終日月経困難症の症状に見舞われて不調な一日だった。
主人の提案で出かける予定だったのだが、到底出歩ける状態ではなかったので家にいた。
朝食には久しぶりにアメリカ風プレートを作った。
いつもはひとりで摂っているけれど、今日は休日ということもあって主人の分も用意して、ふたりでいただいた。紅茶はルピシアのアールグレイ。
アメリカ風プレートをいただく時にはミルクティーと決めているのだけれど、そろそろまたダージリン1stフラッシュを注文しなくてはならない。
主人はミルクティーよりもストレートティーを好み、ダージリン1stフラッシュは中でもお気に入りなので切らさないようにしたい。
緊急事態宣言を明日に控えて、気分も切迫してしまっている。
しばらくの間は図書館も閉まると思うと気持ちも塞いでしまった。
ひとまず図書館から借りている本の延長手続きを済ませて、塚本邦雄『閑雅空間』を読みはじめた。
ご覧の通り瀟洒な装丁の一冊で、耽美的な歌の数々に惹かれるとともに、その素地として古典和歌の存在をたしかに感じ取った。
文庫の全歌集では第四巻に収録されているとの由。
ここのところ現代詩歌に触れる機会が増えてきているけれど、やはり古典詩歌はしっかり読まねばならない。
古今和歌集は通読したけども、新古今和歌集も上巻で止まったままになっているし、欲しいと思ってまだ手元にない定家全歌集の存在も気になる。
万葉集に関しては中西進先生の『万葉の秀歌』などを読んだものの、図書館で借りたきりなので手元に欲しい。
そうしてさまざまに図書館で借りたい本のことなどを考えたりメモしたりしているうちにあっという間に夕方になってしまった。
Twitterから離れて、こうしてひとりで本のことに想いを馳せるひとときはやはり何物にも代えがたい。
検索してみると、最寄りの図書館にはさまざまな詩歌集が眠っているらしく、かねてから気になる名前もちらほらとあった。早くも開館が待ち遠しい。
そうしているうちに注文していた詩歌集が届いたので、先日届いたものと併せて記事にまとめた。
この間にも月経困難症の症状に苛まれ、気分は落ちこんでいたのだけれど、それでもなおTwitterから離れて良かったと今は思う。
たとえ孤独であったとしても、本のことを考えている時間だけは心も自由に解き放たれた状態でいられる。今は本の存在が切実さを伴って感じられるし、そうして読書の楽しみを味わえることはありがたいことだと思う。
それから主人に生理痛がひどくて痛み止めを切らしているという趣旨のことを伝えると、ロキソニンを買ってきてくれた。
私は人にものを頼むのが苦手で、ロキソニンも注文しそこねてしまっていたのだが、主人が「もっと早く云ってくれれば良かったのに」と云ってくれた。
人の手を煩わせると思うとなかなか頼めないのだけれど、それだけにできるだけ切らさないように注文しておかねばならない。
申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちがないまぜになって、それでもやはりこうして主人があれこれと気にかけてくれることが素直にうれしい。
それから主人が買ってきたプリンとルピシアのキャラメレでお茶をした。
その後ふたたびPTSDの症状がぶり返してきた。
SNSから離れるという決断をして実行に移しても、フラッシュバックに見舞われるとさすがに凹む。ここ数日は薄らいでいた自責感と自己嫌悪がふたたびよみがえってくる。
移行先の読書サービスは鍵をかけっぱなしにしているが、この先も開けないでおこうと思う。
SNSから離れても、LINEが来るたびに不安な気持ちになったり、恐怖に駆られなければならないのかと思うと気が重い。LINEをする相手は何も悪くないというのに。
とにかく今は他者からの侵入をできるだけ遠ざけたい。
そうして主人の作ってくれた夕食をいただいて、放課後ていぼう部日誌のつづきを観た。
ロキソニンを買ってきてくれたことや、美味しい夕食を作ってくれたことなど、行為で情愛を示してもらえると、それだけでほっとする。
今日はさほど多くの言葉を交わさなかったけれど、お互いに疲れているとそういう日もある。
思春期の頃に通っていたカウンセリングで、カウンセラーの方に「言葉よりも行動を見ると良い」と云われたことがある。
私はつい言葉を偏重しがちだけれども、それでもこうして行動で表わしてくれたことにまずは心から感謝したい。