今週のお題「そうめん」
フィジカルの調子が一日悪くてダウンしていた。
といってもおそらく原因は低血圧と月経困難症とうつで、熱っぽさもない。
この季節になると毎年こうして臥せることになるので、今年も夏がはじまったのだなと思う。
二十代前半まではまだ元気だったのに、二十代中頃から著しく体調を崩し、夏はまともに起きていられなくなった。
あの頃のうちに最盛期だったアングラサブカル画廊をたくさん観て回れたことだけが唯一の幸せだったと云っていいかもしれない。学生時代はほとんど友人を作れず、今の主人である恋人と付き合って美術館を巡ったのもいい思い出だ。
今はもう再訪が叶わなくなった画廊もたくさんある。それらに想いを馳せつつ、今ある画廊をできるだけ応援したいと思う。
それから釜玉そうめんを作っていただいた。
食欲がないときは冷奴やところてんが欲しくなるのだけれど、あいにくと家に在庫がなかったので、さっとそうめんを茹でて、鶏ガラスープの素とごま油で和えたそうめんに卵と小ネギ、のりを載せていただく。
食欲がなくてもいくらか食べやすいので、またリピしたい。
それから部屋に帰って短歌を詠んだ。今日は20首。
日差しと暑さがつらいので窓を開けて、鳥のさえずりに聴き入った。
それからクーラーをつけてカーテンを閉め、しばらく横になって短歌を詠んだが、うとうととして眠りに引き込まれてしまった。
禰豆子ちゃんとお昼寝をした気分だ。
この時点で短歌が192首になったので、さらに詠み足して200首に到達した。
詳細については繰り返さないが、ここまで毎日たくさんの短歌を詠んできたことを、少しは誇りに思ってもいいのかもしれない。
主人には「よくそんなに詠めるね。そんな風にたくさん詠める人ばかりじゃないよ」と褒めてもらった。
詩もそうだけども、たくさん書いたり詠んだりしてたくさん捨てるというのが性に合っているのだろう。
いずれはこの詩集に詩を書きためて、いずれ既刊のように詩集を編みたいと思っている。
詩の方は作風の変化もあり、既刊とはまた違った詩集になるかと思う。
短歌に話を戻すと、選んだ短歌は応募規定を超えているし、まだまだ数が多いので絞りたい。
しかし歌集を作るのであれば、その多くを収録できるかもしれない。
まだ装丁については考える余地があるけれど、できれば画像化して配置したいと思っている。いささか読みにくいかもしれないので、先人の歌集なども参考にして考えたい。
今日はダウンしていてまともに本を読めていないので、軽めのものでもいいから何かしら読みたい。
昨夜は眠る前にシモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』を読み進めた。
いかなる情愛によっても自己を牢獄につなぐな。おまえの孤独を守りぬけ。いつの日か、そんな日が来るならの話だが、真の自由が与えられるとき、内面の孤独と友情との対立はもはや存在するまい。
──シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』愛22、岩波書店、2017年、p123
魂のなかで、祈りと秘蹟が罪を苦しみに変える。
他者がわれわれに加える悪を、われわれ自身がおこなった悪にたいする治療薬として受けいれなければならない。ほかに治療薬はない。だれからも危害を加えられぬのなら、われわれが赦されることもあるまい。
自身に加える苦しみではなく外部からこうむる苦しみが真の治療薬である。なかんずく苦しみは不当でなければならない。不当な行為によって罪をおかした以上、正当に苦しむだけでは充分でなく、不当に苦しまなければならない。
という言葉たちが強く印象に残った。
ヴェイユの思想は厳しい。そのいくらかも実践することは不可能なのではないかという気がしてくる。ただ「おまえの孤独を守りぬけ」という力強いメッセージが今の私の支えとなることは間違いないだろう。
こうして『重力と恩寵』を毎夜の習慣として読むことを心がけたい。
今の私にとっては福音のようなものだと思う。あるいはうつ病患者にとって有効な重い毛布に近しい。
今だから読める言葉なのだろうなという想いを噛みしめながら一頁一頁読んでいる。