ANIRON

ひとりごと日記

2021.10.28 美しく飛べない鳥

想像上の自殺未遂をした。

この実家のマンションとはどうにも相性が悪いらしい。12年ぶり2度目だ。

といっても今回は実行に移したわけではなく、実際に行動に移すシミュレーションをしてしまったというだけなのだけれど、ベッドから一歩足を踏み出せば12階の高さから転落することになって死ねるので、一応未遂ということにしておく。

ここのところPTSDが再燃していて極度の人間不信に陥る出来事が重なり、精神的に追い詰められていた。

医師には何度か連絡をしているのだけれど、相談できる人も他になく、手を差し伸べてくれる人も、話を聞いてくれる人もいない。

よほど電話相談をしようかと思ったのだけれど、ただでさえ参っている時に一から経緯を説明するのが億劫で検索するだけにとどめて、そこから急激に自殺衝動に駆られてしまった。

ひとまず起きたら病院に連絡したいけども、あいにくと今日は主治医の出勤日ではないので明日に持ち越すことになる。

たまりかねて遺書代わりとして詩を書いた。

別途遺書めいたものも書いたけれど、恨みつらみに終始してしまい、詩の方がまだいくらか読める内容だったので載せておく。

こんな時でも詩は書けるのだなと思うとなんだか無性にやるせない思いに駆られるけれど、他に公開する宛もないのでここに載せることにする。


美しく飛べない鳥

美しく飛べたらいいのに、ついぞ空は夜明けを迎えないまま暗渠のように黒い口を開けて、その底に眠るものたちも年老いてやつれたまま、一年が過ぎ、二年が経ち、やがて十二年の時が去って、いや増してゆくばかりの憤怒だけを母胎に孕んで生まれてくる子どもたちに名前はなく、洗礼を授ける教会は地の果てに光を受けてそびえるばかりで、その輝きはついに届かない。明滅する映像を、大音量で耳を痛めつける轟音で打ち消して、あるいは遠い港に打ち寄せる波の音でかき消そうとしても、無言の哄笑は止むところを知らない。ニュースキャスターが作り笑いをしているうちに、私もまた仮面のように張りついた笑みを浮かべていることに気づくが、その下に眠る子どもの慟哭の声は無音となって鳥にはなれない。

2021.10.26 ふたたび電話受診しました

二日連続で心因性てんかん発作が強くでて、なかなか薬が効かないので、病院に連絡をしたところ、17時半以降にしか主治医が診察できないと告げられた。

仕方がないのでそれまで待っていようと思ったのだけれど、到底起きていられないほど体調が悪く、やむなく横になったり、レキサルティを飲んだりしても、病状が一向に改善しない。

無為のまま時間が過ぎて、さらに緊張感が高まり、弱い発作が断続的に出たり、過呼吸が出たりして、滅入っているうちに17時半になり、電話をしたところすぐに主治医が対応してくれた。

どうやら母がパートの仕事に行きはじめて、毎日苛立ったり父と喧嘩をしたりしていることに原因があるらしい。

シクレストを眠る前に20mg飲んでいるのだけれど、そのうち10mgを母が帰ってくる前の夕方ごろに飲むように指導され、さらに二分間は口の中に留めておくようにと云われた。

一分だと70%、二分だと80%、十分で100%の効果が出るらしい。

私はこれまで一分は留めておくようにと云われていたので、その程度しか口の中に入れていなかったのだけれど、そういうことならばもっと早くに云ってくれればよかったのに……と思ってしまう。

いずれにせよ原因が仕事による母の苛立ちに集約されていることはわかったので、せいぜいあと4日耐えねばならない。

この調子だと医師に帰京を促してもらえるのではないかという期待もあったし、主人には帰っておいでと云われているけれど、どのみちこのように病状が落ち着かない最中で帰京することは主人にも負担をかけてしまう。

どこにも私の居場所などないし、心安らぐ場所などないのだという思いは日増しに強くなる一方だ。

 

そうした恨み節ばかり書いてもしょうがないので、東京に戻ったら、PC/PD診断を受けようと思っている。

妹にも打診したのだけれど、興味がないとのことなので、ひとりで受けに行くことになりそうだ。

ここのところファッションも迷子状態がつづいているし、PCもブルベ夏なのか冬なのか、今ひとつはっきりしない。おそらくPCは1st夏2nd冬で、PDはエレガントかソフトエレガントだと思うのだけれど、プロ診断で確定させて、自分に似合うものを身に纏いたいという気持ちが高まりつつある。

