折本散文詩集を頒布しています。

booth.pm

ポケモンSV(スカーレット・バイオレット)に登場する、エリア・ゼロへのオマージュを込めた四篇の連作散文詩集です。

作中に登場する人物は、主人公でもなく、また他の登場キャラクターでもありませんが、「こういう人たちもかつてエリア・ゼロを訪れていたかもしれない」という別の世界線の詩と捉えていただければと思います。

この連作に登場する「翼あるもの」はいずれもウルガモスを指しますが、あくまでも二次創作というよりも、オマージュという色合いが強いので、その点ご了承ください。

この詩集には以下の四篇を収めています。

翼あるものたちへ

異形のものたちの交響詩に刻まれた名を

はじまりのうみの果てで

命あるものの起源としての風へと

2023.02.01 ポケモンSVオマージュ散文詩集にご感想をいただきました

月経困難症の症状が重いのと、諸々あって疲弊しているのだけれど、夕方に歌会をしたり、短歌読書会をしたりしていたまさやまさんから、折本詩集のご感想をいただいた。

star-bellflower.booth.pm

ポケモンSV(スカーレット・バイオレット)に登場する、エリア・ゼロへのオマージュを込めた四篇の連作散文詩集です。

作中に登場する人物は、主人公でもなく、また他の登場キャラクターでもありませんが、「こういう人たちもかつてエリア・ゼロを訪れていたかもしれない」という別の世界線の詩と捉えていただければと思います。

この連作に登場する「翼あるもの」はいずれもウルガモスを指しますが、あくまでも二次創作というよりも、オマージュという色合いが強いので、その点ご了承ください。 この詩集には以下の四篇を収めています。

翼あるものたちへ

異形のものたちの交響詩に刻まれた名を

はじまりのうみの果てで

命あるものの起源としての風へと

まさやまさんからのメッセージは伏せさせていただくけれども、やはり大学で国文学を専攻していた彼女の読みは深く、そして鋭くて、読み手としてかねてから尊敬していたとはいえ、さらに感服してしまった。

私自身がこの詩集に託したかったイメージを、そのままの形で受け取ってくださり、そのことに深く感謝したい。

もちろん作品というものは、基本的に著者の手を離れて、読者に渡るものだから、その時点で自分の解釈を持ち出すことは不埒なことだとは思うのだけれど、それでも意図したところが伝わったというたしかな手応えを得ることができた。

ここのところココア共和国に投稿した作品が度々落選してきたこともあり、詩に対してどこか真っ直ぐになりきれない思いを抱えていたのだけれど、それでも私には詩を書くことだけが唯一無二の役目だと思っているし、それは小説では決して代替不能なものでもあるので、今後とも引き続き詩作に励もうという思いを新たにしたのだった。

ただ、これらの詩が自立しうるかという問題について、やはり考えざるを得ず、一度はココア共和国なり、別の場所なりに投稿しようかとも思ったのだが、断念することにした。

まさやまさんはポケモンSVはプレイしておられないで読んでくださったとのことだけれども、そこに甘えてもいられない。詩として厳然として自立していなければ、それは詩ではないし、その見極めは他者に委ねるべきものではない。

今後とも詩を書いていく上で、さまざまな問題に突き当たることになるのだと思うし、私自身、現に今詩で思うように成果を出せないという問題に直面している。

このままでは終われないと思う一方で、猪突猛進に詩を書くことから、一度立ち止まって、インプット量を確保した上で、さらに詩について考えを深め、それをアウトプットにつなげていくことがどうしても必要だとも思う。

そのために、先日はkindleセールで詩歌では以下の二冊を買ったのだったが、ひたむきに読んでいかねばならない。

厳しく自己を律さなければ、次へは進んでいけないのだと改めて思う。名声を得るためだけに詩人になりたいのではないし、詩を書くことに命を費やしたいから詩人になりたいのだと今は強く思っている。

2023.01.31 ブックライティングの仕事を終えて&これからのこと

昨日、商業出版のブックライティングの最後の案件が無事に納品できて、ようやくこの一ヶ月に及ぶ仕事が終わった。

原稿は全部で5本、合計2万字で、字数としては大したことのない数字なのだけれど、趣味でブログを書くこととは異なり、重大な責任を伴うので、どうしてもプレッシャーがその分かかる。

この間はできるだけ規則正しく生活することを心がけたし、睡眠時間を確保して、拒食気味ながらもほとんど無理矢理食事を摂り、〆切は全て前倒しで仕事を終わらせて守ることができた。

文章を書くこと自体は全く苦にならないし、そのスキルは先の仕事である『2023-2024年版 ユーキャンの保育ダイアリー』のライティングを通じて先方にも認めていただいているので、課題はとにかく体調管理の一点に尽きた。

