ANIRON

ひとりごと日記

2021.04.11 傷つきながらも前を向いていたい

昨日の不調から一転して、今日は好調とは云いがたいが、いくらか気持ちが楽になった。

やはりよほど読書会のことが堪えていたらしい。

Twitterを退会して、これまでさまざまな葛藤を抱いていたところから解放されたのも大きかったようだ。もっと早く退会していれば良かったと思う。

今後はブログを更新することと、できる範囲で創作活動をつづけていくことに重点を置きたい。

おかげさまでこの日記のおかげで作りたい本や、やりたいことの構想も考えられるようになったし、本当に読者の皆様には感謝してもしきれない。この場があったから私は生き延びられたし、これからも引き続き日記を書いていきたい。

evie-11.hatenablog.com

 

夢の中に松井冬子の展覧会が出てきて、彼女がデザインした衣装や句集、雑誌の数々などが展示されていて至福だった。

リアルはなかなかやりきれないことが多いだけに、夢がやさしいのはせめてもの救いだ。

横浜市美術館の「世界中の子たちと友達になれる」で初めて彼女の絵画と出会って、2012年ごろの成山画廊での幽霊画の展示が最後になる。

最近は寺院の障壁画を手がけておられるようで、別冊太陽の松井冬子特集号にはその障壁画も掲載されているようだ。 

 

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自選画集「髪の房」にもその一部が掲載されている。彼女にまつわる書籍は今後とも集めていきたい。 

 

それから朝食を摂った。相変わらずアメリカ風プレートにハマっている。

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紅茶はダージリン1stフラッシュ。

積んでいるBANANA FISHの原作はまだ読めるコンディションではないけれど、もう少し落ち着いたらゆっくり読みたい。ふたたびアッシュと会える日を心待ちにしている。

 

それから主人が起きてきて、お茶を淹れてほしいというのでルピシアのキャラメレを淹れた。

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交際していた頃から一緒にいただいていた思い出深い紅茶だ。

昨夜はいろいろと複雑な想いがよぎってしまったけれど、主人とアニメやゲームなど、ライトな話題を交わすうちにいくらか気持ちが整ってきた。

昨夜、主人に「怒ったときにはそう伝えてほしい」と云われたことが心に突き刺さったままでいる。

私は実家ではアンガーアタックに走ってしまうことがあって、その自己嫌悪のあまりに、主人との同棲以降は怒りの発作を抑えようとするあまり何も云えなくなってしまい、かえって主人が気を遣うという状況になっていた。

もう少し言葉を扱うことに慣れないと、どのみち主人を傷つけることになってしまうのだなといたく反省した。

どんな状況であってもやはり言葉を尽くすことを忘れずにいなければならないと思い直す。

言葉だけではどうにもならないこともあると私は思っているけれど、それでも言葉を伝えなければ伝わるものも伝わらない。

前に進むためにも、もう少し言葉を割くことを心がけようと思う。

 

それから部屋に戻って桜木紫乃『氷平線』を読み終えた。

bookmeter.com

北海道という土地に縛りつけられる閉塞感と、そこに生きる人々の抑圧された悲しみが痛いほどに伝わってくる短編集だった。ひりつくような冷たい空気を感じさせる描写がまた見事で、日本の純文学作品の系譜に見事に連なる一作だ。いずれも粒ぞろいだが、やはり「雪虫」は一等秀でた作品だと思う。また「海に帰る」のはっとするような美しさ、表題作の救いようのない絶望感と静謐な空気感が残るラストシーンも素晴らしい。得難い作家と出会えたと思う。

 

そうして食欲があったので昼食を摂って、主人が甘いものを食べたいというので、近所のパティスリーへ。

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ラズベリーを使ったケーキとダージリン1stフラッシュをいただいた。

 

主人と他愛もない話をしているうちに、だんだん共依存になっていく気がしてやはり怖い。

共依存状態の時のように、四六時中主人のことを考えるということはまずないのと、異性と共依存関係になったことはないので大丈夫だと思いたいのだけれど、普段やりとりをしている相手が主人ぐらいで、友人とはたまにやりとりをする程度だ。

夢中になれるものを持っておくことが大切だと以前読んだACの本に書かれていたが、ブログと読書だけが私の今の夢中になれるものだ。

創作は昨日書いたように小説に関しては体調上の理由で挫折してしまったという経緯があり、今は詩歌だけがよりどころとなっている。

より建設的な未来を描くためにも、目標を立てたり、それに向かって日々を活かせるようにしたい。

今のところ上に載せたようにBANANA FISH感想本を作るという目標はあるのだが、それとは別に、絶望に寄り添ってくれた本を紹介するエッセイを書こうと思っている。

これはどんなときでも誰でも読めるという理由でカクヨムでの公開を考えていて、同人誌はWEB再録という形でいずれ実現できればと思っている。

Twitterという販路がない以上、また体調上の理由でイベントの直接参加が難しい以上、部数はごく少部数にするつもりだ。

そうして傷つきながらも前を向いていたい。

もはや過去には囚われたくないし、そうして前を向こうとしても「しばらくは落ちこみますよ」と医師に云われている。

まだ明るい未来は描けそうにないし、将来に対する希望もまるでない。

それでも何とか生きていかねばならないと今は思っている。

 

それからここ数週間、いやこの三年間の間苦しみつづけた友人との関係が、発達障害者とそのカサンドラの関係だったのではとようやく思い立って、本を探して読みはじめた。 

 

実際にその通りだったということが分かった。

カサンドラ当事者の、周囲の誰も理解してくれない苦しみを丁寧に拾い上げている。

自分自身も彼女との付き合いの中で、愛情と共感を求めすぎる「不安型」から、傷つくことを恐れるあまり人付き合いを避ける「恐れ・回避型」に移行したのだなということがよくわかった。

客観的な目線であのつらい関係を捉えられるので、いくらか気持ちが楽になりそうだ。

カサンドラという言葉をたまたま知っていたからこの本にたどり着けて良かったものの、医師から同性である友人を恋愛対象として見ていたのではとセンシティブなレッテルを貼られたり、周囲から理解してもらえなかったりと、この間は本当に苦しんだ。何度死を想ったか分からない。

たとえ誰ひとりとして分かってくれないのだとしても、今は彼女との友人としての関係を終わらせられて、本当に良かったのだと心から思う。

私はこの三年間あまりに傷つきすぎたし、彼女の共感性に著しく欠ける態度に翻弄されてきた。その溝を埋めようと、必死で言葉を尽くし、できるかぎりの義理を尽くして世話を焼いてしまったし、その世話も彼女の絶え間ない要求を満たすことはついにできなかった。おそらく誰にもできないだろう。

カサンドラという言葉がもっと普及して、医師の認知度も上がってほしいと切に願う。

もうこれ以上傷つきたくはない。