PTSDに関する夢を見て起きてから、いささか軽躁気味な一日だった。
家事を片づけて図書館へ行き、予約していた歌集を受け取ったら、注文していた『はつなつみずうみ分光器』が届いていた。
詳細はこちらの記事に書いたので重複は避けたい。
今日のお茶は二度。
アメリカ風プレートの昼食を摂った。紅茶はルピシアのアフタヌーンティー。
たまにはこうして出来合いのものを買ってきて並べたっていい。好きなものを食べたっていい。
平日の昼間に図書館へ行って帰ってきて好きなものをいただくだけでけっこうハッピーになれてしまうのだなと思った。
夜にはダージリン1stフラッシュ2021をいただいた。
昼間から夕方にかけてはもう二本記事を書いて、短歌を詠んだ。
本当は下の記事はこちらに書くつもりだったのだけれど、創作のことは創作ブログにまとめておきたかったので、そちらに移した。
いつもならば家事をしてブログを三本を書けばへとへとになるはずなのだが、一向に疲れる様子がない。
明らかに軽躁状態で、明日あたりにがたがたと崩れるのは目に見えている。
私の場合は軽躁状態だという認識が明確にあるので、勢い余って誰彼かまわず連絡をしたり、躊躇なく買い物で散財してしまったりということはないのだけれども、調子が良いと感じるとそれだけで不安になってしまう。いわば混合状態なのかもしれない。
あるいはそれを軽躁だと呼べるのかも、私にはよくわからないのだが。
医師からは双極性障害という診断は受けていないし、明白に否定されたので、そこは信頼したいと思っている。
それでも自分自身が複数のメンタルの持病を患っているため、いつ双極性障害になってもおかしくはないと思っている。
念のためにこちらの双極性障害の本を再読したい。
またPTSDによって軽躁状態に陥ることがあるのであれば、ふたたびこの本も読み返したい。何らかの知見を得られるといいのだが。
いずれにせよPTSDの根本的な解決に至っているわけではないので、おそらく今後も繰り返すこともあるのだろうし、その度に著しく傷つくことになるのだろう。
カウンセリングを受けられればいいのだけれど、コロナ禍で病院の受診を控えていることもあるし、さらに高額なカウンセリング代金はなかなかコンスタントに払えない。
自分ひとりで病と向き合うのはなかなかにリスキーだけども、本などを買って読んで、少しでも改善へと向かっていきたい。
とにかく自分の持病とは根気づよく付き合っていくしかないと思っている。
たとえ多くのものを諦めて、夢を手放さざるを得ないのだとしても、最後に残った「書くこと」と「読むこと」という希望だけは失いたくはない。
アマチュアでもいいから私は文章を書きつづけたいし、あるいは短歌を詠んだり、詩を書いたりしつづけたい。
投稿は目指すけども、たとえ結果が出なかったとしても、そこで投げ出したくはない。
もともとあきらめの悪い性格なので、文章を書くことも幼少期からずっとつづけてきたし、周囲の人や、ネットで知り合った人たちが書くことから離れても、私はひとりつづけてきた。
私に誇れるものなんてないけれど、それだけは自分自身を認めてあげてもいいのかもしれない。たとえどんなに形を変えたとしても、書くことだけは手放したくはない。
そうして書きつづけた先に光が見えるのかどうか、今はわからない。
それでも書くことそのものを目的としているし、たとえ誰かに評価してもらえなかったとしても、私はきっと書きつづけるのだろうと思っている。
以前、amazonでアダルトチルドレンについて書かれた本を読んだ。
私自身もアダルトチルドレンなので手に取ったのだが、その著者の方もアダルトチルドレンという特性を背負いながらも、書くことで自分を鼓舞しつづけているのだと本に書いていた。
その姿勢が今こうして私に勇気を与えてくださっている。
もちろんお目にかかったことはないし、本を通じて知り得ただけだけども、それでもたしかに私の勇気につながっているのだ。
この日記を読んでくださっている方も、少なからずつらい思いをなさっているかもしれない。
それでも「これだけは譲れない」というものを心の灯火として掲げつづければ、いつか報われる日が来るかもしれない。今の私はそう願っている。