リテイクを重ねながらも、こうして無事に仕事を終えられたのも、ひとえに対応してくださった取引先の方のおかげと感謝している。

今回いただいた案件の本のクレジットには嘉村詩穂の名前を入れていただくことになった。

少しずつこの名義での経歴が厚みを増していくことが、今は何よりも嬉しい。

今後また案件をいただけるかどうかは、今回の仕事の評価次第ではあるが、またいただけるようにという一心で仕事に励んだつもりだ。

そうして仕事のことを生活の中心に据える日々がようやくひと段落ついたけれど、次は小説のご依頼に応じなければならない。調べものをするための資料を揃えて、プロットを立てるところからのスタートとなる。

これまで詩歌に専念していたこともあり、しばらく小説から離れていたこともあって、ふたたび小説と向き合うことは容易ではないだろうけれど、それでも離れている間、ずいぶんと様々な形で「物語」に触れてきたし、その過程でプロットを構造的に作っていく重要性も噛み締めた。なんとかそれを活かせればと思う。

今年は注文に応じて文章を書く一年となりそうなので、その分、体調を崩しすぎないように気を配らなければならない。そのノウハウは仕事を通じて獲得できたので、あとは今後とも徹底して守りたい。

ノンフィクションからフィクションへと、執筆のモードを切り替えるためにも、小説はもっと積極的に読んでいきたいし、そのためにも先日は小説10冊、資料10冊、計20冊の本を買った。

aniron.hatenablog.com

中でも「これは直接的に影響しそうだ」という作家に関しては、集中的に読んでいきたいと思っているし、それを見越して選んでもいるので、しっかり読み込みたい。

小説を書く喜びも、その苦しみも、一昨年前は嫌というほど思い知った。その困難を乗り切れるかどうか、まだわからないけれど、せっかく与えていただいた機会だから、それに応えられるように励んでいきたい。

2023.01.27-28 講談社学術文庫・講談社文芸文庫のセールで買った本

はじめに

Kindle講談社学術文庫講談社文芸文庫のセールがあったので、以下の本を買った。

 

講談社学術文庫

元々大学で記紀神話を専攻していて、民俗学もかじっていたので、基礎的なベースがあって購入することにした。

他に、仏教関連の本なども気になったのだけれど、小説のご依頼をくださった先方から、ホラー小説か、時代ファンタジー小説を書いてほしいとの旨を伝えられており、その資料としては、仏教も重要ではあれど、民俗学の方がより書きやすいのではないかと思ったのだった。

資料は集めなくてはと思いつつ、なかなか集められずにいたので、いい機会になった。

今年は年初からブックライティングの仕事があり、それもようやくひと段落つこうとしている。

今後ともどの程度受注できるかはわからないが、それと並行して、小説の準備も進めていかなければならない。

資料は量が必要になってくるので、この機会にある程度揃えられたことは良かったと評価したい。

 

講談社文芸文庫

元々竹西寛子式子内親王・永福門院』はかねてから買おうと思っていたものの、タイミングを逃していたので、今回はまたとないタイミングとなった。

また萩原朔太郎の詩論や、中原中也の訳詩は、詩を志す人間としては読んでおくべきだろうということで買うことにした。

萩原朔太郎に関しては、昨年出た『詩人はすべて宿命である』も買って読まなければならないのだが、こちらはまだ手元に迎えられずにいる。

ひと頃は図書館に通って萩原朔太郎全集を手に取り、随分と随筆などを読んだり、調べ物をしたりしていたので、その糧が生かされればと思う。

小説では『紫苑物語』を読んですっかり引き込まれた石川淳や、元々大好きな倉橋由美子、それから一昨年ほど前に『影に対して』を読んで心を揺さぶられた遠藤周作の作品を購入した。

このうち石川淳『影 裸婦変相 喜寿童女』については、時代物の「喜寿童女」と「怪異石仏供養」を読んだのだが、いずれも稗史偽史という体裁を取った奇談となっており、現在FGOをプレイしている身にはたまらない内容だった。

今後とも今回買った本で、どんどん読めるものを読んでいきたい。

2023.01.28 ポケモンSV二次創作散文詩集の先行配信をスタートしました

仕事の終わりが見えてきたものの、今度は強い疲労感に見舞われて、ほとんど何もできない一日だった。

仕事で余裕がなかったので、なかなか連絡を取れずにいた友人たちにLINEを送り、少しばかりやりとりをして、Twitterでもフォロワーさんとお話しさせていただいた。

そうしているうちに、ポケモンSMの御三家として選んで、いまだに大好きなアシレーヌのグッズを買ったことを思い出し、なかなかウィークデイには余裕がなくて開封できていなかったのを、ようやく開封して飾ることにした。

そうしているうちに、ポケモンSMをベースに散文詩集を編んだことを思い出して、折本とデータ配信を行なっていたことを思い出し、さらに先週末にポケモンSVに登場するエリア・ゼロをオマージュした連作散文詩四篇を書いたことを今更ながら思い起こした。

star-bellflower.booth.pm

note.com

おまえは海の底から産まれ出て、やがて痛みをなぐさめるためにこの地上に遣わされた使者なのだ。──「この痛苦を慰撫するものとして」
ポケットモンスター サン・ムーンに登場する、アシレーヌウツロイドへの憧憬から生まれた散文詩4編を収めた詩集です。

