ANIRON

ひとりごと日記

2021.04.15 少しだけ前を向いた日

昨夜からネトストに誘発された過去の性的なトラウマ体験の数々のフラッシュバックが止まず、とてもつらい一日だった。

朝から何も手につかなくて、ひとまずルピシアの試供品のほうじ茶を淹れたものの、テレビをつけても内容がまったく頭に入ってこない。

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致し方ないのでいつもお世話になっている東京都主宰のLINE相談で相談したところ、話は同調しながら聞いてもらえたのだが、根本的な解決には至らなかった。

友人に相談してみてはというのだけれど、性的なトラウマ体験を話せる友人なんていないし、主人には気にするなと云われてそれでおしまいになってしまう。

気にしないで済むのならとっくにそうしている。

結局私がBANANA FISHのアッシュ・リンクスに強く惹かれるのも、彼が性的に搾取されてきた人間だからで、そこに少なからずシンパシーを感じているのだろう。

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誇りを持つということが著しく難しくなっている今、よりどころとなるのは彼しかいない。そのどうしようもない侘しさを感じながら一日を過ごした。

BANANA FISHの原作も読まねばと思いつつ踏み切れずにいるのは、今そうした状況にあるからで、もう少し立ち直らなければ到底読めないだろうと思う。

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あるいは自分と同じ悲しみを見出すことで、少しでも傷が癒えればいいのだが。

相談員に「あなたはずっとひとりで耐えてきた。人間不信になるのも無理はない」という趣旨のことを云われたけれど、結局のところその人間不信も未だ解消する手だては見つかっていない。

本来カウンセリングを受けるべきところを受けられないのだから、自力で這い上がる他ないのだろうけれど、今はその気力もない。度重なる人間関係のトラブルで心はすっかり痛めつけられている。

何を信じて良いのか分からないというより、もはや何も信じられない。

人間の悪意も善意も、男も女もすべて信じられないし、無遠慮で身勝手な善意を向けられるよりも、いっそ悪意を向けられた方がマシだとすら思う。

 

何も動けていないけれど著しく消耗したので、夕方に仮眠を取った。

少しは気持ちが楽になるかと思ったのだが、相変わらず低調だ。

まっとうな人並みの幸せがあまりにも遠い。どうして生きているんだろうと思わずにはいられない。それでも生きるしかないのだけれど。

寝起きにぼんやりと図書館について想いを馳せた。

どんなに疲弊していても、どんなに病が篤くても図書館だけは私を拒まない。

幼少期は家に本を置けない家庭にいたから、週末になると図書館に連れて行ってもらうのが唯一の楽しみだった。

図書館の中では自由でいられたし、どんな本でも借りられた。

10冊の貸出制限いっぱいに本を借りて、二週間で読み切って返却し、また10冊借りるということを繰り返していた。

あの頃通っていた地方の図書館は、東京の小さな図書館主義とは違って、かなり大きなものだった。さまざまな単行本が所狭しと並ぶさまは、家の中で抑圧されていた私の心を解き放った。

学校の図書室にも毎日通って、毎日一冊ずつ本を借りてその日のうちに読み終えて、次の本を借りていた。それぐらい読書漬けの日々を送っていると、孤独もさして感じることなく、ただひたすら幸せでいられた。

 

幼少期のことを思い出すと、どうしてこんな大人になってしまったんだろうと思う。

10代の私が今の私を見たら、さぞかしがっかりすることだろう。

持病で作家にもなれず、小説を書くことすらできず、本を読みブログを書くのが関の山で、ひどく侮蔑するに違いない。

20代の頃はそれでも病を云い訳にすることなく自分なりに必死にがんばったし、それなりの成果も出せたけれど、30代になってその対価を支払うことになったのだろう。いずれ必然的にやってくる終わりだったのかもしれない。

それをたまらなく虚しく思う。自分にとって価値のあるものをいくつも失いつづけてここまで来てしまった。

そうして失ってでも人は生きていかねばならないのだ。私ひとりの命がどうなろうと知ったことではないが、せめて主人にはつらい思いをさせたくない。

 

それから主人が帰ってきて夕食を作ってくれて一緒にいただいた。

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あまりにも参った一日で、オキシトシンが欲しかったので「アニメを観るよりも話したい」と云うと快く応じてくれて、さまざまな話をした。

主人がとある話から「絶対に分かり合えないと嫌だというと、途端につらくなるから、どこかで分かり合えると信じて、結局分かり合えないかもしれないけれど、それでも分かり合おうとすることが大事だよ」と云う。

それが今の私をあまりにも的確に捉えていて、返す言葉もなかった。

結局物語もその理解の相克から生まれてくるのだし、それによって人の心の傷を修復する役目を担っている。BANANA FISHもまたそういう物語だった。

そして私ももう少し人間を信じてみてもいいのかもしれないと思う。

どうしても参っていると不信に傾いてしまうのだけれど、そういう言葉をかけてくれた主人がそばにいてくれて本当に良かったと思う。

 

ちょうど夕方頃にLINEを送った友人からも返事をもらった。

トラウマ専門の精神科もあるから探してみるといいということや、地域の精神福祉の部署に行って相談窓口を教えてもらうといいとアドバイスしてくれた。

また直接会いましょうと云われて、カサンドラ状態にあった彼女との付き合い方に留意しながら、それでも付き合いをつづけていきたいと思い直した。

それだけでも進歩があったと思いたい。

お互いに発達障害を抱えている上、彼女の特性上、情緒的な交流がなかなかできない部分はあるけれど、できれば今度はそこに深入りしすぎることなく、おすすめの本のやりとりなど、彼女にとっても受け取りやすい形で交流ができるといいなと思う。

少しだけ前を向いた一日になった。

友人関係では今後も迷うこともあるだろうけれど、ある程度付き合い方を限定した方がお互い上手くいくということは、他の人ともまったく同様なので、あまり求めすぎずに付き合っていきたい。

寂しさを埋めるためではなく、より建設的に前を見据えた付き合いができればいいなと思う。

 

それから主人がお茶を淹れてほしいというので、ルピシアのキャラメレをいただいて解散した。

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今日はすっかり参ってしまっていて読書ができていない。

この後少しでも本を読めればと思っている。