朝からとあることで不安をかき立てられて、その処理に追われた一日だった。
昼間のうちは比較的元気だったので家事はできたものの、一向に心が休まらず、Twitterもほとんど見ていない。自由な時間はあったし、見ようと思えばいつでも見れるのだが、投稿はできてもTLを眺めることができない。
夜になって不安感が強くなり、未だにそれはつづいているどころか強まっている。
不信に思って調べたところ、やはりPTSDの回避行動に由来するものとしか思えない。
何気ない日常の中につらい記憶を思い出すきっかけがたくさん潜んでいます。多くのPTSD患者さんは何度も記憶を呼び起こすうちに、そうしたきっかけを避けるようになります。
どんなことがきっかけになるかは本人でなくてはわからず、本人も意識できないままでいることもあります。
意識できない場合でも、自分で気づかないうちにそうした状況をさけるようになるのです。 その結果、行動が制限されて通常の日常生活・社会生活が送れなくなることも少なくありません。
その不安または恐怖症性の回避は、以下のようなほかの精神疾患ではうまく説明されない。たとえば、社会恐怖(例:恥ずかしい思いをすることに対する恐怖のために社会的状況のみを避ける)、特定の恐怖症(例:エレベーターのような単一の状況だけを避ける)、強迫性障害(例:汚染に対する強迫観念のある人が、ごみや汚物を避ける)、外傷後ストレス障害(例:強いストレス刺激と関連した刺激を避ける)、または分離不安障害(例:家を離れること、または家族から離れることを避ける)。
こうして記事を書いているときにはひとりきりだし、この場所は安全圏だという認識でいるけれど、Twitterでは無数のツイートが流れてきて、さまざまな人がつぶやきを交わすのが怖いのかもしれない。
こればかりは持病なので致し方ないと割り切るしかないけれど、折本フェアも近いというのに、どうしたものかと思う。
できれば出展したいし、交流もしたいという気持ちはある。
誰も彼もが私に害意を向けるわけではないし、親しいフォロワーさん方には本当にお世話になっている。それでも怖い。脳のバグでネットという空間の差異をうまく認識できないため、Twitterという場所そのものを遠ざけてしまいたくなるのかもしれない。
今は体調が最優先で、イベントは二の次だと考えるべきなのかもしれない。
とにもかくにもままならないが、こればかりは病気あってのことなので、私にはどうしようもない。
原稿は揃っているので、脳が比較的安全と認識しているらしいカクヨムにUPしようと思う。
Twitterからも今は極力距離を置きたい。
PTSDの症状がぶり返しているらしく、いいねの通知が来るたびにびくびくしてしまう。
PTSDの再燃であれば一ヶ月以上はこの症状がつづくので、なんとかやり過ごしていくしかない。
気が重いが、医師から勧められた行動療法などを積極的に実践したい。
また昨日はあまり自覚のないままこの記事を書いたのだけれど、むしろこのPTSDという病気をきっかけとして、創作との向き合い方を変えてみるいいチャンスだと捉えることもできるのかもしれない。
悲嘆にくれてばかりいてもどうしようもないし、自分にできることをできる範囲で精一杯やっていくしかない。
その結果がついてこなくても、今は足掻けるだけ足掻きたい。