ANIRON

ひとりごと日記

2021.04.01 BANANA FISH完走

隣人のDIYだと思っていた騒音は、リフォーム工事の音だったらしい。

朝9時ごろに叩き起こされて、食欲もないままぐったりしていたのだが、どのみち食べなければならないので致し方なく朝食を摂った。

三食共々食べるのが億劫になっていて、抑うつ状態も相変わらずつづく。

BANANA FISHに引きずられてしまっているのだろうかと思う節もあったのだけれど、どうやらそうでもないらしい。

十字を切ろうとして、カトリックへの入信は何度も断念せざるを得なかったことを思い出してやめた。この辺りの話はあまり掘り下げないでおく。

 

しばらく眠ったあと、リモートワーク中の主人がお昼休憩を取るというので、お茶だけ付き合った。

ダージリン1stフラッシュが恋しかったけれど、あいにくとまだこの時点では届いていなかったので、ストレートでいただけるロゼロワイヤルを淹れた。 

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それから小一時間ほど主人と話して、ようやく少々気分を持ち直して、重い体を引きずって、医師の指導のとおりに家事をしたけれど、一向にフラッシュバックが頭から去らない。

良かったはずの出来事まで、悪夢のような記憶に塗り替えられていくのを止めようがない。過去のささいな怒りや他人の無遠慮きわまりない発言が粘度を増幅し、それはやがて自責感とともに負の記憶へと変わって行く。

平穏無事の四字があまりに遠い。

よほどTwitterに戻ろうかと思ってTLをぼんやりと眺めていたのだけれど、もはや私の居場所はあそこにはないし、そもそも人間不信に陥っている今、多くの人々のツイートを目にしているだけで眩暈がしてくる。

 

どうしようもないので、今日は一日TKのkatharsisを聴いていた。

katharsis

katharsis

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罪はいつか滅びる

 

罰を僕に与えよ 与えよ

 

僕を刺したナイフさえも 

いつかきっと光を射すから

ただこの言葉だけが私を救ってくれる。

メンタルの持病を患った12年前からTKだけは私を裏切らない。

同じ地獄の苦しみをただただ叫んで歌ってくれるから、ずっと聴いていられる。

「東京喰種」はあいにくと観たことがないのだけれど、いずれ漫画を読んでアニメも観てみたい。 

 

 

 

 

ずいぶんとネガティブなことばかり書いてしまった。いかんせん不調つづきで気がめいってしまっている。

それから週末の読書会に向けてテキストを読んだのだけれど、どうにも肌に合わず、どうしたものかと思ってしまった。 読み落としている部分がありそうなので、週末までに再読して、できるだけ考えをまとめておきたい。

この読書会に関してはさまざまに思うところがあるのだけれど、これも詳しくは書かない。書いたところで医師のように曲解されておしまいだろうし、センシティブなレッテルを貼られることに疲れている。

 

それから主人と夕食をいただきながらBANANA FISH22・23・24話を観た。

怒濤の展開で幕を閉じたのだけれど、気になったポイントを抑えながら振り返りたい。

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フォックス大佐に手籠めにされて、ぼろぼろになったアッシュを英二がハグするシーンに感極まってしまった。

最後の最後までこうして虐げられなければならないアッシュが本当に不憫でならない。

ジェシカに対しては「立ち直らなければ生きていけなかった」と云っていたけれど、本心の部分ではどれだけ彼の魂が傷つけられ、殺されてきたのか、想像にあり余る。

それだけに英二がハグするシーンのモーションのやわらかさが、彼の慈悲のすべてを物語っていて、アニメだからこそなせる技だなと感服してしまった。

英二というキャラクターにこれまで感じていた疑問はここで払拭できたと思う。

言葉ではなく、ただ悲しみや痛みを受け止めるというその態度が、どれだけアッシュを救ってきたのだろう。

同時に自分がどれほど言葉に依存しすぎていたのかということを思い知った。

言葉で救い、救われようとしても、どうしても限界があるし、最後にものを云うのは抱擁だと思っている。

私自身、性的なトラウマ体験を経て、かつての恋人が彼なりの誠意を尽くして無言でハグしてくれた時の感覚がかすかによみがえった。当時の私は彼に恋心のかけらも抱いてはいなかったけれども、その時の体温はまだ覚えている。そういう時に言葉はあまりにも無力だ。

 

それだけに英二が撃たれて病院での最後の対面のワンシーンでは涙が止まらなかった。

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英二がこれほどまでに感情を露わにして泣くので、観ているこちらももう泣かずにはいられない。

「さようなら」の五字があまりに切なくて、どうしようもなくやりきれなかった。

これまでのふたりの想いが濃縮されたワンシーンで、この物語のすべてを象徴するような場面だった。

 

それから相打ちになるかと思ったゴルツィネの最期には驚いた。

最後の最後まで彼はアッシュの「父」だった。それも愛という監獄の中にアッシュを閉ざそうとする毒親だった。その彼がアッシュを救ったことは、最後の執念だったのだろうし、アッシュの万感のこもった顔がなんとも切なかった。

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最後の最後まで抵抗をつづけた彼の目に「父」の姿はどう映ったのだろう。

