結局朝の6時まで徹夜してしまった。
昨夜は楽しかったけれど、楽しい分反動がとてつもなく大きい。
今は気晴らしもままならないし、生きるので精一杯だ。
案の定PTSDに由来する悪夢のオンパレードを観て起きたのは15時だった。
ここ一ヶ月ぐらいまともな時間に眠れたためしがない。
薬を飲めば眠れるので、睡眠薬を処方されてもどうしようもない。
なんとか決心して布団に入らねばならないのだが、自傷行為の代わりとして、あるいは寝る元気もなくて起きていてしまう。
希死念慮は頭をもたげないのでまだ大丈夫だが、この状態がつづくともう保たないと思う。
毎日今日が一番つらい、今が一番最低だと思ってやり過ごしているけれど、いともたやすく過去最低の日が更新されてゆく。
平穏な世界があまりにも遠い。テレビをつけても、ネットを観ていても、ひとりきり別の世界に取り残されているような間隔に陥ってしまう。King Gnuの音楽だけが私の傍に寄り添ってくれる。
学生時代から志方あきこが好きで、2015〜2017年あたりは良く聴いていた。
この曲も2015年に発表された曲で、
誰もが傷つき 痛みを背負って
誰かを傷つけ ひた走る
酷く残酷な風が 吹き荒れてもなお
譲れない想い その胸に秘めたまま
という歌詞があまりにも刺さる。
「譲れない想い」を形にすることはできるのだろうかと絶望的な気分になる。
作りたい本がいくつもあるけれど、このような健康状態では到底着手できないし、よしんば完成したとしても、ネトストによるPTSDの再燃で、ネット上のインタラクティブな空間が怖くなってしまって、カクヨムにもしばらく戻れないかもしれない。
KDPもネット上での公開となると、さまざまな反応があるかもしれない。
紙の本ならば安全かもしれないが、販路が限られている以上、在庫を抱えることになるかもしれない。
今はそのすべてが怖い。
今朝、別のブログにコメントをいただいた。緊張してしまったのだけれど、好意的なコメントでいくらか気持ちが軽くなった。
そうして少しずつ暴露療法的に試していくしかないのだろうが、それでも参っていることに変わりはない。
代替案をなんとか考えねばならない。
委託頒布も視野に入れれば、紙の同人誌で出すというのがもっとも合理的なのだろう。
Twitterの再開も考えないとなかなか販路を確保できないのが悩ましいが。
ひとまずブランチを摂って、家事をして、気分を落ち着けるためにルピシアのロゼロワイヤルを淹れた。
主人とともにいただいていると、熱帯魚店へ行きたいというので付き合うことにした。
美しい金魚に魅せられたので、これはいずれ俳句に詠みたいと思う。
今は気持ちが参っていて作句もなかなか難しい。
BOOTHでの頒布は基本的に一方向だから、またBOOTHに詩歌のフリーペーパーを作って載せたいという想いもあるけれど、これもまだ当分先になりそうだ。
以前琉金を詠んだ俳句のポストカードを作って載せたので、これに連なる形で作れればいいのだが。
とにかく希望の灯火を絶やさないようにしないと、到底生きていけそうにない。
読書にも力を入れていて、今年は年間200冊読むと決めている。
ここのところ読書ペースが著しく落ちてきてはいるのだが、昨夜茂木健一郎『孤独になると結果が出せる』を電子書籍で買って読みはじめた。
今の私の状態はまさに「孤立」といったところで、本書の説く「孤独」とはまったく性質を異にする。「孤独」の捉え方が曖昧で理想主義的すぎるのではないかと感じて、ハズレだったかなと思いながら読んでいるのだが、「人間は孤独を必要とする」「脳のデフォルトは孤独」という言葉に勇気づけられる。
それからDMMブックスのセールで買った『絶望名言2』も読み進めている。
中島敦はそれまでさほど興味がなかったのだが、読んでみると持病を持っている身として感じ入るところが多い。
ぜひ彼の著作をもっと読んでみたいと思う。
個人的には文学者の言葉に絞った第一巻の方が好みだなと思うのだけれど、こちらもこちらで見所が多いことに変わりはない。
友人が本のおすすめを聞きたがっていたので、勧めてみてもいいのかもしれない。
またいずれとも完読したら別途感想の記事を別ブログに書きたいと思う。
それから主人がオンラインで飲むというので、気を紛らわせるために牧場物語をプレイしてひとり部屋に帰ってきた。
上に載せた茂木健一郎の本を読み終えて、絶望名言2のつづきを読みはじめた。
ベートーベンの数々の「絶望名言」を読んで何度も泣かずにはいられなかった。
できることなら私は、
運命と闘って勝ちたい。
だが、この世の中で、
自分が最もみじめな存在なのではないか、
と感じてしまうことが、
何度もある。
あきらめるしかないのだろうか。
あきらめとは、
なんて悲しい隠れ家だろう。
しかも、それだけが
今の私に残されている隠れ家なんだ。
友人の医師フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラーへの手紙 1801年6月29日
美しい夏の日々には勇気もわいて、励まされたが、
そんな勇気も今は消え去った。
ああ、神様、歓喜の一日を、私にお与えください。
心の底から喜ぶということが、
もうずっと私にはありません。
いつかまたそういう日が来るのでしょうか?
もう決してこない?
そんな! それはあまりにも残酷です。
ハイリゲンシュタットの遺書 1802年10月10日
実家暮らしだった頃は年に何回かクラシックコンサートへ行っていたから、ベートーベンの音楽に触れる機会もあったけれど、結婚してからはその機会も失われてしまった。
ましてや今はコロナ禍だ。
せめてapple musicで聴けるものはどんどん聴きたい。
これほどまでに言葉が切実さを帯びて私の心の中に深く響いてくるということは、ここのところ絶えてなかった。
やはり絶望に打ちひしがれた人々の声は、今の私に寄り添い、ひとりではないと励ましてくれる。
今はそれを心の杖として支えにしたい。
おそらく今夜も眠れないと思うけれど、それでもなんとか耐えねばならない。
夜は長い。明けない夜はないというけれど、まだまだ夜は明けそうにない。