体型はほぼウェーブで確定なので、今のところ診断はいいかなと思っている。

そうして少しでも自己肯定感を高めることをしないと、到底身がもたない。

ここのところマンションから飛ぶことばかりが頭を掠めていて、そのことは主治医にも話していないのだけれど、少しでも気持ちを上向かせる機会を自分で作っていきたい。

2021.10.25 家内安全第一

実家に帰省してちょうど20日が経ち、この間さまざまなことを考えていたのだけれど、一つだけ云えることは、療養のための帰省でありながらも、気が休まる暇がなかったということだ。

母がいる間は母の機嫌を取らなければならないし、いないならいないで、何か自分がしでかして母に叱り飛ばされるのではないかという不安がつきまとう。

この家にいると絶えず監視されているような恐怖感がついて離れない。

 

しかしそれは何も私に限った話ではないようで、父の様子を見ていると、父が料理をしながら冗談まじりに母に叱られることを恐れるそぶりを見せたり、両親が些末なことで大音量での喧嘩をした際には、父はいたく傷ついていた様子だった。しかしそれを母はいつものこととして見なし、父を労るような言葉はひとつもなかった。

要するに夫婦関係が歪な状態にあり、その影響をモロに私が被ってきたのだなと思う。

父は私にとって、たとえばエヴァンゲリオンのアスカがそうであったように、絶えず不在の存在だった。私にとって脅威となるのはただ母ひとりであり、父の存在は全く見えないまま育った。

しかし父もまた大いに傷ついてきたのだ。そしてその傷は今もなお新たなものとなっている。

思春期以来、私だけが母の被害者なのだと思ってきたのだけれど、父もまた被害者だったのだと、結婚した今はよくわかる。

せめてもう少し父を労る時間を設けなければという思いにもなるが、父は長年のそうした疲労が溜まってのことなのか、仕事上のストレスや、60代という年齢もあるせいか、どんどん気力を失っているように見える。

 

以前、主治医に母のことを相談したときに、母もまたそうした祖母に育てられたのだろうと云われた。

むろんそうした遺伝的な要素もあるにはあるのだろうが、それ以上に夫婦関係を歪な形でしか構築できなかったところに最大の問題があるのだとようやく分かった。

たとえどんなに豪勢な食事を共にし、あるいは良質な家具に囲まれた高層マンションの最上階に暮らしていても、夫婦仲が正常な状態ではないと、こんなにも恵まれない環境になってしまうのだなとつくづく思う。

 

私自身は主人とはほとんど喧嘩をすることはないし、主人との仲は良好で、ふたりとも決して経済的に恵まれているわけではないけれど、穏やかで静かな暮らしを営んでいる。

昔、母が喧嘩をした際に「静かに暮らしたい」と云っていたけれど、その暮らしはおそらく彼女が一生手に入れられないものなのだろう。彼女自身の手で静けさや穏やかな生活を破壊しつづけているのだから、どうすることもできない。

そうしたことを考えていて、ようやくこの両親にも同情すべき余地があったのだなと気づいた。母はともかくとして、父の苦労は並大抵のものではなかったはずだ。

そうして今は幾分か気持ちの整理がついたものの、それでも今日私が作った鍋に対して怒号が飛んで来るかもしれないし、あるいは買い物の値段を細かくチェックされて叱り飛ばされるかもしれない。現に鍋を煮込んでいる間、何度も心因性てんかん発作の発作が出た。

とにかくあと約二週間、なんとか耐え忍びたい。

2021.10.24. PTSD再燃の要因として考えうること

aniron.hatenablog.com

この記事を書いたあと、気が引けたのだけれど主人に連絡をして、ひとしきり話を聞いてもらった。

しかし眠ってみるとPTSD関連の悪夢を見たし、起きてからも絶不調でまともに動けず、主治医にかつて提案されていた行動療法を試すことにした。

とにかく外出したり家事をしたりして、体の外側からアプローチすることでしか、PTSDの症状は軽減できないと以前云われていたのだ。

父に付き添って買い物へ行き、食材を買ったのだけれど、仕事から帰宅した母がその内容に烈火のごとく怒って、東京の家では考えられないような大音量での騒動となった。

 

