昨日の一件で詩歌のサークルを退会して、Twitterにいても過去のさまざまなトラウマがよみがえってしまい、Twitterから離脱することにした。
どうにも疲弊しているし、これ以上ストレス要因を増やしたくはない。
Twitterで人と交流するのは楽しかったけれど、それ以上にさまざまなストレス要因が大きすぎて、とても耐えられなかった。
鬱憤がたまっていたので、昼間に図書館へ行って、塚本邦雄『緑珠玲瓏館』を借りた。
アガパンサスの花がもう咲いていて、いつか渋谷区に住んでいたときに毎年花を咲かせるのを楽しみにしていたのを思いだす。
ビタミンNという言葉があるほど、自然は人を癒してくれる。
暑い盛りではあるけれど、こうして自然に触れられて少しばかり気が晴れた。
本当は図書館に長居したかったのだけれど、あいにくと人が多そうな様子だったので、予約本を受け取るにとどめた。
早く館内をじっくり観て回ったり、資料のコピーを心おきなく取れる日が来ればいいのにと思う。
図書館は私にとってはかけがえのないアジールなので、こうして通ってその恩恵にあずかりたい。
それから帰宅してTwitterの退会手続きを済ませた。
人に嫉妬されて作風をパクられるのは3度目だけれど、やはりとても傷ついた。
その人はブロックしたけれど、Twitterというインターフェースが嫌悪感を掻き立てるので、読書メーターでのネトストによるPTSD再燃と似たようなケースに陥っているのかもしれない。
現にTwitterではないというのに、NHKニュースのスマホの通知が鳴るたびに過敏に反応してしまうので、トラウマとして記憶に残ってしまったらしい。
今は離れるしかない。
やはりブログに拠点を戻して、ひっそり活動していきたい。
もともと大半の人とはいいねを飛ばし合うだけの関係で、交流もさほど盛んな方ではなかったし、ブログの方が性に合うことはたしかなのだ。
情報を得る手段もTwitterに限らないし、はてなブックマークも活用していきたい。
またもともとひとりでひっそりと短歌を詠み、創作をする方が性に合っているし、交流の多寡はさほど気にならないタイプだ。
さらに昨日も書いたように同人作家同士の同人誌をめぐる買った買わないで頭を悩ませるのも馬鹿げている。
そういう意味ではTwitterから離れて正解なのかもしれない。
とにかく今はあらゆる束縛から自由になりたい。
またとあることもあって、つらい想いが増して、到底起きている元気もなかったので横になって短歌を詠んだ。
ぼんやりと死の一字が頭をよぎり、さりとて遂げる元気もないので、眠り伏せる禰豆子ちゃんを眺めていた。
一昨日書いたように複製原画のポストカードを迎えるので、そのために模様替えをしようと思っているのだけれど、それでも今の私には禰豆子ちゃんが必要なのかもしれない。
しかしこの景色にも少々飽きてきている。なんせほぼ毎日終日家にいるので、造花も買い足したい。
そうして少し手近にある景色を変えないと、このまま弱っていきそうな気がする。
折しも主人もリビングの模様替えをしたいと云っていて、テーブルをこたつのローテーブルから高さのあるテーブルに変えることになるかもしれない。
私自身の部屋も、小物だけでなくカーテンなどにも手を加えるかどうか、もう少し情報を集めて考えたい。
淡いラベンダーカラーのカーテンなどは哀しいときでもそっと寄り添ってくれそうだなと思う。
それから主人が帰ってきてTwitterのことを話したら、今は休んだ方が良いと返ってきた。
PTSDのことは主人にもかねてから話しているので、分かってくれる相手がいるだけでありがたい。
人を許すとか許さないとかという以前に、私はあまりにも弱り切っている。
人間不信は根強いし、それが回復しかけたところで断たれてしまったというのが実情なので、回復にはまだまだ時間を要するだろう。
主人と話していると、もっと自分の外に目を向けた方がいいのだなという思うのだけれど、持病で興味の幅が極端に狭くなっている今、なかなか外に気を逸らすことが難しい。
自分の内面を掘り下げることで見えてくるものもあると思っているし、少しずつでも本も読んでいるけれど、もっといろんなことに興味を持てるようになりたいと切実に思う。
そうして新たなものに触れることで創作に活かせることもあるかもしれない。
ふたたびTwitterから離れた今、情報は自分の手で掴まなければならないし、それを励みに本を読んだり、さまざまなサイトに触れていきたい。
今日のBGMは10年来の親交のある学生時代の先輩から教えていただいたilluminate/Smanyだった。
弱っているときにはこういう音楽がやさしく包んでくれてありがたい。