ANIRON

ひとりごと日記

2021.05.09 孤独のコペルニクス的転回と土偶のこと

昨夜はあれから極度のうつ状態になり、結局5時まで眠れず、起きたのは13時ごろだった。

睡眠のリズムが乱れっぱなしになっている。

このままでは最悪のケースに至りかねないので、明日病院に電話をかけてみようと思っている。

もはや自分の意思の力だけではどうしようもない。

主人には自分でどうにかするしかないと云われてしまったけれど、いかんともしがたい不全感や疲労や絶望で眠りにつけないのだし、自力で一刻でも早く眠れるのならとっくにそうしている。

PTSDの症状もあって悪夢を観ることも多いし、うつも悪化していて、医療的なアドバイスがどうしても必要だ。

もっとも医師は入眠する時間はあまり問題にせず、眠れていればそれで良いと云うのだけれども。

 

そういうわけでいよいよ精神的に限界を迎えてしまって、起きてから一時間ほど放心状態だったが、なんとか野いちごジャムトーストとアイスコーヒーのブランチを摂った。

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見かねた主人が散歩してきたらと勧めてくれて、あまり気乗りはしなかったのだけれど、図書館の本の返却日も迫っており、予約図書の受け取りもしなくてはならなかったので、久しぶりにひとりきりで外に出た。

用事を済ませて図書館へ行った。

図書館は予約のみ受けつけていて、館内への立ち入りはカウンターのみという有様だった。感染対策とはいえ、やはり図書館のそうした姿を目の当たりにすると悲しい。

その後書店にも立ち寄ったのだが眩暈がひどくてあまり長居はできなかった。できればじっくり書棚を観たかったのだけれど、人が多くて不安感の方が勝ってしまった。

暑いさなかに延々と寒気がするので長袖を着て歩いていたこともあり、帰る途中で息が切れて、ポカリスエットを買って少しだけ立ったまま休憩した。

いつもなら無理をしてでも歩くのだけれど、今はメンタルの調子がまったくよろしくない上に、熱中症の危険性もある。

こうして休憩を挟むことは主人が身をもって教えてくれたことだった。

そうして水分補給をしてふたたび歩いて帰った。

道中、カーネーションが売られていたり、ケーキが売り切れていたりと、世の中は母の日でにぎわっていたけれど、私は母にはなれないし、母の日にはそれぞれにギフトを贈ったけども、実母との関係は毒親ということもあってよろしくない。

なんとも私には縁のない日だなと思う。

 

図書館では予約していたノートやメモに関する本を借りた。

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また諸富祥彦『孤独の達人』が届いていて読みはじめた。

孤独の達人 自己を深める心理学 (PHP新書)

孤独の達人 自己を深める心理学 (PHP新書)

 

 受動的に孤独にならざるを得ないという状況を脱して、孤独であることを肯定するところから孤独のコペルニクス的転回が起こるという趣旨で、それは身をもって味わっているから、改めて他人の書いた言葉として読めて良かったと思う。

また孤独であることを楽しむためには、とにかくこだわりを持ちつづけることと、寄り道を楽しむことが説かれていて、私にとってこだわりを持つ対象は、やはりこうしてブログに文章を書き綴ったり、詩歌を書いたり詠んだりすることだなと再確認した。

SNSにおける承認欲求の箇所も興味深かった。

本来、マズローの説く承認欲求には他者から与えられるものと自己自身で承認欲求を満たすことの二面性があって、SNSにいると前者だけに偏ってしまい、人間としての精神的な成熟には至れないという趣旨のことが書かれていた。

ちょうど先日脱SNSの記事を書いたばかりだ。

evie-11.hatenablog.com

たださまざまな側面からSNS断食について語ることができるけれど、承認欲求というSNSへと人々を駆り立てる原理と正面から向き合わなければなんら解決の糸口にはならないのだということが、この本を読んで良く分かった。

承認欲求をはじめとして、さまざまな刺激を与えることで、SNSがギャンブルのような快楽をもたらすということは、『スマホ脳』にも書かれている。

スマホ脳(新潮新書)

スマホ脳(新潮新書)

 

 だがその対処法は運動とあるのみで、やはり根源的な解決には至っていない。

『デジタルミニマリスト』では上のブログ記事にも書いたように、アナログの紙に思考を落とすことと、テキストメッセージではなく、音声を用いてで話すこと、手作業をすることなどが挙げられているが、それも承認欲求という飢餓状態からはSNS中毒の人間を救ってはくれない。

この『デジタル・ミニマリスト』には孤独の効能についても書かれているけれど、それも限定的な意味合いでしか語られてはいない。 

やはりさまざまな視点から本を読むことで、複合的・総合的に知識を得て、糧にしていかねばならないということを強く感じた。

Twitterにいてはろくに本も読めないし、書影や積読本のタイトルや作家の名前の羅列でマウントを取り合うことに終始して、何ら生産性も上がらない。

孤独に入り浸って本を読むということを、もっと積極的に評価して、その結果をこうしてブログに反映させられることを喜びとしたい。

 