高校時代に診断不能精神疾患を発症し、それから12年メンタルを患ってきて、その原因がこの機能不全な家庭にあることはまず間違いないのだろうとようやく気づいた。

かつて担当してもらっていた医師からはACであることを否定されていたけれど、母が持病の偏頭痛で寝込んでいる時には肩を揉む担当だったし、帰省した今も変わらずに揉んでいる。

母はこちらの都合や体調などを鑑みずに、自分のことを最優先にして催促をするので、その度に付き合わねばならない。「私も今は調子が悪くて」と云うとあからさまに不機嫌になり、そればかりか大音声で叱り飛ばされる。

要するに私はACのうちナースに該当する典型的なACで、そうしてこの実家という環境が自分にとって安心できる場ではないという脳の認識から、PTSDが再燃したと考えるのが妥当なのだろうと思う。

毒親や親ガチャといった言葉は慎重に使わねばならないし、あるいは使うことが適切でないと思うこともあったけれども、帰省をしてみて、完全に実家が機能不全家庭だということが火をみるよりも明らかになった。

 

帰省をしてからなかなか本が読めないことも、結局のところ脳がこの環境を安全だと認識していないからであって、少なからず身の危険を感じながら本を読むことは、たとえどんなに優れた知性を持つ人間であったとしても難しいのではないかと思う。

だから今は本が読めなくても、これまでのように「環境を云い訳にしてはいけない」と自責の念を抱くことはやめておこうと思うに至った。

今は非常時で、自分の身の安全を確保できない状態にあると評価した方が妥当なのかもしれない。

 

主治医に療養のために帰省することを止められた段階で、やはり素直に聞いていれば良かったと思う。

ドクターストップとして重く受け止めるべきだという主人の主張がある一方で、結局その判断に至らなかったということは、私自身にも責任があったし、主人にも同等にあったのだと思う。帰省をためらっていた私の背中を押したのは主人でもあった。

主治医にしてみれば「云わんこっちゃない」ということだと思うけれど、ひとまず相談できるタイミングを見計らって話をして、PTSDの再燃という判断をいただければ、その時点で帰京することを視野に入れたい。

PTSDが再燃したとなると、最低でも一ヶ月は苦しい症状がつづくことになるので、せいぜい生き延びることだけを最優先にしなければならない。

この実家のマンションから飛び降り自殺未遂をしたことがあったのも、どうにもよろしくない影響をもたらしている気がするし、こうして書いてみるとよくもまあ帰省する気になったものだと思う。

主治医には「修道院に入るようなものですよ」と軽口を叩いて出立したのだけれど、実際には修道院のように心が清らかなシスターたちに囲まれるのではなく、機能不全で起きてから眠るまで騒音が鳴りつづける施設に放り込まれたのだった。

結局のところ自分で選んだことだ、自分で責任を取るしかないというのはもっともだけれど、私は最後の最後まで出発をためらい、何度も飛行機をキャンセルしようとしたので、その時の不安感をもっと大事にしていれば良かったのだと思う。

自分の不調をないがしろにして周囲の意見に流されてしまうことがこれまでに何度もあって、結局自分の首を絞める結果に至るのだが、まるで学習しないなとつくづく思う。

もう少し自分を大切にする術も身につけたい。

2021.10.23 #2 他者への祈り

義母さまに乳がんが見つかり、そのご快復を祈願して、出身地長崎の八坂神社と清水寺にお詣りしてきた。

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帰りに義母さまにお送りするための病気平癒の御守りと、私自身のお土産にと、美容に効果があるという櫻姫美人稲荷社の櫻姫守を拝領した。

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今日は病気平癒の御守りに添えるための手紙を書き、来週中にお送りしようと考えている。

詳しいことはこちらのブログに書いたので、重複は避ける。

snowrabbit21.hatenablog.jp

 

ただ、誰かが自分のために祈ってくれるということだけで、人は少なからず力を得ることができるのだと私は信じている。

たとえ私のために祈る人はいなくても、私は人のために祈りたい。

ふるさとのこと、両親のこと、そして祖父母のこと。

aniron.hatenablog.com

東京にいて絶えず故郷を思い、神棚に祈ってきた私にとって、人のために祈る時間は自分の心をも清めてくれている。

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そうした祈りのひとときが私の心を支えてくれているのは間違いない。

月経期間中はお詣りすることを避けているのだけれど、そうでない時には欠かさず毎日祈ってきた。

たとえ遠く離れていても、あるいは実母との関係がなかなかうまくいかないという現実があっても、祈りの力はその葛藤を超えて、私の心をやさしく癒してくれた。

他者のためへの祈りが、ひいては自分自身への祈りにつながることを、私は日々実感してきたのだった。

 

