ANIRON

ひとりごと日記

2021.05.04 本と裏世界ピクニックの雑感と私の来歴

昨夜は12時ごろ寝て朝は10時ごろ起床。

久しぶりにきちんと睡眠を摂れて、ひとまずほっとした。

一日を通じて極度に不調になることもない代わりに、調子が良いと感じることもなかった。こういう日が年中つづいてほしい。

朝から夕方にかけてブログ記事を何本か書いて、そのうちの二本が公開された。

evie-11.hatenablog.com

snowrabbit21.hatenablog.jp

「広寒宮」の方はすでに記事が渋滞していて、GW期間中は毎日更新できそうだ。暇なのだからしょうがない。

evie-11.hatenablog.com

 

 

それから茂木健一郎『「書く」習慣で脳は本気になる』を読んだ。 

「書く」習慣で脳は本気になる

「書く」習慣で脳は本気になる

 

茂木健一郎さんの本二冊目。引き合いに出される人物がややミーハーでこじつけな感も否めなかったけれど、本書を読んで心を動かされたのは、書くことそのものというよりも、偶有性に揺らがないために、自分なりのプリンシパルを持つということだった。私にとってそれは書くことそのものに他ならない。書くこと自体が目的化しているために毎日ブログを更新しているし、たとえ小説を書けないという偶有性の事態に陥っても、PTSDTwitterから離れざるを得ないという状況になっても、それでもなおブログで発信しつづけている。それがいつの日か何らかの形になるといいなと思うけれど、書くことそのものが楽しいので、たとえ結果に結びつかなくてもこのまま日々文章と向き合いつづけようと思う。そういう勇気をもらえた一冊だった。

新書版が出たのは昨年だが、本自体は九年前と少し古いので、内容もSNSを楽観的に評価している。

SNSで自己表現をするばかりが能ではあるまいと思うし、書くことの効能は成功するかどうかにかかっているわけではないと私は考えるけれど、書くことそのものを楽しめるのならそれに越したことはないのだろう。

この本でこれはと思ったのは偶有性のくだりで、脳は不確定な要素を好むけれども、定点のような場所も同時に必要としていて、書くことがその定点になりうる、あるいは資本になりうるという考え方はポジティブだと感じた。

 

この本で勧められている自分史については書くのが恥ずかしいのでおそらく書くこともないけれど、それでもあの時もしもあの道を選んでいたら、というのは誰しも考えることではある。

私の場合は幼少期にピアノ教室で歌声を褒められて、発表会でひとりだけ歌を披露したことがあった。あのまま声楽の道に進んでいたらまた違う人生を歩んでいたのかもしれない。

あるいは上京していなかったら、と考えることもあるし、もしも学部卒ではなく院進していたら、司書資格を最後まで学んで取得して司書になっていたら、と想像することもある。

いずれも儚い夢物語なのだけれど、院進していたらと考えることはしょっちゅうで、根底にはやはり自分の知りたい神話学や宗教学、民俗学をもっと掘り下げて学び、自分なりに答えを模索したいという想いがあるのだろう。

また司書になっていたらという想いには、本に携わる仕事をしたいとずっと考えていたことが背景にあって、近ごろ主人と話していて、「ブログで本を紹介するのも本に携わっていることになる」と励まされてうれしかった。

そう考えてみると現在につながっているものもあれば、途絶えてしまったものもある。

勉強をしたいのならば、今小説が書けないという挫折から這い上がるためにも必死で勉強すべきなのだろうし、気になっている資料もたくさんある。

少なくとも大学の頃にお世話になった研究者の近刊には目を通しておきたい。 

読み替えられた日本書紀 (角川選書)

読み替えられた日本書紀 (角川選書)

  • 作者:斎藤 英喜
  • 発売日: 2020/10/30
  • メディア: 単行本
 
出雲神話論

出雲神話論

 

他にも最近は哲学について関心があるので、かねてから気になっている本に当たりたいし、社会に目を向けてみてもさまざまな問題意識を持っていることに気づく。

そのいくらかでも本を読んで学ぶという姿勢に転じさせなければ、知識はどんどん古びていってしまう。

大学を出てから6年ほどになるけれど、この間にも社会は大きく変わってしまっている。常に危機意識を持って知識をアップデートさせていかねばなるまい。

 

ちなみにこのことを主人に話し、63歳の実父が通信制を利用して大学へ社会人入学したいという趣旨のことを話していたと云うと、「なぜ娘を大学院に入れなかったんだろうね」と云われた。

