昨夜は2時まで主人と飲んで、11:40ごろ起床。
飲み会で得たものについては創作ブログに記事を仕込んだ。
起きて、いかんせん調子が上がらないまま過ごすことになった。
軽い発作が断続的に出るし、めまいもひどい。長年向精神薬を服用しているので、めまいは副作用として仕方ないのだが、かといって薬を飲まないというわけにもいかない。
医師の指導のもと、減薬は何度か試みたもののいずれも失敗し、医師からは「あなたの場合は減薬は難しいですね」と云われている。
このまま一生付き合っていくしかないのだろう。
リモートワーク中の主人が昼休みを取るというので、ルピシアのアフタヌーンティーをいただいた。
それから記事を一本書いて、本を読んだ。
図書館から借りてきた本はいずれも外れだった。
本を選ぶのも読み手としてのスキルが問われるので、ことごとく外れだとさすがに凹む。
私は元友人が云っていたように、化粧品のタッチアップ感覚で、本が当たりか外れかを恐れて図書館で本を借りるということはしたくはない。
選んだ本が外れたら、外した責任は自分にあるのだし、それは図書館であっても、あるいは買った本であっても変わらない。
学生の頃、恩師に半端な本は選んではいけないということを骨の髄まで云い聞かされてきた。
もちろん学術書で半端な本を選ぶわけにはいかないけれど、たとえ一般書であっても本を見る目は培っておくに越したことはないのだ。
結局一冊は読んで、あとは目次を眺めて中身をざっとたしかめたのだが、図書館から借りてきた本に挙げられているブレインストーミングやマインドマップといったものはすでに実践している。
既存の方法の焼き直しや一般論に終始する本もあり、これが中身を見られない予約本でなければ選ばなかったというものばかりだった。
結局ノート術はこの『情報は1冊のノートにまとめなさい』に勝るものはないなと痛感した。
私はこのノート術に沿ってアナログノートを活用していて、それは今のところ上手く行っているので、それで十分なのかもしれない。
とにかく読みたい本も積読本も山積している以上、読まなくて良い本をじっくり読んでいる暇はない。
今月はまだ6冊しか読めていないし、あと半月でせいぜいがんばって挽回しなくてはならない。
それから残っていた昼の紅茶を温め直しておたくさとともにいただいた。
そのあと図書館エッセイ本の初稿ができ上がったので、宣材を作った。
詳細についてはこちらの記事に書いたので割愛する。
こうして宣材を作ることは普段ビジュアルを扱わない人間にとっては良い刺激になる。
本当はニューヨーク市立図書館の画像を使いたかったのだけれど、無償で手に入る場所がなかったので、やむなく別のものを選んだ。
表紙もこうしたデザインをベースにして作ろうと考えている。
ちなみに素材はイラストACと海外のロイヤリティフリーサイトからいただいた。
そのあと主人とともに夕食をいただいて、Dr.STONEのつづきを観た。
話が転がっていくさまがまた独特で、従来のバトル漫画とはまたひと味違う。
結局の所千空の魅力だけで引っ張って行く作品なのだなと感じながらも、それでも千空があらゆる知力を尽くして状況を打破していくさまは観ていてわくわくしてくる。
今のところキャラクターの中では病弱な巫女という設定のルリが好みなのだけれど、彼女の病は無事に癒えるのだろうか。今後の展開も楽しみだ。
夕食が味噌仕立ての和食だったこともあり、また実家から筑紫餅をもらっていたので、彼杵茶でお茶をした。
筑紫餅は主人も気に入っているようで、美味しいと喜んでくれた。
それから部屋に帰ってこの日記を書いている。
次は何を読むべきか、ここで改めて考えてみたい。
ひとまず小説を自分の中に取り込むだけの余裕がまだないので、小説は除外するにしても、これ以上軽めの本ばかり読んでいると、今度は自責感に駆られて消耗してしまう。
詩歌の書評も構想している詩歌本に入れようと思っているし、詳細はまた別途創作ブログに譲るが、昨夜の飲み会を契機として、この機に俳句から短歌へ舵を切りたいので、やはり短歌を読みたい。
塚本邦雄の歌集『閑雅空間』を読んで、うまく咀嚼できないままになっているので、塚本邦雄を扱った『角川短歌』を読みたいし、積んでいる松野志保や葛原妙子の歌集も読みたい。
さらに佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』や川野芽生『LIlith』も再読したい。
まだまだ歌人には疎いため、積んでいる短歌雑誌も読みつつ、新たな短歌との出会いも楽しみたいと思っている。
結局のところ私は何らかの形で創作に携わっていないと生きていけない人間なのだということが厭というほど分かった。
それはブログを書いたり、こうして日記を書くこともそうだけれども、それを電子書籍という形に昇華させたり、あるいは投稿を志したりしないと、たちまち地に落ちてしまう。
結果が出るかどうかは二の次で、とにかく志を持って前に進もうとしなければ、たちまち深い沼に足を取られて沈んでしまう。
因果な生き方だと思うし、創作から離れて生きられるのならその方が幸せだと思うけれど、それでもそういう性分なのだから仕方がない。
いずれ小説を書くことに戻れるかどうか、今は分からないが、とにかく今できる範囲のことを精一杯やるしかない。
結果が出ても出なくても、そういう生き方しか選べないのなら、たとえつらくても進むしかない。