まえがき
途中まで俳句と読書に関する文章を書いていたのだが、ずいぶんと長くなったので、ひとつ前の記事と内容を分割することにした。
以下は3/12の器をめぐる出来事について書く。
朝に主人の淹れていったコーヒーの残りをカフェオレにしていただいた。
帰宅した主人が、「イッタラのマグカップは俺も使っていいのかな?」と云うので、このマグカップは綺麗に洗って、主人に譲ることにした。
どうやら主人はこの色合いが気に入ったらしい。
私はといえば、もともと部屋の調度に合わないのが難点だなと感じていて、おとなしくリネンを買っておけば良かったといくらか後悔していたのだ。
幸いにも同時に買ったパウダーの方は部屋にもしっくりなじむので、買って良かったと思っている。
とはいえすぐにこのリネンを買い足すかというと、少し疑問符がつく。
イッタラのカップは、少々デザインが物足りないと感じているのもたしかで、Afternoon Teaなどのカップを処分するのはまだ早いという気もする。
ちなみに処分を検討しているのはこちら。
左のタンブラーは学生時代に愛用していたレストローズのノベルティ品で、妹から譲り受けたもので、右のAfternoon Teaのマグカップは今は疎遠になってしまったとあるご婦人からプレゼントしていただいたものだ。
柄の入っているカップはどうにも気持ちがざわざわしてしまうと思っていたのだが、やはり無地のマグカップは少し味気ないという気持ちもある。
部屋のインテリアを考えても、柄が入っている方が雰囲気には合うし、しっくりくる。
しかしこうして部屋に置いてみると、やはりどこか落ち着かない。
自然と部屋になじむ、イッタラのマグカップの方が、リラックスした気分になれる。
私にとってマグカップは、服薬など体調の悪い時に使うことも多く、どんな気分にもフィットするデザインが必要不可欠なのだと実感する。
極力ノイジーではなく、落ちこんだ気分にやさしく寄り添ってくれるものが良い。
同時にAfternoon Teaの桜のマグカップも検討していたのだが、ようやく決心がついた。
不要になった器はできるだけ早い段階で処分をして、イッタラのリネンのマグカップをぜひ手元に迎えたい。
器選びに真摯にならざるを得ないのは、日々お茶を楽しむ心を大事にしたいということもあるし、何より私は病がちで家にいる時間が長いので、器をもっと楽しみたいという思いもある。
体調が悪くてお化粧ができない日も、器は毎日使うのだから、器にお金を使うということは、日々の生活をより良くするために欠かせないことなのだと思う。
これからもさまざまに試行錯誤を繰り返しながら、器を観る目を養っていきたいと思う。