それからお菓子をつまんでいたら、主人に外食しないかと誘われて、中華店で味噌ラーメンをいただいた。ライスは手をつけずに残した。

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飲茶『史上最強の哲学入門』を読み終えたとの由で、主人からは哲学の話をさまざまに聴いてとても興味深かった。

史上最強の哲学入門

史上最強の哲学入門

  • 作者:飲茶
  • 発売日: 2016/08/05
  • メディア: Kindle
 

 諸富祥彦『孤独の達人』にも哲学の論説が随所に盛り込まれている。

こうして本を読んだ人からさまざまな知を分け与えてもらったり、議論を深めるのも意義のあることだと思う。

レヴィナスの説く他者の不可知性は、上の諸富氏の説く他者からの理解を得られないことを前提として孤独を深め、肯定的に捉えることにもそのままつながっていくし、やはり知というものはどこかでつながっているのだなと感じる。

 

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それから帰宅してアールグレイと長崎銘菓おたくさでお茶をしながらDr.STONE3話を観た。

今のところそこまでハマれずに観ているのだけれど、世界観の魅力は伝わってくるし、司との対決が今から楽しみだ。

 

それから主人と別れて部屋に帰ってこの日記を書いている。

Twitterから離れざるを得ないことに対して、さまざまな葛藤を抱いているし、孤独であることを100%肯定できているかというと、決してそうではない。

ただ日々日記を書いて、こうして読んでいただいたり評価をしてくださる方がいて、その方々のために言葉を届けたいという想いでまた筆を執る。

それは言葉を介したわかりやすいつながりではないし、麻薬的に承認欲求をダイレクトに満たせるものでもない。それでもこうして誰かに言葉が届いているということ自体に深く感謝したい。

この日記がなければ私は3月末からつづく絶望的な状況にとても耐えることはできなかっただろうし、現に今も日記がなければ生きてはいけない。

どこにも居場所がないと思いつづけて久しいけれど、この場所は私にとってかけがえのない居場所なのだと改めて思う。

日記が私を生かし、読者の皆様が私を生かしてくださっていると思っている。

改めてお読みくださり、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 

追記

深夜には飲み会になって、軽いおつまみをいただきながらふたたび本の話で盛り上がった。

主人が和本で読む漢文読書会で話題に上がったという『土偶を読む』の話になり、紹介記事を読んでさまざまな視点から問題点を挙げると、「きみは日本古代史を専攻していたし、本を買ってくるから解説してくれ」とのこと。

jbpress.ismedia.jp

土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎

土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎

  • 作者:竹倉 史人
  • 発売日: 2021/04/24
  • メディア: 単行本
 

記事を読んだ限りのことを書いておくが、土偶にはハイヌウェレ型神話がベースにあって、大地母神を表わしているというのは揺るがしがたい定説なのだが。

そもそもハイヌウェレ型神話そのものが穀物神が殺されたことで穀物が生まれるという神話の類型を指すので、この著者が語っていることは今さら説くまでもないし、そもそも大地母神穀物神というものはほぼ不可分だ。

一万歩譲って大地母神ではなく植物の神を表わしているのだとすると、祭祀の道具が土偶しか残っていないというのはあまりにも不自然であるし、その他にもさまざまな祭祀にまつわる道具があったはずだ。

当時から住居はあったわけで、植物の神を祀る建造物の痕跡などもあってもおかしくないし、祭祀というものは総合的に成り立っているので、あるひとつのものを持ち出して、成立年代に大きな開きがあるとはいえ、記紀神話にもまったく痕跡が出てこないような信仰があったというのはあまりにも軽卒な見方だ。

また古代の日本といっても他の地域との交流がまったくなかったというのは大きな間違いであるし、東アジア全体として視点を広げて考えなければならないので、類型となる祭祀の形が東アジアの他の地域にも見られないのだとしたら、それはかなり怪しいということにもなる。

さらに云えば古代人の心性を単なる物証ひとつで語る乱暴さにもほとほと呆れてしまう。ただの妄想だとしか思えない。

 

そもそもこういうものに対して真面目に反論するだけ愚かしいし、 恩師の指導もあり、半端な本やトンデモ本は読まない主義なのだが、主人が食いついてくるので、致し方なくそういう話をした。

おそらくまっとうな人なら相手にもしないし、古代史なんていちいちトンデモ論と付き合っていてはいくら身体があっても足りない。

それにしても自分の勉強不足にはほとほと嫌気が差す。

ここのところ気になる本がどんどん出ているので、古くならないうちに買って読まねばと思っている。

出雲神話論

出雲神話論

  • 作者:三浦 佑之
  • 発売日: 2019/11/25
  • メディア: 単行本