-収録作品-
この痛苦を慰撫するものとして(アシレーヌ
無謬の抱擁(ウツロイド
原初の海へと還るまで(ウツロイド
虚ろな夢の名残り(ウツロイド
ポケモン好きな方はもちろん、水無月となり、海を感じたい方にもおすすめの詩集です。

重い腰を上げて、誤字脱字などをチェックしたのち、noteで先行配信することにした。

note.com

ポケモンSV(スカーレット・バイオレット)に登場する、エリア・ゼロへのオマージュを込めた四篇の連作散文詩集です。

作中に登場する人物は、主人公でもなく、また他の登場キャラクターでもありませんが、「こういう人たちもかつてエリア・ゼロを訪れていたかもしれない」という別の世界線の詩と捉えていただければと思います。
この連作に登場する「翼あるもの」はいずれもウルガモスを指しますが、あくまでも二次創作というよりも、オマージュという色合いが強いので、その点ご了承ください。

この詩集には以下の四篇を収めています。
翼あるものたちへ
異形のものたちの交響詩に刻まれた名を
はじまりのうみの果てで
命あるものの起源としての風へと

折本も近いうちに作れればと思っている。

ここのところなかなか余力がなくて詩を書けずじまいになっているけれど、日々フォロワーさんからは刺激をいただいているし、私も頑張らなくてはなと思う。

仕事がひと段落したら、今度は小説と真正面から切り結ばなければならないので、詩は書きたいと思った時を大切にしながら、じっくりと書いていきたい。

ココア共和国への投稿はまだまだ続けたいと考えているけれど、今年はペースを幾分落とすことになるかもしれない。

まだまだお仕事をいただく機会があるかもしれないので、機会を窺いながら、なんとか創作と向き合っていければと思う。

 

2023.01.24 現代詩手帖を通じて詩作の方向性を考える

今日は比較的仕事へのモチベーションも高く、仕事も捗った。

終業後、こちらの漫画がTLに流れてきて、すぐにこたつに場所を移した。

ルピシアのキャラメレと、主人にプレゼントしてもらったチョコクランチをいただいて、ほっとひと息ついて、本棚を目にして焦りが募ってきた。

随分と詩歌を積んでしまっていて、一昨年、昨年と読んできたものの、今年はまだなかなか読めていない。

ココア共和国に二度連続で落選してしまったこともあり、詩論に触れたいと思って、現代詩手帖を手に取ることにした。

すべて目を通した訳ではないのだけれど、特に高橋睦朗の詩と、小笠原鳥類・平川綾真智の対談「危機のなかで、過激に壊れる」が印象深かった。

高橋睦朗の詩は以前にも現代詩手帖で触れて、「なんてかっこいい詩を書く人なんだろう」と強烈なインパクトを受けたのを覚えている。彼の詩集や歌集、句集も買って積んでいるので、やはり読まなくてはならない。

それから対談については次の箇所が目に留まった。

最近の詩集をいくつか挙げると、紫衣さんの『旋律になる前 の』はとても自分というものが壊れそうな切実な危機を感じさせるし、(…)蜆シモーヌさんの『なんかでてるととてもでてる』はひらがなが多い白いドロドロの言語が展開されて人間の身体の危機そのものですね。

紫衣さんは現代詩手帖賞を受賞した際に、現代詩手帖で作品を読んでファンになり、詩集も買って通読した。Twitterで相互フォロワーをさせていただいているのは、身にあまる光栄だと感じている。

ただ、私の読みはそこまで至っていないと今回のくだりを読んで感じたし、まだまだ読みを深めていかなければならないのと思った。

シモーヌさんの詩集はかねてから買わねばと思っていたうちに第二詩集が出て、できれば両方とも早い段階で確保したい。

ただ、ここで云いたいのは「危機」という表現であって、私は詩作を通じて、自分なりに自己というものが直面している危機について対峙し、それを詩にしてきたつもりだけれども、その方向性について、ここのところ思い悩むことが多かったなと感じる。

自己のバランスが崩れたり、困難に直面したりする危機に際して、私はもはや詩というものに拠ってしか言葉を発することができない夜明けを何度も経験し、その拙い詩を主人に送りつけて迷惑がられたりもしたのだけれど、そうしたヒリつくような体験から目を背けようとしている自分に対して、強い違和感を覚える。

自己というものを許容するに至れない、葛藤やわだかまりになんとか踏みとどまらなければならないという状態はつらいものではあるけれど、去年一年間はそうした内面の底知れない闇を抱えて、夜の底を歩くようにして生きていたから、なんとか詩も切実さを帯びていたのだろうと思う。

今の私は、その切実さをどれほど担保できているだろうかと自問するとき、なんとも答えに窮してしまう。詩作を通じて社会から逸脱していくことは、私にとって必要なのだということを以前書いたけれど、その逸脱という行為にもう少しきちんと目を向けて、それをどのように表現すべきか考えた方がいいのかもしれない。

行為そのものについて深いまなざしで捉え、その思想性について考えを深めることは決して無意味ではないと思うし、新たな詩作の局面を迎えているのだと思って、今後とも詩を書いていきたい。