ANIRON

ひとりごと日記

2021.05.06 生きる意味などないけれど、希望は捨てない

昨夜は01:30ごろには眠って10時ごろ起きたので、いくらかマシだろうと思っていたら甘かった。一日中希死念慮に苛まれつづけてしまい、ブログも更新できなかった。

強いて云えば図書館エッセイ本の原稿は一本書けたけれど、まともに本も読めず、なんら芳しくない。

生きている意味がまるでわからない。そんなものは初めからないのかもしれないけれど、それにしても希望や目標を掲げて前へ進もうと思っても、簡単に不調の波に攫われてしまう。

一喜一憂したところでしょうがないし、もはやそういうものだと思って大局的な目で見るしかないのだろう。不調になっても折れない心が切実に欲しいけれど、それは叶いそうにないので、改めて自分の今できることに目を向けて励む他ない。

そういうわけで以下の本を注文した。

孤独の達人 自己を深める心理学 (PHP新書)

孤独の達人 自己を深める心理学 (PHP新書)

 
人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

 
NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

  • 作者:諸富 祥彦
  • 発売日: 2013/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

諸富先生の本は『孤独であるためのレッスン』がとても良かったのだが、内容が幾分か古い箇所もあったので、さらに著作を読みたいとかねてから思っていたところに、amazonのおすすめで『孤独の達人』が出てきたことから購入することにした。

孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

  • 作者:諸富 祥彦
  • 発売日: 2001/10/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 またフランクル『夜と霧』は、諸富先生が手がける著作ということもあり、また同じく「100分de名著」の岸見一郎『三木清 人生論ノート 孤独は知性である』に出てきて感銘を受けたこともあって、手軽に読めるものを今は読みたくて手に取った。

こうして本が次の本へと誘ってくれるのは数ある読書体験の中でももっとも喜ばしいことのひとつだと云えるだろう。 

 

本当は今すぐにでも電子書籍を買って読みたかったのだけれど、電子書籍の知識の定着率が今ひとつよろしくないなということを実感している。

それは『スマホ脳』にも書かれていたことではあるが、実際のところ主人と本の話をするのに、電子書籍では詰まってしまうことが多々あって、自分の血肉に変えていかねばならない読書という行為にとって、いささか致命的なのではないかと思い至った。

スマホ脳(新潮新書)

スマホ脳(新潮新書)

 

とはいえ本棚に限界があるのもたしかだし、すでにキャパオーバーを起こしているので、今後は電子書籍もうまく使い分けながら読むことにしたい。

むろん金銭的な問題もある。送料込みだと電子書籍の方が安い場合もあるので、この場合は電子書籍を選びたいし、さまざまなシチュエーションに合わせて使い分けたい。

 

生きている意味が分からないということは主人にも伝えた。

「いきなりこういうことを伝えられる身にもなってみろ」と自戒してこれまではあまりそうした話はしないようにしていたのだけれど、ある時ふっと自殺行為に類するもの及んでしまうことがあったら、主人もさぞかし落ち込むに違いない。

今は主人のおかげで生かされていると云っても過言ではないけれど、あまり依存しすぎたくはない。 主人がいなければ生きていけないというのでは、それこそ生きている価値がない。

私は私の人生に価値を見出したいし、そのために自分の手で希望を作り出さねばならない。

今は図書館エッセイ本と詩歌本を仕上げることと、年間200冊の本を読むことが目標になっている。 図書館エッセイ本の初稿は現時点で約2万字になっている。さらに書き足して3万字程度になったら推敲をしてKDPとして出版したい。

詩歌本の方は少しずつ散文詩を書いている。まだまだ完成にはほど遠いが、印刷所と契約するわけではないので〆切は明確には設定していない。でき上がったら出版するつもりでいる。とにかく今はあまり自分を追い立てすぎても仕様がない。

小説はその次の地点として設定しておきたい。体調の良し悪しで小説を書けなくなったとしても、複数の選択肢を設けておくことは私が生きる支えになるだろう。

 

ここのところは悪夢を観なくなってきたこともあり、PTSDの再燃の症状はいくらか緩和されたのかもしれないけれど、ネットで性的な問題を扱ったニュースが目に入るたびに心が落ち着かなくなってしまう。

