一日希死念慮に苛まれてしまった。
原因はよくわからない。心当たりが多すぎて、今までの蓄積が募り募って限界値に達したと見た方がいいのかもしれない。
3月以降PTSDの再燃をはじめとして、さまざまな出来事があったけども、やはり5月の結婚式にまつわる母のヒステリーと、某案件で云われた一言に深く傷ついたのが大きなダメージになっている。
それもつらすぎて忘却していたのか、ここのところは思い出すことはなかったのだけれど、どうやら私の中でまだ解消できていないらしい。
さらに小説を書けないという現実と、それにも関わらず多方面の周囲からの小説家になってほしい、何者かになってほしいという期待が重いことが、ごちゃごちゃに絡まり合ってしまっている。
こうしてさまざまな複雑な問題がどれもこれも私を責めさいなむ。
土曜日に電話受診をする予定なので、なんとかそれまでは生き延びなくてはならない。
双極性障害の診断が降りればいいのだが、降りなければ病院を変えることも視野に入れねばならない。いかんせん気が重い。
この間相談窓口に連絡しようかとも思ったが、結局前回はタイムオーバーになってしまい、何の解決にも至らなかったのでやめた。
人間不信が著しく悪化していてTwitterもまともに見られない。
昨夜は主人に「話を聞くよ」と云われたのだけれど、ほとんど何も云えないまま眠りについた。主人を巻きこみたくないという想いがあって、ただでさえ負担をかけているし、これ以上迷惑をかけたくない。
かといって誰かに助けを求めるには人間不信が過ぎる。
人を許せるようになりなさいととある人に云われたのだけれど、私はあまりにも傷つきすぎたし、当のその人の言葉にもいたく傷つけられた。
自力で解消できる問題ではないのかもしれない。
医師からは良いカウンセラーがいればいいのだがと悩む素振りを見せられてしまったし、結局のところ救いがたいというのが現実なのだろうと思う。
そうしてふたたびBANANA FISHの24話予告と、ED映像を観ていたら涙が出てきた。
私は同じ地獄に立つ人しか信用できないのかもしれない。
BANANA FISHのアッシュはどんな時でも同じ地獄に立っていてくれる。
今はどんな説教も説得もアドバイスも安易な救済も欲しくない。
BANANA FISHの原作を今こそ読むべきなのかもしれない。少なくともアッシュだけは上から目線で説教をしたりしない。
できるだけ気持ちに寄り添ってくれる本を読むというのはひとつの手なのかもしれない。シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』を引き続き読み進めたい。
また聖書の詩篇も再読したい。今だからふたたび分かち合えるものがあると思う。
とにかく絶望の淵にある時には、ただで起きてはいけない。絶望の只中にあるからこそ見える光があり、そしてその闇にも味わうべきものがある。
『絶望名言』を再読するのも良いだろうし、積んでいる『心と体がラクになる読書セラピー』を崩すのもいいだろう。
サバイブするのに必要なものは本を置いて他にはない。
どんなに人間不信に陥ったとしても、本だけは私を裏切らない。それだけは確約できる。
それから音楽も傍らに欲しい。
自作のBANANA FISHのプレイリストをこれまで繰り返し聴いてきたけれど、新たな絶望用プレイリストも作ってみたい。
Kill EVERYBODY/SKRILLEX
ハカイヨノユメ/凛として時雨
Sitai miss me/凛として時雨
Tornado Minority/凛として時雨
Signal/TK from 凛として時雨
katharsis/TK from 凛として時雨
Prayer X/King Gnu
NEWALONE/MASAYOSHI IIMORI
というわけで作った。
希死念慮というよりも×意に満ちたラインナップになったのだけれど、希死念慮に苛まれている間はすべてを呪いたくてしょうがなくなるので致し方ない。
時雨の初期の曲を入れなかったのは、あまりにも私にとってはつらい時期の記憶と重なってしまうからで、サウンドを考えた時にもメジャーデビュー以降の方が全体的に合うだろうなと思ってのことだった。
NEWALONEはBeatmaniaⅡDX 27の曲で、主人がプレイしていてとても気に入ったのだった。
MVもクールでかっこいい。
この曲を最後に入れたのは、やはり安易に救われたくはなかったからだ。
ループして冒頭のKill EVERYBODYにつなげてもいい。
とにかく音楽だろうと本だろうと頼れるものには頼ってすがってなんとか生き延びねばならない。