持病の悪化もあったし、持病が原因で休学を経て留年も二年ほどしていたので、致し方ないと云えば致し方ない。

いっそ頭が悪すぎるならまだ諦めもついたかもしれないけれど、中途半端に勉強ができたために潔く諦められないままここまで来てしまった。

実家には理解がなかったし、かつて主人からも、そして義父からもこの件については失望した旨を伝えられた。誰かの期待に何ら添えない自分が本当に情けない。

実のところ父が入学を希望している大学は京都のとある大学で、私も恩師からその大学の大学院で、さる先生の元で学ぶと良いと云われたこともあったので、やはり心境は複雑だ。

とはいえ30代になったこともあり、複数の持病を抱えていることもあり、今さらかつて希望していた研究職を志せるわけでもない以上、どのみち無理な相談だ。

研究職がそう簡単な道のりではないことは、周囲の様子を観ていてもよくわかる。

私の身の回りには院進した人が何かと多かったので、成功を収めているケースもあれば、そうではないケースもさまざまに観てきた。

持病を抱えた人間が邁進できるほど研究の道のりは甘くない。

 

こうして書いているうちに妹の紹介で登録しようと向かった、とある派遣会社の面接で「あなたはお勉強が好きなのね。院生になれば?」と面と向かって云われて、それきり面接を打ち切られたことも思い出すけども、とにかくとことん社会に適合できないのは今も昔も変わらない。

学生向けの派遣会社ということもあり、大抵の学生ならば雇ってもらえるものだと思っていただけに少なからずショックを受けたのを覚えている。

その前後にやっていたバイトも難治性の持病の悪化で二度ほどクビになったし、まともに働けたためしがない。

その後父の紹介で仕事を斡旋してもらえそうになった場面もあったけれど、今度は「あなたはお金に困っていなさそうね」とあまりにも直球な言葉を投げつけられておしまいだった。

幸いにもご指摘のとおりお金に困ったことはないが、どうやら私は誰の目から見ても働くのに向いていないらしい。

この社会にとって私が生きている価値なんて微塵もないのだと思う。

 

それから裏世界ピクニック5話6話を観ながら遅い昼食を摂った。

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一向に話が面白くなる気配がない。

なぜ面白くないのかというと、やはり怪異現象が主人公ふたりと何ら因果関係を持っていないからなのだろう。

たとえば空魚の家族関係が明らかになったが、カルト宗教にハマって事故死したという家族がこれらの怪異現象や裏世界と分ちがたく結びついていて、空魚がのっぴきならない理由でこの裏世界にアクセスせざるを得なかった、という筋書きならまだ分かる。

しかし現時点では空魚はただ単に逃避するためだけに裏世界へ入ってしまい、秘密基地のように利用していただけに過ぎない。そこには何の因果関係もないし、切実な動機もない。

あるいは鳥子にはさつきを探すという裏世界へアクセスする動機があるけれど、怪異現象と、鳥子が求めるさつきとの間に因果関係があるのかは今のところ不明で、そこがまったく欠落しているとこの物語の構造自体成り立たなくなってしまう。

このふたりにとって怪異現象は単なるお化け屋敷の見世物に過ぎないというのが現時点での印象で、全12話のうち6話に至ってもそこがまったく解消されていない。

また個人的にきさらぎ駅には思い入れがあるので、電車に乗っているうちにたどり着くのではないというプロットに強い違和感を感じてしまった。6話まで観てきて、全体としてネットロアという素材を生かしきれていないように思う。

クリーチャーの表現もおおよそ恐怖を掻き立てるものではないし、そこはアニメの技術的な力でもう少しどうにかならないものかと思ってしまう。

一応最後まで観ることになりそうだが、この物語の肝はさつきひとりにかかっていると云っていい。

 

 

これを加筆しているのは2021/05/05 03:41で、当初は来歴部分はなかったのだけれど、どうにも心の整理がつかずに書くことにした。

ある程度の学力があっても働くことすらできず、贅沢三昧が叶う境遇ではないけれど、お金に困っていなくてもこうして精神的に参っている人間もいる。

日々虚しい想いを抱えながら日記を書いているけれど、この想いの幾ばくかでも誰かの絶望に寄り添うことができればとただ願っている。

3時までには寝ようと思っていたのだけれど、眠れないまま朝が来そうだ。