隣人のDIYの騒音で起こされて、朝8:30頃起床。低血圧なのでいかんせんつらい。
寝ぼけたままひとまずアメリカ風プレートを作っていただいた。
なんとか朝食が作れたので、今日は調子がいいだろうと思ったのだが甘かった。
終日抑うつ状態に苛まれることになった。
出勤する主人を見送って、部屋に届いた「ひぐらしのなく頃に」の竜宮レナちゃんのタペストリーを飾った。編集者である主人曰くA0サイズらしく、思ったよりもかなり大きい。半分程度のサイズかと思っていたので驚いた。
それでも見上げるとレナちゃんが微笑んでくれているのがうれしい。
桜がプリントされているのも桜好きとしてポイントが高い。
誘われる先には惨劇が待っているのかもしれないけれど、手を差し出してくれるポーズなので元気がないときでもいくらか元気をもらえそうだ。
ちなみに「ひぐらしのなく頃に 業」は猫騙し編で挫折してしまった。
どうしてもスプラッタな一面だけが強くて、旧作コミックスを読破したときの心地いい恐怖と情動を揺さぶられるほどの高揚感はよみがえってこない。
残念ながら最後まで追うことはできなかったけれど、旧作アニメよりも作画が良いので、これはこれで良いかと思っている。
それから云いようもない抑うつ感がずっとつづいた。
薬を飲んでも一向に良くならないし、まともに身動きが取れない。
頭が完全に抑うつ状態のまま固定されてしまっていて、思考もろくにはたらかず、本を読む気にもなれなかった。週末には読書会を控えているというのに。
ここのところ強い孤独感や居場所を失ってしまったという喪失感、云いようのない自責感など、さまざまな負の感情が一気に押し寄せていて、いろいろと足掻いてみてもうまくいかない。
とにかく休養に専念する他ない。なんともままならないが、こればかりは致し方ない。
致し方ないので薬を飲んで一時間ほど眠った。
それからしばらくして主人が帰ってきて、ここのところご執心だった天ぷらをいざ作ると云うので、言葉を交わしながら待っていたら、見事な一品が供されて、美味しくいただいた。
生きていて良かった、と思う。
天ぷらを作る前日あたりに主人に「何を揚げてほしい?」と尋ねられて、答えた品々を揚げてもらったのを見て、何ともやりきれない気持ちになった。
どんなに愛情を示してもらっても、それを素直に享受するだけの心のゆとりがなくて、ただひたすら心が飢えていたのだけれど、それでもこうして病みつかれた身に愛情をかけてもらっているのだということが痛いほどに身にしみた。
思わず(BANANA FISHの)英二くんかな、と茶化してしまったのだけれど、実際のところ主人は英二くんに似ている節があると思う。
両親に愛情をかけられて育って、なんら心がひねくれることなく、人の悪口を云うことなく、ただただ許容してくれる。
でもその情を拒んでしまう節があったのはたしかだし、私は結局孤独でひとりきりなのだと思っている。どうしても主人に依存したくなくて、自ら遠ざけてしまいたくなることも時々ある。
それでもこの世でたったひとりぐらいは信頼してもいいのかもしれない。
ふたりとも完食できずに残してしまい、「残りは明日雨伽さんの間食にしてね、どうやら間食を摂ることが大事みたいだから」と云うので、またもやどうしようもない気持ちになってしまった。
どうしてこんな自分をこんな風に想ってくれるのか分からない。
結局のところ私の苦しみは私自身にしかわからないと想うし、それをいくら人に伝えたところで分かち合えるとは思えない。
何の前条件もなく分かち合えるというのならそれは傲慢の一言に尽きるし、そういう理由もあって、英二くんのことも好きになれずにいたのだけれど、単に私が愛情をアセプトするのがあまりにも下手すぎるのかもしれない。
もう少し気持ちを受け止めて信頼できるようになりたい。
今はただひたすら傷ついているので、時間はかかるだろうけれど、事の発端も理由も責任も主人にはないし、むしろ彼を遠ざけようとしているのは私自身であって、彼ではない。
その自覚は必要だなと感じた。
それから玄米茶を淹れてBANANA FISH20話・21話を観た。
怒濤の展開で、心理描写を掘り下げるシーンが少なめだったのだが、そんな中でも英二の手でカップスープを手渡されて、ようやく食事が摂れたアッシュの姿に胸が痛んだ。
つかの間のやさしさと休息が挟まれているのがなんとも切ない。
英二はこうしてふたたびアッシュを救ったけれど、その意味合いは冒頭の棒高跳びのシーンよりもずっと密度を増していて、意味合いもまったく違う。
それだけこのふたりが長い旅を経てきたのだということを今さらのように感じた。
これまでのふたりのほのぼのシーンの中でもひときわ印象深いワンシーンだった。
自然史博物館の戦闘シーンはこれまでの戦闘シーンの中でももっとも見応えがあった。
まさに山猫・アッシュといわんばかりにナイフを咥えて戦う姿が勇ましい。
一ヶ月の拒食症状態で身体も弱っているだろうに、よくここまで大立ち回りができるなぁと思う。
同時に、やはりアッシュはこの世界でなければ生きられないという想いを強くしてしまった。血に濡れた手は、彼が生きつづける限り彼自身を苛みつづけるに違いない。
アッシュの野生の獣としての性質を完全に矯めてしまうと、彼自身を殺すことになりかねないのだろう。あと2話、ゴルツィネとの最終対決で彼が生きて戻れる保証はどこにもない。
そんな中でも名場面だと感じたのが、マックスがアッシュのトラウマ写真を燃やすシーン。
トラウマを解き放つには、ありきたりな言葉だけではどうしようもないことをマックスはやはりよくわかっている。そのあと「もう忘れろ」という台詞があったけれど、それでもなおアッシュが忘られないことも、マックスにはおそらく織り込み済みだろう。
戦場でグリフィンの足を撃ち、彼の死をアッシュと共に乗り越えてきたマックスだったからなせたことで、やはりどう転んでもマックス×アッシュ派なのかもしれない。
結局のところ同じ死線をくぐり抜けてきた間柄でしか分かり合えないという思想が私の根底にはあって、高みから手を伸ばしてくれる存在よりも、共に傷つき、傷つけ合い、這い上がろうとする人間としか本当の意味で分かり合うことはできないのではないかと思ってしまう。
もっともアッシュは何度もマックスに警戒心を露わにするのだけれど。
そこに英二との大きな隔たりがあるのは間違いないし、結局のところ英Aに回収せざるを得ないのだけれど、それでも魅力的なCPだと思っている。