ANIRON

ひとりごと日記

2021.03.06 禁断の扉を開いた日

どうにも体調がすこぶる悪く、明日は出かける日だというのに調子が整わない。

食事を摂っても薬を飲んでもにっちもさっちもいかず、本を読む元気もなく、頭の中にはTwitterに戻りたいという欲求が渦を巻いていて、どうにも逃れられない。

弱っているからそんなことを考えるのだろう。

寂しいという思いが募ったり、不全感が募るとうつが悪化するというのは、これまでの経験上よくわかっているので、どうにもよろしくない。なんとかやり過ごさねばならない。

メンタルの病気は十年選手なので、こういう時に足掻いてもしょうがないことは重々分かっている。多少無理をして動いたとしても、次の日にさらにダウンすることは目に見えている。

そういうわけでほとんど何も手につかない一日だった。

 

昨夜、何気なく鬼滅の刃のグッズを調べていて、やはりキャラクターデザインという点では胡蝶しのぶちゃんは優れているなぁなどと思っていたのだが、そうしているうちにリカちゃん人形とコラボした禰豆子ちゃんのお人形が目に入った。

 

 

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人形はいったん手を出すと底なし沼だし、第一私は専業主婦で、名のある作家のお人形にあこがれながらも、高嶺の花と諦めていた。

しかしリカちゃん人形になら手が届く。

球体間接人形の1/10ほどの値段だ。

一晩悩んで、今日も日中はずっと迷っていた。

たとえ買ったとしても、飾ってみるとどうにも主張が強すぎて落ち着かない気持ちになってしまうのではないかとか、そもそもいずれは球体間接人形をと思っているのに、そういう気持ちで妥協していいものなのかとか。

 

しかし、禰豆子ちゃんというキャラクターはそれを超える魅力がある。

まさに柳田國男の云う「妹の力」を体現したキャラクターだし、俳句で妹という言葉で自分を表して詠むことが多い私は、ずっと妹というポジションにあこがれてきた。

幼少期は兄がいないことを心から残念に思っていたし、私は長女で、下にはひとり妹がいる。その「甘えられるポジション」に幼い私はどうしようもなく焦がれていたのだろう。

 

それに加えて主人と同棲していた時代に、大学時代の友人が家に遊びにきてくれて、主人と私の部屋を見比べて、兄妹の部屋ようだと評した。

私の部屋には年甲斐もなくぬいぐるみがあふれていて、年相応の部屋からはかけ離れているのだろうと思う。

そういう疑似兄妹としての意識は少なからずずっとあったのかもしれない。

実際に詩歌を作るときには少なからず意識してしまう節があって、私の作る詩歌での「兄」には多義的な意味合いが含まれるのだが、主人もその一部として溶けこんでいることには変わりがない。

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そういう擬似的な「妹」としての自分を詩歌という形に託したいのだと思っている。

「吾」という形で表象するには少し違和感がある「妹」の部分を、文学という形で表わしたいのだろう。

そんなことを書いていたら、かつて人形愛と歪な夫婦愛を描いた散文詩を書いたことを思い出した。

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こうした作風の詩はまたいずれ書けるといいなと思っている。

 

そして禰豆子ちゃんに惹かれる理由のひとつは寝姿がかわいらしいことだ。

こんこんと眠りつづける少女という耽美な要素も彼女の魅力のひとつで、せっかくお人形を迎えるのだからベッドも用意したいと思って調べたところ、リカちゃん人形の家具でかわいらしいベッドがあった。

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どこかレトロチックな花柄が昭和っぽい雰囲気でまた良い。

大正ロマンとはまた少し毛色を異にするが、和洋折衷もかわいらしいかもしれないと思ってお迎えすることにした。

こうしてとうとう禁断の扉を開いてしまった。

いずれは衣装なども集めて着せ替えもしてみたいし、手持ちの手毬や桜の造花なども並べて写真を撮ったりもしたい。

学生時代に画廊に通って観て回った、球体間接人形にはまだまだ手が届かないけれど、それでも人形沼に足を踏みこむ一歩となった日だった。

 

追記

アニメ版鬼滅の刃を完走したので、俳句を詠んだ。

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実のところ完走したからというよりは、気持ちのなぐさめに詠んだという方が適当なのだが、いくらかでもこのアニメを観て感じた気持ちを留めておきたいという思いもあってのことだ。

明日は劇場版を観に行く予定なのだが、ここのところ体調を崩していることもあり、今から少々不安が残る。

とはいえ多少無理を押して出かけることになろうと思うので、今日は早めに休みたい。