ANIRON

ひとりごと日記

2021.05.27 自責感に駆られても、少しばかりの善性を信じたい

低気圧と寒暖差でひたすら眠りつづけるしかない一日だった。起きていた時間よりも眠っていた時間の方が長い気がする。

先日追加されたセロクエルの影響もあるのだろうが、それ以上に頭が苦しくてしょうがないし、希死念慮も強い。めまいは終日つづく。

あっという間に鬱転しているので、医師に相談した方がいいのだろう。予約すら取り損ねてしまったままでいる。

生きることにあまりにも疲弊している。

石を積み重ねてもあっという間に不調の波にさらわれる。

ぼろぼろになってもなお生きねばならないのかと思うと途方に暮れてしまう。

私の叔母はガンで40代で亡くなってしまったけれど、私もあまり長生きできないのだろうなと漠然と思っている。あと10年、と考えてもなお果てしなく遠く思われる。

その間に作家になりたいとか、世に出たいとかいう想いもあるけれど、到底叶いそうにない。

いくらプロ作家の先生に認められる実力や、カクヨムコンテストで最終候補に残る力があっても、身体も心もこんなに弱っているのではどうしようもない。

母と対立し、18歳で希死念慮に突き動かされて自殺未遂まで行ってから、余生を送っていると思ってきた。

大学で勉強をするのは楽しかったけれど、持病で就職もまともにできず、医師には働くことにドクターストップをかけられつづけ、8年間付き合った主人と結婚した。

昨夜、主人に「私と結婚して良かったと思う?」と訊いたら肯定的な返事が返ってきたけれど、それすらも信じられない。私は私のような人間とは絶対結婚できないなと思う。

 

友人もほとんどいないし、うつ病の他にもさまざまなメンタルの持病を患っていて働けないし、何のために生きているのかよくわからない。生きる意味は人生から問われているのだとフランクルは云う。

ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。哲学的に誇張して言えば、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。

(『夜と霧』霜山徳爾訳、みすず書房、183頁)

(…)

人間の原点は「人生から問われている者」であるところにある──したがって、人間にできること、しなくてはいけないことは、人生のさまざまな状況に直面しながら、その都度その都度、状況から発せられてくる「問い」に全力で応えていくことである。その状況にひそんでいる真の「意味」を発見し、それに全力で応えていくことである。そして、そうすることで自分の人生に与えられている「使命(ミッション)」をまっとうすることにある、フランクルは言うのです。

──諸富祥彦『NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧』pp56-58

 今私がすべきことは何なのだろう。

家事をすること、ブログを書きつづけること、短歌を詠むこと、オンラインサロンの講義を通じて創作について学ぶこと、図書館エッセイ本を完成させること、そしていずれはホラー小説をきちんと仕上げること……と挙げていくと、少しばかり光が見えてくる気がする。

とはいえいずれも今は果たせない。オンラインサロンに関しては課題を先ほど提出したし、私自身のことも講義で取り上げていただいたので、そこにいくらかの生きる価値は存在しているのかもしれない。

 

昨夜は反出生主義について主人に少しばかり教えたけども、私はそれに与しようとは思わない。

希望を語りつづけることには、絶望を口にするよりも数十倍の努力を要する。むろん絶望を掘り下げるにもエネルギーがいる。それでもなお希望を求めつづけるところに私の少しばかりの善性があるのかもしれない。

 

眠り果てて19時ごろふたたび起きて、主人が帰ってきた。

近くのスーパーで鮎が売られていたから買って食べないかと誘われて、普段主人が魚を受けつけないこともあって、大好きな魚をほとんど食べられない私はすぐに食いついてしまった。

支度をして出かけて鮎を塩焼きにし、冷や奴とキャベツとたまごの味噌汁を作った。

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めまいがあまりにもひどく、キッチンに立っているのもつらくて、何度もさまざまなものを落下させてしまい、パニックに陥ってしまったけども、なんとか用意できて良かったと思う。

自炊はしばらく主人の担当だったけども、料理ができてことは少なからず自信になった。

 

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それから久しぶりにダージリン1stフラッシュを淹れてお茶をして歓談し、部屋に帰ってメールでオンラインサロンの課題を提出して今に至る。

まともに動けない一日だったので不全感しかないのだが、それでも休める時にはとにかく休んだ方がいいということは、『発達障害サバイバルガイド』を読んでみてもよくわかった。

 「休む」という判断を「よく頑張った」とほめてくれる人は、ほとんどいないでしょう。「死ぬ気で頑張れ」という人はたくさんいるというのに、本当にひどい話だと思います。しかし、あなたが「休む」と決めたその判断はいついかなるときであっても、ベターではあるのです、ベストではないにせよ。誰もそれを間違いだとはいえないのです。

いついかなるときでも「休む」という判断は正しい。そして、その苦しい判断をしたあなたは頑張っています。どうか、忘れないでください。

──借金玉『発達障害サバイバルガイド──「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』ダイヤモンド社、2020年。

 休むことを肯定的に捉えることは難しいけれど、それでも本の力を借りることで、いくらかでも前向きに捉えたい。

改めてこの本を再読して良かったと思っている。