ANIRON

ひとりごと日記

2021.04.02 「物語」を友とする

BANANA FISHが終わって、メンタルもいくらか持ち直すかと思ったのだけれど、そんなことはなかった。

結局今日も一日憂鬱に苛まれることになった。

一度きり会ったひとに精神的に責めさいなまれるという悪夢を見て8時ごろ起き、それからまともに動けなかった。

空腹なはずなのだが、食事を摂りたくなくて、ヨーグルトとホットミルクでやり過ごした。

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ここのところ体重が増えてしまっていて、体重計に乗るのもつらかったのだが、久しぶりに乗ってみると47kgから46kg台に戻っていて少しほっとした。

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できれば美容体重である46kg台のままをキープしたい。

ここのところまったく運動ができていなかったし、夕食を摂る時間も遅かったし、低血糖の関係で間食を摂る機会も何度かあった。

体脂肪率は24%から26%と大幅に増えているし、やはり運動をした方がいいのだろう。

とはいえ抑うつの症状が重いと動く気にすらなれないので、しばらくは食事の内容を見直すことに重点を置きたい。

まったく食べないというのは諸々に差しさわるが、一食の炭水化物の割合を減らすなどの工夫は必要になりそうだ。

ここのところ炭水化物を摂りたくないという気持ちが強いので、ヨーグルトを常備したり、低糖質な食べ物をストックしておきたい。

口当たりの良いものは弱っているときにも食べやすいので、ついつい雑炊やにゅうめんを作ってしまうのだが、まだ改善の余地があるだろう。

 

それから非公開を含めて何本かブログ記事を書いて、読書に勤しんだ。

今日読んだのはこちら。

bookmeter.com

当てはまらない4章以外を読んだ。依存の原因が底知れぬ井戸の暗がりような寂しさにあるというのはよく分かったが、“買い物依存で自己破産になっても、仕事依存で倒れても、生きるも死ぬも、本人が結果を引き受けることなのです”と書かれているくだりはあまりにも容赦がなくて笑ってしまった。本書に挙げられている「良い依存」は定着させるのが困難なものばかりで、どうしても楽な方に流されてしまう弱い人間はどうしたらいいんだろう。依存症から逃れようとして人間不信になってしまった人間は何を信じればいいんだろう。 

 

なかなかつらい読書体験になった。

覚悟を持ってページを開いたのだが、解決策があまりに乏しい。

良い依存として示されているものの中には、読書や蒐集、ペットを飼うことなどが挙げられていたが、読書は月に20冊以上読んでも、なかなか依存というレベルにまで達することができない。

弱っている時には本を読めなくなってしまうし、目標である年間200冊は達成したいが、そうして外側の動機がなければなかなか読めないときもある。

自発的に物語の世界に入っていくことの困難さを感じることもたびたびある。

また本書で提案されている「ヨコのつながり」は、コロナ禍によって持続不能になりつつある。友人となかなか会うわけにもいかないし、句会に入りたいと思っても及び腰になる。

 

とはいえ根本には母親から十分に愛情をかけてもらなかった、深い井戸の底を覗きこむような寂しさがあるということに変わりはない。どうにも埋めがたいものを、余人に依存せずに埋めることはできるのだろうか。

私は今主人に依存してしまうことを極端に恐れていて、心理的な距離をできるだけ取ろうと足掻いているけれど、それでもコロナ禍が長引けば、いずれはより密接にならざるを得ないのかもしれない。

主人を大切に思っているからこそ、彼をこの地獄に巻きこみたくはない。こんな想いをするのは私ひとりでたくさんだ。

依存症は自覚こそが何よりも大切だというのだが、自覚したところで私の生み出す地獄はこれまでも何度も繰り返されてきたし、それはおそらく今後も変わらないだろう。

その絶望感に苛まれて、ひとりでうずくまってしまった。

人間関係の円形の図に不信感を抱いている間柄に対して×印をつけてみると、ほぼ全員に×印がついてますます気持ちが追い詰められた。

これでは参ってしまうのも致し方ないのかもしれない。

今は自分自身すらまともに信じられない。

 

そのあと『絶望名言』で取り上げられていた太宰治火の鳥」を読んだ。

火の鳥

火の鳥

 