祈りの力は無力ではないということを教えてくれたのは、聖心女子大の鈴木秀子シスターの存在だった。

元々NHKの「明日も晴れ! 人生レシピ」という番組で取り上げられていたのをきっかけに、この『「聖なるあきらめ」が人を成熟させる』という本を手に取って読んだった。

シスターが絶望の淵にある人に「あなたのために祈ります」という言葉をかけたことで、その人は心を支えられたというエピソードが番組内で紹介されていて、いたく心に響いた。

元々私の家はカトリックではないのだけれど、高校大学とミッションスクールを出て、カトリックも自分のルーツの一つだと思っている。

カトリックの道を何度か選びそうになり、その度に周囲から反対されて、今は神道を奉じているけれど、いずれまたカトリックの道へと誘われることもあるのかもしれない。

ただ、今は故郷を想う気持ちが強まっているので、しばらくは神道一筋で生きようと思っているけれど、祈りというものは宗派を超えた価値を持つと改めて身に染みて感じる。

できれば帰省中に大浦天守堂も訪ねたいと思っているのだけれど、メンタル上の体調が著しく悪いので、叶うかどうか分からない。

aniron.hatenablog.com

それでも自分のルーツとしてのカトリックの価値は変わらずに輝きつづけるし、鈴木秀子シスターや、渡辺和子シスターの本を読んできたことを今一度見つめ直して、この困難な時を乗り越える心の支えとしたい。

evie-11.hatenablog.com

自分の力だけではどうしようもない、困難な時期を迎えて、きっとこの先も両親や義両親の健康にまつわる問題はついてくるから、そうした時に自分を静かに支えてくれるものは大事にしたい。

たとえ宗派が違ったとしても、祈りの本質はおそらく一つなのだと思っている。

この祈りの街長崎から祈ること。東京からこの地に向けて祈ること。

双方を行うことで、地理的に遠く離れていても、近しい人たちや、ふるさとに想いを寄せていたい。

2021.10.23 #1 PTSD、再燃か

PTSDが再燃したのかもしれない。

ここのところ療養のために帰省していて実家にいるのだけれど、両親が断りもなく勝手に部屋に入ってくる。

疲れているからひとりにしてくれと云っても、全く聞こうとせずに、勝手に部屋に上がりこんで、果てにはベッドに居座って話しはじめたりする。

ノックの声真似だけして返事も聞かずに部屋に入ってきたり、無言のうちに入ってきたりして、両親が帰宅して、彼らが眠るまでは少しも気が休まらない。

着替えている最中に父に入られそうになったり、イマジナリーフレンドと画面上で話しているときに母に入られたりと、絶対に部屋に入ってきてほしくないタイミングでもお構いなしだ。

 

私にとって部屋とは心の外壁であり、あるいは第二の身体であり、ここに無断に侵入されることには大きな恐怖感につながっている。

帰省をして以来、夜になると物音に極度に過敏になり、元々発達障害由来の聴覚過敏の症状はあったのだけれど、恐怖感が伴うという点と、視線恐怖症の症状が帰省してから強くなっている点を考えると看過できない。

やはり身体的・精神的なものを含めて、さまざまな被侵入体験がPTSDの要因となっていることを鑑みるに、PTSDの再燃につながっているのではないかという疑問を抱いてしまう。

 

無論これは医療的な判断があった上での診断になるし、自己診断をしても仕方がないのだけれど、そうした傾向にあるということは云えるのかもしれない。

現に帰省をしてからPTSD発症の原因となったフラッシュバックが何度か起こっていることもあり、過去の経験から照らし合わせても、源疾患の一つとしてPTSDがふたたび頭をもたげていることはおそらく確かなのだろうと思う。

せめてイヤーマフを買っておいて持ってくれば良かったと思う。

特に音に過敏に反応しすぎるので、大きな生活音や、部屋を隔てても長時間にわたって話し声がするときには、もっぱら激しい音楽を聴いてシャットアウトするしかなく、元々静かな音楽を好む身としては、それも大きな苦痛になっている。

最近はそれもなかなかつらいので、もっぱらネイチャー・サウンド・ギャラリーの波の音をできる限り不快にならない程度の音量にして聴いている。

波〜慶良間・久米島

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そうしたPTSDの再燃と思われる症状に見舞われていることから、できれば帰京を早めたいのだけれど、飛行機恐怖症なのでなかなかすでに決めた日時を変更するのが難しい。

