昨夜は1時ごろ眠って11時頃起床。
久しぶりに十分な睡眠が取れたせいか、日中は比較的調子が良かった。
久々にアメリカ風プレートの朝食を作っていただいた。
それからUVケアをして出かけた。
夏の暑さにはほとほと参ってしまう。
夕方から雷雨の予報だったので、早めに帰るためには時間があまりなく、所用をいくつか済ませてくたくたになってしまった。
図書館にも寄って、できればじっくり書棚を見たかったのだけれど、雷が苦手なので足早にあとにした。
ひとまず振込と本の返却だけでも済ませられて良かった。
薬も薬局で受け取って、できれば早めに病院に連絡をして薬の変更を頼まねばならないのだが、どうにもその気力が出ない。
行き帰りの暑さで疲弊してしまい、家に帰り着いた頃にはくたくたになってしまった。
それからしばらくは記事を書いて過ごした。
お供にルイボスティーを淹れて、それをいただきながら何本か記事を仕込んだ。
そうしているうちに楽天でポイントが溜まっている旨の通知がきたので、こちらの二冊を買った。
私の短歌はどうやら耽美主義から離れてゴシックへと向かったらしい。
どう転んでも暗黒風な短歌になるので、こればかりはもう染みついた癖なのだろう。
自分のポジションというものがよくわからずにいたのだけれど、ゴシックという括りならいくらか説明がつくし、新たな居場所を見つけた心持ちになった。
また赤尾兜子の句集も気になって、図書館で『赤尾兜子全句集』を予約した。
本当は『蛇』『虚像』を買いたいのだけども。
赤尾は自裁して最期を迎えたというし、鬱に苛まれながら句作をしていたというので、畏れ多いながらもシンパシーを感じてしまう。
療養短歌を詠んでいる以上、やはり原典に触れてみたい。
これらの詳細はまた別途創作ブログにまとめたい。
それから離れようと思っていたのだけれど、ついTwitterを覗いてしまい、フォロワーさんといくらかやりとりをして、スペースにお招きいただいた。
スペースはなかなか入りづらくて敬遠していたのだけれど、実は少しだけ気になっていて、拝聴だけでもできればいいなと思う。
またその方の短歌も拝見させていただいて、その塚本邦雄風の短歌の数々に心惹かれた。
私も改めて創作に励まなくてはといい刺激をいただいて、短歌を12首詠んだ。
合計で270首を超えて、ひとまず300首まであと30首、しっかり詠まねばならない。
それから強い希死念慮に苛まれてこれを書いている。
セロクエルは昨日から断薬しているものの、やはり胃腸の調子は優れないし、気分の波も著しく烈しい。
おそらく今夜は眠れないだろう。せいぜいこちらのプレイリストをお供に生き延びたい。
こういう時に居場所があればいいのにと思うのだが、あいにくとTwitterはそういう居場所とするには心もとない部分があり、また病みツイートを連投するのも申し訳なくなってしまう。
そういう時に短歌があり、また詩があることに改めて思い致したい。
あれからまた詩を書きたいという気持ちも高まっている。
めったに私の作品を褒めたりはしない主人に、こちらの詩は評価してもらい、主人の友人が手がける音楽に作詞もできるかもねと云ってもらえたことが今はわずかばかりの糧となっている。
夜だから書ける言葉もあるのだろうし、今こうして希死念慮に苛まれているからこそ生まれるものもあるのかもしれない。
今日は短歌はこれきりにしようと思っていたけれど、病みツイートをするよりは作歌に励み、詩作に励んだ方が良いのは明白なので、このあといくらか作りたい。