一方でカクヨムで反応の通知がきても、LINEの通知がきてもあまりびくびくせずに済むようになってきたのは進歩だと云っていいのかもしれない。

カクヨムを拠点にできそうだということになると、各種コンテストへの参加も視野に入れられるのかもしれない。Twitterで日々宣伝を打つよりも遥かに弱いのが難点ではあるけども。

少なくとも自分の拠点を少しでも広げておけるということは、今の私にとってはささやかながら大きな希望となりうる。

実際のところ昨日も書いたように、詩の方にちらほらと評価をいただいていることもあり、大きな励みになっている。

kakuyomu.jp

Twitterを離れざるを得なくなった今、こうした交流の場は本当に貴重だし、大切にしなくてはと改めて思う。

 

今日のお茶は三度。うち一度の紅茶は充電切れで撮れなかった。

朝はお〜いお茶の玄米茶をいただいた。

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主人にお〜いお茶俳句の講評をしてもらうのが毎回の楽しみで、今回はLINEで送ったところ、蕪村の句を引き合いに出して批判した上で、彼のとぼけた自由律俳句が返ってきた。

主人は時々調子のいい時に自由律俳句を詠むのだが、その俳味はなかなか私には醸し出せない。

ちょうど又吉直樹がそうした自由な詠みぶりの俳句を作っていたなと以前話したのだけれど、あれは彼ほど知名度があるから成り立つのであって、無名の自分にはできないと主人は云っていた。

 私は詩を十年、俳句を五年やってきて、詩歌集をKDPで出すつもりでいる。

むろんプロの仕事には遠く及ばないし、同人でお茶を濁しているだけだと云うこともできるけれど、自分の詠みたい俳句をただ詠んでいたいだけだから、プロを志向するよりも同人で好き勝手にやっている方がいいのだろうと思う。

できれば詩歌集は紙の本で出したいという気持ちもあるけれど、現時点ではKDPでの出版を考えている。

 

昼食には久しぶりにアメリカ風プレートを作った。

希死念慮が強かったこともあり、内容はかなり簡素で、ハニートーストとアールグレイというメニューになった。

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これにはNHKテキストの『趣味どきっ! 人と暮らしと、台所』で紹介されていた、高山なおみさんの朝食がヒントになっている。

 私としてはできるだけたんぱく質なども摂りたいのだけれど、それでも簡素なメニューでも「高山なおみさん風」と捉えるといくらか気持ちも楽になる。

彼女の著作もかねてから気になっているのだけれど、未だに読めずじまいでいる。

 

こうして振り返ってみると多くの本に支えられて今の私があることを実感せずにはいられない。

たとえ軽めの本であったり、ノンフィクションであっても、それらは間違いなく私の糧となっている。今は手当り次第に読めるものを読み、書けるものを書いているが、そうして足掻いていることそのものに意味を見出してもいいのかもしれない。

茂木健一郎氏の本に次のような一節があった。 

孤独になると結果が出せる

孤独になると結果が出せる

 

 結果を離れて、自分の内にあるものをトコトン追求すればよいのです。自分の外にあるものが自分のコントロールの範囲外だということを十分に認識し、結果にはとらわれないことが大切です。

だからといって「結果を出さなくていい」というわけではありません。最終的な結果ばかりに意識を向けすぎないようにし、行動の一つひとつにきちんと目を向けるのです。

結果が得られるのは、「これをやりたい」「こんなふうにやってみたい」という自分の内にあるものをトコトン追求した末に、それが実現したときです。その実現には、無数の行動が不可欠。無数の行動をしなければならないから、時間もかかります。しかもその一つひとつの行動は、極めて地味なものです。

この地味で単調な一つひとつの行動、それ自体を「報酬」にできると、先の見えない長い道のりも落ち着いた気持ちで歩むことができます。行動すること自体が楽しくなり、極端に言うと、結果などおまけのように思えてくるのです。

──茂木健一郎『孤独になると結果が出せる』廣済堂出版、2020年。

 こうして気持ちが折れそうになりながら、日々苦しい想いをしながら本に触れることそのものが有意義な価値をもたらしてくれると今は信じたい。

たとえ結果に結びつかなくても、こうしてブログの糧とすることはできるし、ひいてはそれは自分自身の心の糧ともなりうる。

過程を楽しむ心持ちを持てるように、このあとも原稿の執筆に励んだり、読書をしたりして過ごしたい。