その愛の形はあまりに歪で、毒親育ちとしては、この「父」の感情を愛と呼ぶのは控えたいのだけれど、それでもその感情のいくばくかはアッシュの心をなぐさめるよすがになったのだろうか。カタルシスという点ではこの上もなく美しい最期だった。

 

それからブランカからカリブ行きを誘われて拒むシーンもとても良かった。

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ブランカは最初から最後までアッシュの幸せだけを想っていたのだろうし、だからこそ月龍を諭すことができたのだと思う。

アッシュにとっての良き理解者としてのブランカのあり方が好ましい。

ブランカ×アッシュもいいなと思うのだけれど、あくまでもサブ要素というか、元彼というか、やはり本命ではない気がする。

 

そうして英二の手紙を手に、アッシュは逝ってしまった。

手紙の内容があまりにも濃度が濃いので、この内容のいくらかでも本編に反映させていてほしかったというのが正直なところなのだけれど、英二がアッシュを救いたかったのは、運命から彼を救いたかったのだというところで涙が止まらなくなってしまった。

彼は虐げられつづけたアッシュの魂を確かに救った。

運命を変えることはできなかったけれど、それでも彼の心は最後の最後に完全に解き放たれた。

なんて美しい物語、なんて完璧なエンディングなんだろうと思う。

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アッシュの最期のほほえみは、宮沢賢治のいうところの菩薩相の表れだと云っていいかもしれない。どこかの論文で読んだ覚えがあるのだが、あいにくとすぐに見当たらない。

以前、『BANANA FISH』という作品と宮沢賢治作品の親和性について軽く触れたことがあるけれど、今回それをようやく確信できた。

以前は「銀河鉄道の夜」に見立てて、アッシュをジョバンニ、英二をカムパネルラと評したけれど、宮沢賢治作品を総合的に鑑みてもいいのかもしれない。

アッシュが「ほんたうのさいはひ」にたどり着いたという点において、やはり『銀河鉄道の夜』に比することは可能だろうとは思うのだが。

 

 ほかに「なめとこ山の熊」や「二十六夜」、「ひかりの素足」などに描かれるように、苦しみつづけた主人公が死の間際に幸せそうな笑みを浮かべるというのは、宮沢賢治の作品に描かれているもので、業を背負った主人公が苦難を経て死に際して救いを見出して菩薩のように微笑むという筋書きになっている。

なめとこ山の熊

なめとこ山の熊

 
二十六夜

二十六夜

 
ひかりの素足

ひかりの素足

 

 昼間のうちはアッシュはおそらく死ぬだろうと分かっていたので、「カタギではない、美しく若い男が命を燃やして死ぬというのは、中上健次作品だよねまさに」と主人と話していたのだけれど、そこには救済があり、ただ強いインパクトを残すカタルシスと、逃れられない宿命と、強烈な命の輝きだけがあるわけではないのだと思う。 

 

 もちろんそれらの要素も兼ね備えているけれど、アッシュの最期はあまりに優しい。やはり宮沢賢治作品の軸で捉えた方がしっくりくる。

またアニメそのものに沿って考えると、悪夢に苛まれつづけ、うなされつづけたアッシュが安らかに眠りについたという一点だけを鑑みても、そこには救いがある。

むろん生きていてほしかったと思わなくもないけれど、アッシュが生きられる道はもはやどこにも残されてはいなかった。あのまま生き長らえていても、アッシュが日本の土を踏む日は巡ってこなかっただろうし、彼の血に濡れた手は二度と清らかにならない。

それが分かっていたからアッシュは英二を見送らなかった。

作者によるアッシュというキャラクター造形への信念が、あまりにも徹頭徹尾貫かれていて、この上もなく完成されたラストシーンだと云わざるを得ない。 

また個人的に月龍が死ななかったのが腑に落ちなかったのだが、彼は彼なりの自己救済の道を歩んでいく他ないのだろう。それがこの物語のもうひとつの救いの形でもある。 

 

それから虚脱感に包まれながら、主人と届いたばかりのダージリン1stフラッシュとシュークリームをいただいた。

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BANANA FISHを鑑賞することは、自分自身のトラウマや負の記憶と向き合わざるを得ないことでもあり、相当な苦しみを伴った。

しかし作者の苦しみの描き方は、アッシュと同じ地獄に徹底して立ち続けるという姿勢を感じて、もはや信頼を抱くしかない。

虐げられた他者を上段に構えて描くのではなく、あくまでも自己のものとして物語ること。

それは想像に絶する苦しみだろうし、そうたやすいことではないことは、いくらかでも小説を書いてきた私にも少しは分かる。

実際のところその壁にぶち当たって小説が書けなくなっている今の私には、あまりにも重く、そして偉大な物語としてBANANA FISHが映った。

その地獄を描ききった覚悟と、胆力にただただ感服するしかない。

原作はもちろんのこと、できればアナザーストーリーも読みたいし、海街diaryも読んでみたい。 

 

  

 

すっかり長くなったが、ひとまずアニメ版BANANA FISHの感想は今日のところはこれぐらいにしておきたい。

また思いついたことがあれば随時書いていくことにする。