 

bookmeter.com

どうしてこのタイミングでこの小説を読んでしまったのだろう。よりにもよって自責の念に駆られているこの時に。幸代の独白に何度も涙せずにはいられなかった。到底他人とは思えない。かつて投げつけられた医師の言葉を何度も何度も反芻して傷つきつづけているこの数日で、ようやく分かってくれる人を見出したような気持ちになった。やはり文学を友とせねばならない。どんな困難な時であっても。これまでの人生においてそうであったように。

 

「しかし人間は、何か一つ触れてはならない深い傷を負って、それでも、堪えて、そ知らぬふりをして生きているのではないのか。おれは、そう思う」──太宰治火の鳥

 

「自分がまるで、こんにゃくの化け物のように、汚くて、手がつけられなくて、泣きべそかきました。舞台で、私の着ている青い衣裳を、ずたずた千切り裂きたいほど、不安で、いたたまらない思いでございました。あたしは、ちっとも、鉄面皮じゃない。生ける屍、そんなきざな言葉でしか言い表せませぬ。あたし、ちっとも有頂天じゃない。それを知って下さるのは、あなただけです。あたしを、やっつけないで下さい。おねがい。見ないふりをしていて下さい。あたしは、精一杯でございます。生きてゆかねばならない。」──太宰治火の鳥

小説を読んで声を上げて泣いたのは久しぶりだったかもしれない。

ここのところ私が抱えている葛藤がそのまま小説の体をなしていて、太宰の作品の中で、これほど痛切なものを感じたことはない。

「しかし人間は、何か一つ触れてはならない深い傷を負って、それでも、堪えて、そ知らぬふりをして生きているのではないのか」というのは絶望名言でも取り上げられていたけれど、本当にこの上ない言葉だと思う。 

 

やはりどんな絶望に苛まれても「物語」だけは裏切らないと今は信じられる。

これまで抱いてきた不信は「物語」にも累を及ぼしていたのだなと改めて気づいたのだが、それを払拭してくれたのは間違いなくBANANA FISHだった。

地獄の苦しみを地獄に立ったまま言葉にできる人の強さと、そのたしかさに感服した。

私はせめてこの苦しみを決して忘れないようにしたいと思う。

苦しみを苦しみとして受け止めるだけで手一杯だけれども、もしかしたらそれは誰かを勇気づけることになるのかもしれない。

確信は持てないが、こうして毎日この日記を読んでくださる方がおられるということを前向きに捉えたい。

今の私にとって希望はただこの日記の中だけにしかない。

かつてさまざまな人々が日記に想いを託したように、私も小説にはなれない言葉をこうして書き留めることしか今はできない。

それをこの上もなくつらく思ってきたし、未だに良しとしているわけではないけれど、それでも言葉を紡がずにはいられないのだから、書くしかないのだ。

 

それから少し迷ったのだけれど、BANANA FISH1クール目のED映像のアッシュをロック画面に設定した。

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どんなに苦しいときにも、彼の深い悲しみを思えば、いくらかそこに共鳴してやり過ごせる気がする。

むろん彼の置かれた立場と私のそれとは大きくことなるのだけれど、毒親にさまざまな毒を浴びせられつづけた子どもという本質的な部分では相通じる部分があって、その悲しみと今の私とは不可分だし、根源的な悲しみも苦しみもすべてはその親子の関係に端を発している。

そこから目を背けることはできそうにない。

たとえこれからも苦しみつづけるのだとしても、そしてその苦しみをより正確な形で誰にも分かってもらえないのだとしても、アッシュの悲しみだけは私を否定しない。

要するに私はBANANA FISHを通じてアッシュの中に自己の悲しみを深く重ね合わせて観ていたし、それがたとえ自己陶酔の誹りを受けようとも、思い詰めて死を想うまで深く深く共鳴したことは、誰にも否定し得ない。

だから私はこの物語を忘れるわけにはいかないのだ。

このやりきれない悲しみと、その後遺症である複数の難知性の持病を抱えながら、それでも生きてゆかねばならない。

 

それから何かと仕事で忙しかった主人と中華店で夕食をいただいた。

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お米の大部分は残してしまったけれど、エビチリはとても美味だった。

日記の話や、主人が凝っているアクアリウムの話などをして帰宅し、放課後ていぼう日誌を観はじめた。

少々ノリについていけない部分があったのだけれど、BANANA FISHとは打って変わった空気感に穏やかな気持ちになった。

主人に東京喰種を観たいというと、賛成してもらったので、放課後ていぼう日誌のあとはそちらを観る予定だ。今から楽しみでならない。