朝から昨夜買った『ちくま』7月号を読んだ。
最果タヒさんのエッセイを読みたくて購入。
結果的に強さというものの危うさについてしばらく考えて記事を書いた。強さではなく、私は弱さを謳いつづけたい。
それは詩であれ、短歌であれ、変わらない思いだ。他のエッセイや書評、論考にも目を通した。
チョ・ナムジェ『サハマンション』はディストピアSFということでぜひ読みたいし、野呂邦暢『愛についてのデッサン』も同郷の身としては気になる。
また他のエッセイでは有友紗哉香「見つめる鍋は煮えない」に勇気づけられた。外山滋比古『思考の整理学』は私も読んだけれど、こういう風に実践している人がいて、なおかつ短歌を詠んでおられるということで親近感を抱いた。
本はやはり友なのだなと思う。
さらに若狭徹『埴輪は語る』はちょうどヤマト王権の頃を専攻していた身にはなつかしかった。再履修のつもりで『埴輪は語る』を買って読んでもいいのかもしれない。
野呂邦暢は同郷で、主人に勧められて読んだ「鳥たちの河口」がとても良かった。
彼の著作は出身地・長崎市立図書館にずらりと並んでいる。
諫早湾干拓の問題に警鐘を鳴らしつづけた作家として、私はとても尊敬している。
「鳥たちの河口」もまたそうした着眼点に立って書かれた小説なのだが、病弱の妻とのやりとりがなんとも痛ましく、そして物悲しい。その哀切な雰囲気が終始貫かれた佳作だった。もう二度ほど読んでいるが、今一度できれば読み返したい。
有友紗哉香「見つめる鍋は煮えない」は我が身のことかと思うような内容だった。
そんな風にひとつの言葉を我が身に結びつけて、糧と変えていくたくましさを感じるとともに、私の読み方はまだまだ甘いなと自省した。
病弱なのでなかなか着替えられない日々がつづいていて、少し気分を変えたくなったのだった。
ちょうど今着ている無印良品のワンピースがくたびれてきているし、もっと明るい色合いの部屋着が欲しくて検索したところ、私が欲しいのは古式ゆかしいネグリジェなのだと分かった。
ネグリジェというと昭和の小説に出てくるものや、ゾンビランドサガの紺野純子ちゃんの着ているものという認識しかなかったのだけれど、一番リラックスできるのがこのスタイルなのだ。
そういうわけで今後寒くなってきたら、秋用のネグリジェも買うつもりでいる。
それから最近気になっていた、冷茶用の茶器も買った。

- 価格: 422 円
- 楽天で詳細を見る
合わせるとこんな感じになるらしい。
緑茶が好きなので、こうして茶器をもっと楽しみたい。
茶道とは縁遠いところで生きているので、茶道の御点前などはわからないけれど、私がもっぱら日々いただいているのは煎茶なので、煎茶に見合う茶器がほしい。
いつもは陶器の湯呑みを使っているけれど、ゆくゆくは磁器の湯呑みも欲しいなと思っている。
それからしばらく鬱々として過ごしていたので、思い立って主人に以前誕生日プレゼントとして贈ってもらったシルバニアファミリーの小物を使って人形遊びをした。
禰豆子ちゃんもずっと眠っていたままだったけれども、気晴らしも必要だなと思ってお茶会を開くことにした。
ちょうどすみっコぐらしの食玩フィギュアが椅子に収まって、スコーンと紅茶をいただくお茶会になった。
そうして少し気が晴れたので、本棚の整理をして近代詩歌の棚を復活させることにした。
並べてみるとやはり頼もしい。
大手拓次はかねてから気になっているので近々崩したいし、日夏耿之介もさらに読みこむ必要がある。
ちなみに右端のCOCOONは、かつて知り合いで短歌結社コスモスに籍を置いている人からいただいたもので、まだ読めずにいる。
特になにかあったわけではないのだけれど、気づけば連絡が取れなくなってしまったので、もうお目にかかることもないのだろうけれど。
そうして短歌を8首詠んで、今日は不調ながらもやや平穏な一日となったのだった。