ANIRON

ひとりごと日記

2021.06.26 なにも信じられなくとも文学は信じる

弱り目に祟り目な一日だった。

PTSDの症状が重く、何度も希死念慮とフラッシュバックに駆られて、それでも誰かが手を差し伸べてくれるわけでもない。

相談窓口に相談しても医師に話してくれとのことだし、なんら解決の糸口を見出せないまま終わってしまった。

主人も私の様子に参ってしまったようで一日元気がないようだし、本当にやりきれない。

ひとまず整理しておくと、過去の日記を遡ってみると分かるように、セロクエルの服薬によって希死念慮が増幅しているのはほぼ間違いない。

医師からはセロクエルの服用をやめてもいいと云われたけれど、その代わりレキソタンで対処してくれと云う。

たしかに発作は出ていないのでレキソタンで対処すべきなのかもしれないが、それにしても希死念慮レキソタンではどうしようもない。

 

ひとまず私にできることは三つある。

ひとつは月曜日に医師に再度相談をすること。

希死念慮が強まっていることを訴えたい。

もうひとつはセロクエルの服用を完全に中止すること。

医師の了承も取れたので、断薬したい。しばらくはレキソタンの服用が増えて、ベンゾジアゼピン依存がますます強まるだろうが、致し方ない。低容量を一生飲む覚悟は決まっている。

三つ目は行動療法を実践すること。

できるだけ図書館に通う習慣をつづけたり、できる範囲で家事をがんばりたい。

こうして挙げてみると、ひとまずひとつ目は今すぐ医師に相談するというのは心理的に難しいので、ふたつ目と三つ目から取りかかりたい。

実際に行動療法は実践していて、最近も二度ほど図書館に足を運んだ。

家事の方はなかなかできていないけれど、また明日から励みたい。

 

PTSDに罹って、誰にも助けてもらえない、誰からも理解してもらえない苦しみを厭というほど味わってきた。

その苦しみの深さに絶望し、何度も希死念慮が頭をもたげ、早く楽になりたいと今日だけで何度思ったか分からない。

実家LINEに想いを吐露しても、無理解や拒絶、否定の言葉を投げつけられるだけで、そのたびに消耗して傷つき、不信感が募ってゆくばかりだ。

誰にも頼れないのは分かっていたけれど、弱っているときに改めてその事実を突きつけられると、本当に天を仰ぎたくなる。

この上ない苦しみの中で、それでも生きていかねばならないことにため息しか出ない。

私が死ねば皆「ああ苦しかったのだな」と思うのだろうが、その究極の承認欲求を満たすために死ぬのは莫迦げている。

私は私の人生をそこまで棒に振る気はない。

 

最後の最後に残ったものを希望と呼ぶのなら、私に残された希望は詩歌を置いて他にはない。

そうして苦しみ抜いた末に生まれてきたものを寿ぐことしか、今の私にはできない。

相談窓口の方に、詩を11年書きつづけてきたことを褒めていただけたことは、今日の何よりの糧となった。

kakuyomu.jp

苦しみは果てしなくつづくけれど、それでも私は私の創作を肯定していたい。

昨日は詩を書き、今日は短歌を詠み、折本フェアに短歌24首の折本を出展することに決めた。

evie-11.hatenablog.com

そうして少しでも生きる糧を先延ばしにしておかないと、今は到底生きてはいけない。

またWEB個展を拝見して気に入った、画家のyukoさんの画集をお迎えすることにした。

booth.pm

こちらも届くのが今から楽しみでならない。

 

このあとは萩原慎一郎『歌集 滑走路』を読みたい。

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 今は切実にこの痛みを分かち合える人の書いた作品を欲している。

そして読み終えたら、積んでいる読書セラピーの本も崩したい。

 人間が信じられなくても、人間の書いた文学だけは私は信じられる。

そこには人間のすべてが、喜怒哀楽の根源的なあらゆる感情が詰まっている。

その悲しみに、痛みに、そして喜びに触れたい。