今後の創作活動のことなどを考えていたら夢中になって眠れなくなり、3時まで起きて10時頃起床した。睡眠時間が普段よりもかなり短いし、明らかに軽躁気味だ。
双極性障害の診断は受けていないけれども、連休中に体調を崩すのはほぼ間違いないので、相談窓口の確認などをした。
私がいつも利用している東京都の公式LINE相談窓口は連休中も開設されているらしい。
www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp
連休になるとこうして相談窓口が開いているかどうか確認するのが常になってきた。
私にとっては死活問題だし、祝日には心療内科も閉まる。
念のために時々覗いているハートネットTVの掲示板もブクマしておいた。
今日は一日創作のことが頭から離れず、ずいぶんと振り回されてしまった。
作りたい作品の構想を練って、同人誌を作るか、KDPを出すかということがぐるぐると頭の中を駆け巡り、PTSDでTwitterを退会せざるを得なかったこともあって販路が確保できないことや、在庫を抱えるリスクなどを考えてしまって身動きが取れなかった。
しかしいったんはカクヨムで公開しようと決めたものの、本来の目標はKDPでの出版だったので、やはりたとえ多くの人に読んでもらえないのだとしても、やはりKDPを目指すことにした。
それは以前ブログにも書いたとおりだ。
KDPは少なくとも在庫を抱える必要はないし、ブログにも直にリンクをつなげられる。
今の私にとってはこの日記を含めてブログの更新と家事が生活の中心で、活動の重点でもあるので、そこから離れたところで気力体力を消耗したり、ストレスを感じたくなかったというのは大きい。
Twitterから離れたことが結果的に自分にとってストレスフルな環境から脱するのに寄与してくれたということは名言しておきたい。
もちろん紙の本を作りたいという想いはあるけれど、それは自分用の一冊や、身近な人たちの分だけあれば事足りるのだろうと思う。
そうしたKDPでの活動に切り替えた方が結果的に無理なくつづけていけるのだろう。
オン専ならオン専でさまざまなやり方があるのだろうけれど、少なくとも優先順位をブログの更新に置くならば、そう手広くあれもこれもと手を出せないので、ひとまず自分にできる範囲で活動したい。
今日の出来事はだいたい創作のことを考えていたということに尽きるのだけども、家事を片づけてからブログ記事を何本か仕込んだ。
ひたすら文章を書いていたい人間にとって、ブログを書くということはある意味この上もなく適正のある行為なのだろうなと思う。
今日はこの日記を含めて四本ほど書いていることになるのでさすがに疲れてきてはいるけれど、Twitterで無駄にツイート数を重ねに重ねていたときよりも、いくらか前向きな気持ちでいられるのがありがたい。
Twitterから離れざるを得ないことに関してはまだ色々と心境は複雑だけれども、もう戻れないことは分かっているから、致し方ないと割り切る他ない。
もともと交流が盛んなタイプでもなかったし、TLに煩わされることも多々あった。
SNS全般から離れた今は少なくともSNSに入り浸っていた当時のようなストレスは感じていないし、深い抑うつ状態に陥ることもあるけれど、それでもひとりで過ごすことにも慣れつつある。
PTSDによる人間不信で、著しい孤独感を味わい、絶望の淵に追い落とされる夜もある。それでも今は人間なんて信じられなくてもいいと思えるようになったし、とにかく生き延びることだけを考えている。
生き延びた先に何があるのか分からないし、それは希望の光ばかりではないかもしれないけれど、少なくともこうして発信をすることで読者の方に届く言葉もあるのかもしれない。
今は読者の皆様に支えていただいていることに心から感謝しつつ、そうして生かしていただいていることを踏まえつつ、日々の想いを綴っていきたい。
今日のお茶は二度だけだった。
朝に作業用のコーヒーを淹れて、夜にルピシアのサクラをいただいた。
いずれもイッタラの器だが、イッタラの器は生活になじんでくれるところが魅力だなと思う。
そうした器にも少なからず心を支えてもらっている。
これから欲しい器などを挙げるとキリがないけれど、いずれそのうちのどれかを迎えられることを心から願っている。
また最近はふたたびアナログノートを活用しているのだけれど、お茶をしていて主人に『情報は1冊のノートにまとめなさい』を貸してほしいと云われたので貸してあげた。
主人もアナログノートに記録をつけたいと話していて、ここのところ私もノート術に興味があるので、またさまざまな話題を共有できそうだ。
しかし現時点ではこの本のメソッドに則ったノート作りをしていて事足りているので、これ以上新たな要素を増やそうとはあまり思っていないのだけども。
とにかくシンプルな方法でライフログとしてアナログノートを活用するというこの本の趣旨は十分今でも通用する方法だと思う。
主人もこの本に関して自分用の一冊を買おうかなと話しているので、強くおすすめしておいた。