ANIRON

ひとりごと日記

2021.06.20 詩歌と同人活動のこと

日記を書く気力もないまま深夜になってしまう。

ここのところTwitterが楽しくて、ついそちらに流されてしまうのだけれど、それでも私の本分はこの日記にあると思っているのでつづけたい。

今日は笹井宏之賞にとうとう投稿した。

evie-11.hatenablog.com

ひと月で300首詠んで、そのうちの50首を選んだ。

さまざまな想いが頭をよぎった一ヶ月だった。私には短歌の才能はないなと強く感じたひと月でもあったし、それでも私は私の詠む短歌が好きだとも感じていた。

そうしているうちに詩歌のサークルに招待されて、詩歌をそのサークルのDiscordに投稿するようになったのだけれど、褒め言葉としてはちょっと引っかかる言葉をいただいた。

創作に携わる男の人に嫉妬されるのは私はこれまでにも何度も経験してきていて、その度に呆れてしまうのだけれど、嫉妬をするより先に詠む方も読む方も量をこなすしかないと思っている。

そして経験上、男の人に創作で嫉妬されても何ら良いことがなかったので、アマチュア詩歌サークルを退会した。正直に云えばこの十年、私が仰ぐ「詩人」レベルのアマチュアの詩を一度たりとも見たことがない。それがすべてを物語っている。

群れていてもどうしようもないし、のちほど後述するが、一方的な関係はどうしても疲れる。

またある詩人の詩に関するツイートも興味深く拝見した。

その方もおっしゃるように、やはり量をこなすことが上達への一番の近道なのだとつくづく思う。

たくさん読んで、たくさん作って、たくさん捨てる。

詩歌はこれしかないのかもしれない。

 

そういうわけで今日は歌集と句集を読んだ。

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歌集 鬱の壺

あくまでも写実に根ざした療養短歌で、その切実な響きが強く胸を打つ。こんな風に直截な表現で怒りや悲しみを謳い上げるには勇気が必要で、私にその勇気はないなとつくづく思った。精神福祉関係者の友人にも勧めたい一冊。
療養短歌・療養俳句に必要なのは写実性に他ならなくて、その写実性と真正面から向き合う覚悟と素直さがどうしても必要不可欠なのだろうと思う。それは自分自身の弱い部分と向き合う強さに他ならないから。そして私にその強さはない。

 

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藤原龍一郎赤尾兜子の百句』を読んで原典に触れたいと思って読んだ。署名本を迎えることができたことが何よりうれしい。
死の香りが強く漂う俳句の数々は、私が仰ぐ詩人の詩を彷彿とさせて、無性に泣きたくなった。
前衛俳句でありながらも、そこにはたしかな俳人の息づかいを感じる。兜子という人が切実さを持って死を想っていたこと、それが言語芸術としての俳句に昇華されていることが見事で、これまでに読んだ句集の中でもひときわ異彩を放っている。
できれば『蛇』もいずれ入手して読みたい。 

 

またぼやぼやとしていると日々短歌をコンスタントに詠みつづけられないし、私はネットに大量に投稿をしてインスタントな評価を得たいとは思っていないので、進捗ノートを利用して、ふたたび記録をつけることにした。

shinchoku.net

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また機会があれば何かしらの賞を目指してもいいのかもしれないし、歌集を編むにももう少し量があってもいいなと思う。

それまではひたすら詠みためて、ものによってはネットに公開するけれど、基本的にはひとりでじっくり短歌と向き合いつづけたいと思っている。

もちろん座の文芸としての短歌の役割はほんの少しばかりは分かっているつもりだし、その効用は私自身実感しているけれど、人とつながらない短歌があってもいいのではないかと思う。

 

飲みの席で主人と話をしていたら、「かばん」に入っても良いよと云われたのだが、いかんせん私たちの収入では会費が高すぎるので、しばらくは見送ることになるのだろう。

その代わり、短歌史・俳句史の本を買うと良いとアドバイスしてもらった。

近代詩歌の授業は受けたけれど、俳句・短歌に関してはあまり詳しく教わらなかったので、探して読むことにしたい。

概観はこちらの日本大百科全書で掴めたが、できれば詳細を知りたい。

kotobank.jp

 検索してみると複数ヒットしたので順に読めればと思う。

 またかねてから気になっていた、中井英夫『黒衣の短歌史』も読んでおきたい。 

 

俳句に関しても本が出ているようなので、こちらも併せて読みたい。

 こうして地力をつけていくしかない。

一足飛びに上達を目指すことはまず無理だし、できる範囲でやれるだけのことをやっていきたい。

また歴史を紐解く中で出会う俳人歌人も多いだろう。

その人々の作品にも順次触れながら、自分の短歌や俳句に良い影響をもたらしていきたい。

 

それから夜になってふと柞刈湯葉さんのツイートを思い出していた。

 この精神は本当に大事だなと思う。

同人をやっていると「一方的な関係だな」と思うことが何かと多くてめげそうになってしまうこともある。

もちろん好きな同人作家の作品は買うけれど、それでも一方的に応援しつづけるだけの関係に疲れてしまうこともあって、長らくTwitterから離れていたのだった。

そうした作家の本はすでに手放していて、付き合いのある作家さんの本だけで十分だなと思ってしまう。

相手側の都合でコラボを募集していてこちらが応じても、こちら側に対して一向に原稿を書いてくれない関係に意味はあるのだろうか。

だから同人から距離を置きたいと思ったのはたしかなことで、そこにはそれなりの理由があってのことなのだ。

たとえ小説ではなくても好意的にやりとりができるフォロワーさんは複数名いらっしゃるし、その方々と交流を深めていければそれで十分なのかもしれない。