ANIRON

本にまつわることを、少しずつ、好きなように書きます。

2020.10.17 欠落を埋めるために読む

こちらの生地に引き続き、スローペースで皆川博子を読んでいる。

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皆川博子の作品の素晴らしさについては上の記事で語ったので、重複は避けたい。

ただ、先ほど読んでいて疑問に感じたことを覚書程度に書いておきたい。

なるほど、皆川博子作品は面白い。

だが、読んでいて、本質的なレベルで私の魂が救済されるというわけではない。

物語の役目はそれぞれあって、云うなれば皆川博子作品はあくまでも物語の快楽を追求するものだし、あくまでも一貫して美を掲げつづけているので、そうしたメンタリティで読むのは筋違いなのかもしれない。

それでも私は私の心の欠落をなんとか埋めたい。

そのために読書をしているのではないか、ということを改めて感じたのだった。

 

魂の救済のために読書をするという人はそう多くはないのかもしれない。

宗教書や哲学書、思想の本の類いを読めばそれは解決できることなのかもしれない。

それでも私は文学に救いを求めたいのだ。

単なる娯楽ではなく、自分が言語化しがたい心の奥底に触れてくれるような作品を読みたい。

 

そうした基準に当てはまるものを考えてみると、すでに読んだ作品だけでも、様々なタイトルが浮上してくる。

たとえばドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』や、江國香織きらきらひかる』、伊藤計劃『ハーモニー』『虐殺器官』、シャーリィ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』、アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは……』をはじめとする一連の作品など。

自分の人生における切実な問題に触れる小説をもっと読みたい。

それは例えば百合小説(あるいは漫画やアニメ)かもしれないし、あるいは内省的な内容の小説かもしれない。現代小説と近代文学、海外文学と国内文学といった境目を超えたところにそうした作品は眠っている。

 

漠然としていて何とも掴みがたいが、今自分が置かれている状況を今一度たしかめてみると、いくらか答えが出る気がする。

たとえば私は今アラサーで専業主婦で、数多の心身の持病に苦しんでいて、ほとんど友人もおらず、子どもを産む精神的・体力的な余力もない。

楽しみといえば創作をすることで、生活との両立に課題を抱えているため、もっと家事に励みたくなるような本が読みたい……などなど。

そういう事情から茅田砂胡デルフィニア戦記』外伝を再読するに至ったのだが、例えばこうして侍女やメイド、下働きの女主人公ががんばる話と考えると、もっと様々な小説が出てくるはずだ。

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また現在だけではなく、解決済みだと思っていても、自分の心の奥底に抱えているコンプレックスや不安は様々にわだかまっている。

大学院に進学したかったのに、体調の都合もあって実現することができなかったこと。

大学時代の友人との別離を未だに後悔していること。

高校時代に恩師に目をかけていただいたことがうれしかったけれど、おそらくもう二度と先生とお会いできないこと。

叶わなかった片恋のその後を思い描いて自分の心をなぐさめる夜もあること。

 

そういう別離や後悔、色恋の苦しみは、思想だけではどうにも解決しがたい。仏教で云えば愛別離苦の一言で済まされるかもしれないが、私のような人間はそこまで簡単に割り切れるものではない。そこで文学というものに期待してしまいたくなる。

たとえば恋や別離の悲しみと云えば、途中で停滞してしまった源氏物語をふたたび読むというのも手だろうし、人間の悲喜こもごもを肌で感じたいというのならうってつけだろう。

学生時代の片恋を描いた小説はこの世の中に数限りなくあるわけだし、いくらか手あかにまみれていようとも、探してみれば思わぬ発見もあるのかもしれない。

 

いわた書店の選書カルテではないけれど、そうして自分のプロフィールを客観的に見つめ直して探っていくうちに、自分が今読むべきもの、そして自分が本当に書くべきものも見えてくるのではないかと思うのだ。

なまじいろんなジャンルの小説を書いてきただけに、今一度誰かの言葉によってではなく、自分の言葉で自分のことを見つめ直したいと思う。

たとえ遠回りであったとしても、文学に近道はない。

五年十年かけて今の自分の小説の形を作っていったように、読書ももっと長い時間をかけて回り道をしながら楽しむのもいいのではないかと思う。

きっとそれが今後の創作の礎を作っていく土台となってくれるはずだ。

目先のことばかりではなく、自分の揺るがない土台をつくるために必要なことだと思って、今後も様々な本を読んでいきたい。