朝から比較的調子が良かった。
朝ご飯に主人が買ってきてくれた納豆とところてんをいただいた。
主人曰く私の好きなものがだんだん分かってきたとのこと。
なかなか外に出られないでいる私の代わりに、こうして買ってきてくれることが本当にありがたい。
ところてんは常備しておきたいということを口走ったのを覚えていてくれたようだ。
主人に頼み事をするのはものすごく気が引けてしまうので、出られないならばとネットで買うことも多いのだけれど、こうした食品はどうしても頼んでしまう。
ところてんはただでさえ食欲がない私が夏を乗り切るのにどうしても必要なので、できれば自分で買出しに行けるときに備蓄したい。
それから過活動な一日が始まった。
軽躁状態かと思ったのだが、主人にひたすら話しかけるということもないし、衝動買いをすることもなかったので、どうにも判断しがたい。
家事を済ませて、結局14時から19時までひたすらものを書き、あるいは短歌を詠んでいたので、Twitterに割く時間がほとんどなかった。
結局私はブログを書いている方がよほど気が楽なのだろうと思う。
ツイートを連投するのは妙に気恥ずかしいし、その点ブログならばいくら書いても誰も気に留めない。予約投稿機能に救われている。
それから小説のプロットを完成させて、オンラインサロンのプロ作家の先生宛に送った。
詳細はまた別途別ブログの記事に書くつもりでいるけれど、これにつづく文章を書いていたら2000字を超えたので、別の記事にすることにした。
深夜テンションで書いたのでいささか調子のいい文学トークになった。
それからアイスコーヒーと長崎銘菓のおたくさでお茶をした。
我が家はリビングにエアコンを設置できない仕様になっているので、夏場はどうしても冷たい飲み物をいただくことが増える。
そうしたお茶の時間について記事にまとめた。
それから短歌を詠んだ。
この時点で19時辺りで、お茶休憩を取った他はほぼ頭を酷使しつづけてしまったことになる。
小説を書くことを再開しようとしているので、書物と小説をテーマに12首を詠んだ。
ちなみに先日200首に到達したので、これで212首ということになる。
精度がよろしくないなと感じる日もあるけれど、それでも日々詠みつづけていると、発見もある。
できれば佐藤弓生の歌集をもっと読みたい。
私の作風からは少し離れていて、こんな風に美しく流麗な歌ぶりで詠めないけれど、それでも彼女が幻視と写実の狭間で歌を作りつづけていることに勇気をいただいている。
それから主人と夕食をいただきながらDr.STONEの一期を完走した。
現代を生きる人間にとって、村上春樹の云うところの「悪しき物語」に対する「善き物語」はやはり必要なのだという想いを新たにした。
現実はあまりにもどうしようもないからこそ、フィクションという「善き物語」の果たす役割はあまりにも大きい。
Dr.STONEは徹底して性善説に立脚して作られていて、科学への無条件の信頼と、人間を善きものとして祝福する壮大な物語となっている。
1話30分のはずなのに1時間ほどの内容を観たという感触があるほど、話がぎゅっと濃縮していて、少しも飽きさせないプロットの強靭さが本当に見事な作品だった。
他のアニメならば冗長になってしまう話と話の合間も、プロットの力だけで緊張感を保ちつづける技術力の巧みさはすばらしい。
キャラクターメイキングにしても、各キャラクターがそれぞれの役割を担っており、あくまでもプロットの基礎を下支えする存在として作られている。
その分誰かによほど入れこむということはないのだけれど、抜群の安定感で安心して観ていられた。
やはりジャンプ漫画はスケールとクオリティが違うなといたく感銘を受けてしまった。
そのあとさすがに小説をあまり読めていないことに忸怩たる想いを抱き、江國香織『落下する夕方』を100ページほど読んだ。
詳細は上の「性愛の愛憎について」に書いたので繰り返さないでおく。
振り返ってみればよく書き、よく読んだ一日になった。
その後十分に眠ったので軽躁ではないと願いたい。
セロクエルがよく効いて調子が上向いてきているのかもしれないし、もうしばらく様子を見ながら過ごしたい。