ANIRON

ひとりごと日記

2021.05.29 #2 言葉を尽くすこと

朝は11時に起床。

それから朝食を作って、主人とともにいただいた。

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私はバター&野苺ジャムトースト、主人はハムチーズトーストときゅうりのサラダ。

 

それから#1でも書いたようにしばらく昨日の葛藤が消えずに散々泣いた。

主人と話して「がっしりと受け止めるしかない」と云われて、たしかに先方もそれだけ誠意を持って言葉を発していることは分かっているのだから、もう水に流そうと思った。

不信感はそう簡単には消えないし、そう簡単に人を受け入れることもできないけれど、それでもそうした不信感に囚われるあまり自分を追い立ててしまうのもやはりつらい。

適度に距離を置きつつ、それでも関わるべきところで関わっていけばいいのだと思い直した。

そうはいっても心の傷はそうたやすく癒えるものではないのだけども。

 

主人が牧場物語をプレイするのを観戦したあと、夕方に父と電話で話した。

ひとしきり今自分が置かれている状況を話すと、あれこれといろんなことが積み重なってつらいんだねと分かってくれて、やはり言葉を尽くさなければ人には伝わらないのだなという想いを新たにした。

私はこれまで人に対して言葉を尽くすどころか、ぼやかしたり婉曲的な表現に留めたりすることで、できるだけ穏便に済まそうとして生き延びてきた類いの人間なのだ。

正直なところここまで直接的に自分の心情を吐露するのは、この日記ぐらいなのだけれども、伝えようとしなければ伝わらないのだと当たり前の事実にショックを受けた。 

日記はともかく、直接人に愚痴をこぼすのが苦手なので、ちょっと甘えすぎたなという反省はあるのだけれど、それでも状況を分かってもらうには言葉をできるだけ使い果たす必要があったし、それ自体は間違ってはいなかったのだと思う。

 

父はいつものように、ひととおり当たり障りのない表現で私をなぐさめたあと、しばらくちょくちょく電話しようかと提案してくれた。

父に対しては幼少期からほとんど積極的に育児に関わってこなかったこともあって、未だに他人行儀な節があるのだけれど、それでもこうして話すことも、お互いにとって無益ではないのかもしれない。

父は60代前半で、地方公務員として長年勤務してきた。今は定年退職をして、再任用で働いている。ここのところ足腰が弱ってきたようで、傍から見ても体力がなくなってきているので、毒親である母はともかく、父はもう少しいたわってあげた方がいいのだろう。

その父はここのところせっせと公募にエッセイなどを応募しているらしく、私にも読んでほしいと原稿を送ってきてくれた。

せっかくなので読んで感想を送りたい。

できれば私も図書館エッセイ本の原稿を送りたいと思っている。

 

それから塚本邦雄『緑色研究』を読んだ。

もともと短歌といふ定型短詩に、幻を見る以外の何の使命があらう。現實社會が瞬時に變身し、新たな世界が生まれでる豫兆を、直感によつて言葉に書きしるす、そのそれ自體幻想的な行爲をあへてする自覺なしに、歌人の營爲は存在しない。幻想世界を分析し再組織するには、散文詩が有效であらう。その世界における葛藤と劇を創り、詳述するには小説、戲曲にまつべきものがあらう。短歌は幻想の核を刹那に把握してこれを人人に暗示し、その全體像を再幻想させるための詩型である。

──『現代短歌大系』7巻、三一書房、1972年、51ページ。

旧字体iMacで変換するのはなかなか骨が折れるのでこの辺りにしておくが、塚本邦雄の志向する方向性と、私の求める短歌、あるいは散文詩の形はほぼ一致するのだなという想いを新たにした。

塚本邦雄の数々の試みは、ひとつの到達点をたしかに示しているのだろう。

この『緑色研究』はその証左に他ならないと感じた。

詳細はまた別途創作ブログにまとめたい。

evie-11.hatenablog.com

 

それからブックオフから本が届いた。

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これも創作ブログに記事を仕込んだので詳細は割愛する。

ただ、phaさんの本がいくらかでも今の自分の支えとなってくれることを願うしかない。

しないことリスト

しないことリスト

  • 作者:pha
  • 大和書房
Amazon

こうした本を手に取るのは20代の頃には気が引けていたけれど、30代となり、病める日々がつづく今、なりふり構ってはいられない。

少しでも今の自分の支えとなってくれる本は多ければ多い方が良い。

カウンセリングも満足に受けられない今、少しでも自分の外にあるものを味方につけておかないと、#1でも書いたように、私が置かれている状況はあまりにもシビアだ。

誰かが手を差し伸べてくれるわけでもないし、自分で自分を救わねばならない。だがそれにも限界がある。かといって他人に助けを求めるには、あまりにも人間不信が過ぎる。よって本を糧とするしかない。

思い返せばどんな時でも本は私の傍らにあって、私をいつも支えてくれた。

かつては図書館がそうした場を提供してくれたし、幸いなことに、今は家そのものが読書の大きな拠点となっている。これも主人が本好きで理解があって初めて成り立つことで、そこにまずは感謝したい。