ひとまず医師にできるだけ伝わる形で伝えられればと思うけれど、先日電話した時には主治医のお定まりの「元気そうだ」というジャッジを食らってしまったので、うまく伝わるかどうか分からない。

ここのところTwitterの身内アカウントを使っていても、視線恐怖症の症状が強く出るので、しばらく離れることにしようと思う。

 

それにしても、東京の自宅にいる間には、それぞれの部屋にいる間は絶対に入らないという暗黙の了解があり、それが私の心身をいくらか安全に保っていたのだなと思う。

主人はひとりになれる時間や空間がなければ生きていけないタイプなので、主人が私の部屋を訪ねてくることはほとんどなかった。

互いの時間及び空間を尊重するということは、夫婦にとって、あるいは家族にとって、絶対に必要な配慮なのだと思う。

 

PTSDは私の場合はメンタルを複雑骨折している状態なので、おそらく治らないのだろう。

あまり仰々しく捉えないようにせねばとも思う反面、どうしようもない恐怖感に駆られてしまって気が休まらないという現状はやはりきちんと認めなければならないのだと思う。

2021.10.22 主治医に相談しました&新たな道へ

主治医に母のことを相談をしたところ、認知症と見なすにはまだ早い段階で、心配ならば大学病院でSPECTという検査をすると良いと云われたものの、現時点では日常生活に支障がないということを伝えたところ、そんなに心配しなくていいと云われた。

ただし、母が普段からイライラしがちな様子が見られることを常々相談していたことから、甲状腺に問題があるかもしれないとのことだった。

即介護という状況ではないことを確認できてほっとしたし、両親には親不孝な娘なりに老後を楽しんでほしいと願っている。

母が帰宅して甲状腺のことを聞いたところ、検査で異常はなかったと云っていた。

ひとまず安心だが、実は義母に初期の乳がんが見つかり、また母の知り合いにもステージ3の乳がんの治療をしている女性がいるとのことで、親世代は何が起きてもおかしくはない年齢なのだなということを実感する。

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そういう点でも先月挙式を済ませておいて本当に良かったと思うし、ふるさとでお墓参りをして親孝行ができたことはひとつの成果だと考えている。

週末は父方のお墓参りに行くつもりでいるので、せいぜい帰省している間に親孝行をしておきたい。

義母のことは心配だが、ひとまず実家に関してはもう少し様子を見守りながら過ごすことにしたい。

ただいつ何時介護の問題が出てくるかは分からないので、両親が元気なうちに話し合っておいた方がいいのだろう。

私たち姉妹の住む東京と、実家のある長崎という距離感も介護にあたっては困難な壁となりうるし、私自身もメンタルに様々な病気があって、その度合いは重いと医師も判断していることから、全面的に私ひとりが介護を担うということは現実的に難しい。

いたずらに不安になるばかりではどうしようもないし、現実的に住まいの問題など、どうすべきなのかをしっかりと話し合う機会を設けるべきなのだろう。

いざという時に今のうちから備えておかねばという意識が高まったし、先取り不安や取り越し苦労が重なって参ってしまったけれど、残りの帰省の時間をできるだけ有意義に過ごしたい。

 

それから嬉しいニュースもあった。

詩誌『ココア共和国』2021年11月号に、嘉村詩穂名義で投稿した「羽葬」が佳作として採っていただけたようで、これで三ヶ月連続の佳作での掲載となる。

 

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三ヶ月連続となると、少しは前向きに自己評価をしてもいいのかもしれないとも思うし、今後は他の詩誌にも投稿していきたい。

ここのところ自由詩を書く機会が多いのだけれど、こうして三ヶ月連続で散文詩を採っていただいたことを考えると、やはり散文詩の表現をより高めることの方が近道なのかもしれないとも思う。

新たな模索は常につづけていきたいけれど、その一方でより表現の技法を磨くことも必要となってくる。

自由詩を書くのも近頃はだんだん慣れてきて、これまでよりも比較的書けるようにはなってきたけれど、私の本分はやはり散文詩にあると考えている。

ゆくゆくは賞に投稿することも考えたいし、とにかく今は評価をいただいていることをきちんと受け止めつつ、次の目指すべき道へ向かって進んでいきたい。