ANIRON

ひとりごと日記

2021.06.28  久しぶりの凪の日

久しぶりの凪の日だった。

要因がよくわからない。眠ったのは1時で比較的早かったが、それぐらいに眠ることはざらだし、セロクエルが体から抜けるにはまだ早い。

結果的に家事をいくつかこなし、ブログを三本ほど書いて、なおも調子が崩れない一日だった。

衝動買いはしたけれど、1400円ほどでとてつもない額というわけではないし、誰彼構わずLINEを送るということもない。

多弁になったり、さまざまなアイディアが頭に浮かんだりすることもなく、4本以上の記事を書いたりもしていない。

医師の見立て通り「単に調子のいい日」ということになるのかもしれない。

ここまで慎重にならざるを得ないのは、双極性障害なら私の場合まず詰むからだ。

ただでさえ複数の難治性のメンタルの持病があって家からほとんど出られないし、将来作家になるという夢もあきらめかけている。

ここにさらに双極性障害が重なると、まずまったく社会的な生活を送ることが困難になってしまう。現状でさえ難しいというのに。

とにもかくにも何度か医師に確認したが、双極性障害ではないというお墨付きをもらって何とか保っている節がある。

とにもかくにも、それほど慎重を期さねばならないほど、比較的安定した一日だった。

 

昨夜はあれから主人に石川桂郎俳人風狂列伝』の岡本癖三酔の箇所を朗読してもらって、その軽妙な語り口にひとしきり笑い転げたものだが、重い精神病を煩って門外不出の生活を送りながら俳句を詠んでいたことなどは、到底他人とは思えない。

ja.wikipedia.org

句風は有季自由律を好んで、今となってはほとんど知られていない俳人なのだろうが、古人にもそのような人がいたのだと思うと、いくらか心がなぐさめられる想いがした。

もっとも癖三酔はその後病状が回復して、富豪然として自動車に乗ってさまざまな所へ足を伸ばしたそうだ。

私の持病はおそらく一生軽快することはないだろうし、なんとも羨ましいなぁと思ってしまった。そもそも癖三酔は一生遊んで暮らせるだけのゆとりがある人だったから、比べる由もないのだけれど。

図らずもそうしてまた近しく心を寄せられる俳人を知って、いくらかなぐさめられた。

 

それから主人が私の短歌を読みたいというので、笹井宏之賞に投稿した短歌50首を送って読んでもらった。

主人は短歌を鑑賞するのが好きで、諳んじている歌も何首もある。

私の作風は主人には意に介さないらしく、褒められることはほとんどないのだけれど、一言「上達したね」と云ってくれた。

詠んだ歌に主人が出てきたのも面白かったらしく、ひとしきり自作の短歌について話せたのは良かったと思う。

歌会などに行けばそうした場も提供されるのだろうけれど、ひっそりとひとりきりで短歌を詠みつづけるのがなかなか性に合っているので、このままかもしれない。

私は私の詠む歌が好きだと、ようやくまた思えるようになってきた。

それは数々の歌集や句集を読んだからであって、今後ともたゆまず学んでいかねばと思う。

 

そうして今日になり、さまざまに記事を書いて過ごした。

evie-11.hatenablog.com

snowrabbit21.hatenablog.jp

専業主婦ブログの日記は、昨日公開した日記と内容が重複するのだけれど、どうしても記録としてとどめておきたかったので、別途書き直した。

こちらの日記には書いていないこともあれば、こちらの日記にしか書かなかったこともある。

創作ブログの記事は、ようやく過去のことを振り返られる心のゆとりが出てきたので書いた。

とはいえ小説を書けない日々がつづいているのはたしかだし、私は私の経験でしか語ることはできないけれど、ひとまず書いて整理をしておきたいという気持ちが勝ったのだった。

 

それからしばらくしてフランスのアンティークショップから聖テレーズ像が届いた。

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どうしても先日お迎えした双子の天使のポストカードと飾りたかったのだ。

調べてみると、聖テレーズは病人、パイロットや花屋、宣教師、ロシアの他に、子どもや弱い者の守護聖人になっているとのこと。

ja.wikipedia.org

それまであいにくとそのことを知らないまま、ただ薔薇を抱えた意匠が美しくて気に入ったので手元に迎えたのだが、図らずもあやかりたい聖人であったと知って、運命めいたものを感じたのだった。

以前図書館で借りた鹿島茂『フランス歳時記』にはこうしたさまざまな守護聖人が紹介されていて、その中にこの聖テレーズもいたかもしれない。

 あいにくと二年前に借りて読んだ本なので記憶が乏しい。

またいずれ手に取る機会を作れればいいと思う。

 

凪の日だというのに、病のことばかり書いてしまった。

全面的な回復は見こめそうにないけれど、それでもなんとか生きねばと思う。