0時頃寝て11時ごろ起床。
月経困難症に見舞われて外出はできたものの、その後はダウンしてつらい一日だった。
朝食を摂ったあと、主人と話してひとりで外に出かけることにして、UVケアをした。
本当は毎日した方がいいのだけれど、うつで参っていると日々の洗顔とスキンケアをするのでやっとでUVケアまでする気力もない。
ここのところコロナとうつの悪化でコスメへの関心も格段に低下していて、よろしくないなと思いつつ、外に出た。
薬局のキャンメイクに新作に惹かれたものの、「コスメを買うお金があったら、今は本を買いたい。とにかく毎日読むのは本で、コスメは毎日使うわけでもないし」という想いが勝ってしまって、書店で散財した。
とはいえキャンメイクの新作もかわいいと思う。
色味が強すぎるので私の理想とする仕上がりにはならない気がして手を出せずにいた。
どうしてもトーンの強いブラウン系シャドウには苦手意識があって、何度か処分したこともあり、見送らざるを得なかった。
個人的に気に入っているブラウンシャドウはCLIOのもので、薄づきなのが淡めのトーンが好みな私にはうれしい。
買った本はこちら。
穂村弘は歌人ということもあり、また日参しているブログ「関内関外日記」で何度も取り上げられていたので興味を持ったのだった。
目次を見てみるだけでも多種多様な小説や詩歌を読んでいることが窺われて、私もこれを励みに頑張らねばという想いを新たにする。
帰宅した私が体調を著しく崩して発作を起こしていると、リモートワーク中の主人が部屋から出てきて、私が買ってきた本をぱらぱらとめくりながら「俺も頑張らないとなぁ」とつぶやいた。
主人は私よりよっぽど本を読む人なので、私もさらに励まねばと思う。
そうした想いもあって、引き続き塚本邦雄の歌集を読み、買ってきたばかりの&premiumを読み進めた。
まだ途中なので感想はひとまず置いておく。
それから座っていたのだけれど、どうしても気分が悪い。
何か原因があっただろうかと思ったが、どう考えてもTwitterを再開したことに要因がありそうだ。
身内アカウントを再開したことは創作ブログにも書いて、こちらはほぼ通知が来ないのと、見知った人しかいないのでいいのだが、創作・読書アカウントは通知が来るたびに不安定になる。
昨夜は悪夢も観たし、やはりPTSDの余波はつづいているらしい。
通知を切っても無駄だし、どうしても生理的に無理なのだから、もう致し方がない。
やはりブログを拠点とする他ないのだと思う。
再開した途端にさまざまな想いが頭をもたげて不快な気分を助長したのもよろしくなかった。
もうあの場所には戻れないと考えよう。
宣伝等に差し障りはあるのだろうけれど、カクヨムコンテストに応募する気もないし、同人誌を作る予定もない。
KDPは在庫を抱えるリスクがないし、のんびりやっていればそれで十分なので、大した負担にはならずに済む。
同人作家同士のさまざまな本のやりとりや、交流なども何かと煩わしい想いをしてきたし、その場から退いて日々短歌を詠むという行いは、私にとってかけがえのない安らぎをもたらしてくれている。
それで十分なのではないだろうか。
そうしてあまりの気分の悪さに起きていられず、横になって短歌を14首ほど詠んだ。
昼間、図書館で療養短歌の歌集を読んだけれど、どうにも読んでいられなかったので借りずに返した。
同時に自分が志向する療養短歌とは、やはり療養俳句の金字塔・石田波郷『惜命』の輝かしい光の恩恵に他ならないと思い至る。今一度再読したい。
そうして古書といえば、上に書いた&premiumの読書案内に皆川明氏の所有している智恵子抄があったことを思い出す。
智恵子抄は私は岩波文庫の『高村光太郎詩集』で読んだきりだけども、その古書の佇まいの美しさに惹かれるものがあった。
検索してみると比較的安価で出てくるので、そのうち手元に迎えたいと思う。
実は智恵子さんのことは個人的に「ちいちいさん」と呼んでいる。
「千鳥と遊ぶ智恵子」から取ったものだけれども、主人からは「雨伽は自分を智恵子さんだと思う?」と何度か訊かれたことがあって、うまく答えられなかった。
「ちいちいさん」に比するには私はあまりにも魅力がないし、才能もない。
ただ心のどこかで「ちいちいさん」に自分を重ねている部分は少なからずあるのだろうなと思う。
……とここまで書いてくるとどうしても買わねばならない気がしてきたので、智恵子抄の古書を注文した。
そして『智恵子抄』というと、どうしてもフォロワーの森侘助さんのことを思い起こさずにはいられない。
実は森さんから私に宛ててメッセージをいただいたので、末筆ながら紹介させていただきたい。
森さんとはしばらく交換日記をカクヨムでやりとりさせていただいていたのだけれど、私の不義理で止まったままになってしまっている。
そんな私にも変わらずに目をかけてくださって、温かい励ましの言葉をくださった。
こうして見守っていただけているという実感を感じられるだけで、もう少し生きてみようと思える。
改めてこの場をお借りして御礼申し上げます。