昨夜から断続的に妙に強いかゆみが出ていて、ヘパリン類似物質を試したもののあまり効果がなく、乾燥のためかと、ニュートロジーナを注文した。

Neutrogena(ニュートロジーナ) ノルウェーフォーミュラ インテンスリペア ボディエマルジョン 超乾燥肌用 ボディクリーム 無香料 単品 250mL
- 発売日: 2016/09/11
- メディア: ヘルスケア&ケア用品
それでも終日かゆみが引かないどころか、いよいよ強まるばかりなので、明日外に出る元気があればの話だが、皮膚科に行ってみようと思っている。
考えてみればアレルギー体質で、これまでにもジベル薔薇色粃糠疹や皮膚疾患は時々出ていたし、もともと敏感肌で肌があまり強くないのかもしれない。
フィジカルもメンタルもあらゆる病気に冒されて、本当に参ってしまう。
そうしていよいよ参ってしまったので、自分へのお見舞いにとフランス製のアンティークのマリア像を撮った。
なんだかんだでキリスト者になる機会を何度も逸してしまっているのだけれど、そんな至らない私もマリア像は見守ってくれていると信じたい。
それから図書館エッセイ本の原稿の手直しをいくつかして、葛原妙子『憂犬』を読んだ。
散りはてしのちのしばらく總身にさくらの花の影映りゐる
貝の中に婦人の像を彫りこめし異國土産にくさり光れり
刻ずれて打てゐるふたつの時計ありひとつはそびらの暗き部屋より
なにか幽けきゆめをみたりし あかつきにおとろへし藤の花揺れながら
椅子に睡るひとときは醜魔の刻 あらはるる人形のおもてましろき
双眼をうちひらきたる人形にわが磨りしマッチの火は映るなり
耽美的でゴシックな雰囲気が香りながらも、たをやめぶりな歌風に心から惹かれてやまない。私の理想とする歌いぶりはまさにここにあるのだと感じた。たをやめぶりと耽美とは私の中でどこか相容れないところがあって、後者は塚本邦雄の掲げたようにますらをぶりになってしまうのだけれど、その折衷点を見出した想いがした。
モチーフの数々も極めて美的でロマンティックなものばかりで、それでいてどこか不穏さを感じさせるところが葛原妙子の短歌の魅力なのだろうと思う。それでいて露悪には傾かない上品さが感じられた。
そうして励まされて短歌を3首詠んだ。
できれば投稿したいと考えている賞があって、それが9月末日までに50首揃えなければならないので、毎日3首詠んで200首程度の中から50首に絞りたいと考えている。
全体としてテーマを「療養短歌」に設定した。
これは療養俳句の金字塔・石田波郷『惜命』に多分に感化されたということもあるし、私自身長らく療養生活を送っている身で、自分に一番近しいものとして詠めるテーマは病を置いて他にはないのだろうと思う。
むろん耽美的な短歌も好きだし、それを志したいとも思うのだけど、今はもう少し自分に近いところにあるものの中に美を見出したいという想いが強い。
云うなればそれが私にとっての希望の光の象徴なのだろうと思う。
またこれまでの文語ではなく、口語で統一することとした。
投稿する以上は文語の用法を間違えるわけにもいかない。あくまでも素人なので、できるだけ不安要素は排したかった。
もちろん図書館エッセイ本も同時並行で進めなくてはならないので、短歌を詠むのは無理のないペースに設定した。
詩歌本についても作るつもりでいるけれど、ひとまず詩歌は短歌に今は絞りたい。
そうして落選したとしても、選んだ50首は歌集としてKDPで出版してもいいのだろうと思っている。
むろん紙の歌集の方が私も好みではあるのだけれど、販路を広げることを考えねばならないのがどうしてもネックになる。
ひとまずKDPでと考えた方がいくらか気持ちが楽だ。
それからふたたびメンタルの不調で参ってしまって、今日は一本も記事を書けないままになってしまった。
抑うつ状態が重いと、どこかに相談をする気にもなれない。
病院は主治医が休診の日だったし、LINEの相談窓口に相談する元気もなくて、ただひたすらじっと耐えるしかなかった。
やむなく彼杵茶と地元長崎は島原のチェリー豆でお茶をして、ぼーっと抑うつ状態で沈んでいると、主人が帰ってきた。
少しばかり主人と話して、それから参加しているとある小説講座のオンラインサロンにコメントを投稿し、また学生時代から付き合いのある先輩とLINEのやりとりをした。
そうしていくらかでも人の役に立っていると思えないと、到底やっていけない。
人間不信は未だ根強いけれど、LINEの通知で拒絶反応が出ることはなくなりつつある。
PTSDの症状はいくらか治まりつつあるのかもしれない。
振り返ってみれば私は、これまで戻れない場所や人間関係ばかり思い起こして悲嘆にくれたり、人間不信に陥っていたけれど、それでもつながりを持てる場所は残されているのかもしれない。
持病で小説の実作から離れざるを得なくてオンラインサロンはしばらく覗いていなかったけれど、また購読してみるのも違った刺激をいただけるのかもしれない。
人とつながることはまだ怖い。
人間不信もそう簡単に癒えるものではない。
それでも人を通じて役に立てたと思えないと、やはりどうしても自分ひとりの力では生きる意味を見出すことは難しいのではないかと思う。
何も人と和合したり迎合する必要はないし、無理に距離を縮める必要もない。
だが人との関わりを全く断ってしまうということはしないでおこうと思う。
たとえ心底信じられなかったとしても、それでも人と言葉を交わすことには少なからず意義があるのだと思いたい。
それからふたたび調子を崩した。強めの発作も出るし、過呼吸も出る。
頓服薬は飲んだけれど効く気配もない。
アニメも観られないまま主人と夕食を摂り、ルピシアのキャラメレでお茶をして早々に別れた。
主人も連休明けで疲れている様子だった。
夕食の席でさまざまな本の話をした。
疲れていると雑誌を読みたくなる。
特に今はコロナ禍で美術館に足を運ぶ機会もないし、Twitterもやめてしまったので美術品に触れる機会が減ってしまっている。
そういう点で雑誌は理に叶っているし、以前コンビニで見かけて気になった『& Premium』の読書特集の雑誌と、同じ『& Premium』のひとりの時間特集、そしてまたそろそろ和樂も読みたい。
なんと敬愛している白洲正子特集らしく、どうしても欲しい。
しかし各書店を見てみるとどこも売り切れなようで、あのhontoにすら在庫がない。
電子書籍で買おうとは思わないので増刷を待つ他ない。
また図書館に次の本を予約した。
予約本が届くのが今から楽しみだ。
こうして図書館を利用してさまざまな詩歌に触れられる喜びは何ものにも代えがたい。
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』はできればすぐにでも手元に欲しいが、あいにくと少々懐具合が寂しいので、またいずれ別の機会に買うことにしたい。
復刊した『世界が海におおわれるまで』もとても良かったことだし、いずれにせよ手元に置いておきたい。
こうして欲しい本ばかり増えてゆく。
気になっている本はまだまだ他にもたくさんあるので、順次迎えられるようにしたい。