一日不調な日だった。
メンタルというよりフィジカルが著しく悪い。月経困難症の症状なのだろう。
やはり命の母ホワイトを再開すべきなのかもしれない。
医師に以前抑肝散を処方してもらったのだけれど、メンタルの不調よりもフィジカルの不調が勝るので、この状況で抑肝散を飲んでも効果はないだろう。
とにもかくにもままならない心身を持て余している。
食欲もなかったので、昼と夕方にお粥を作っていただいた。
思いのほか美味しかったので、また元気のない時に作りたい。
といっても炊飯器で炊くだけなのだけれど。
それから水分補給にと、以前主人が買ってきてくれていたソルティライチを飲んだ。
甘い飲み物はどうしても苦手なので、今後は麦茶なども活用できるといいなと思う。
ルイボスティーもいいのだけれど、おなかの調子を崩しやすいので、あまりたくさん飲むのも考えものなのかもしれない。
その点麦茶ならば安心だろうし、さっそく注文したい。
それから昨日から今日にかけて歌誌や歌集が届いた。
ひとまず読み差しの本があるので本棚に収めたのだけれど、できれば早めに読みたい。
投稿に向けて、さらに短歌を詠む必要もある。
今日は10首を詠んだけれど、そのうち投稿するのにふさわしいものはわずかになるし、できるだけ量をこなさねばならない。
歌集もまだまだ積んでいるものもあるし、もっと積極的に読みたい。
そうしているうちにだんだん希死念慮が勝ってきたので、萩原慎一郎『歌集 滑走路』を再読してひとしきり泣いた。
いきつらなので萩原慎一郎『歌集 滑走路』を再読してひとしきり泣きました。
萩原さんが短歌に賭けた想いが痛いほど伝わってきて、切なくなるとともに、私もがんばらねばと強く思いました。
“抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ
更新を続けろ、更新を ぼくはまだあきらめきれぬ夢があるのだ
きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい
今日という日を懸命に生きてゆく蟻であっても僕であっても”
──萩原慎一郎『歌集 滑走路』
あまりにも切実で直截な言葉がダイレクトに胸に突き刺さる。
彼は命を絶ってしまったけれど、それでもその言葉で今こうして私は生かされているのだなと思わずにはいられない。
私も立ち止まってばかりいられないし、日々地道に励んでいきたい。
そういう経緯もあって、Twitterで短歌の投稿をしている大学時代の後輩にコンタクトを取り、DMを使って歌会を催すことになった。
歌会といってもきちんと様式に則ったものではないけれど、短歌をお互いに見せて評を送り合えればと思っている。
せっかく7/7に結成したので、織姫が布を織るように短歌を紡ぎたいという想いをこめて「おりひめ歌会」と名づけた。
文芸同人サークル・かもめを立ち上げて、もう4年近く経ち、当時の仲間の多くは創作から離れている今、こうしてふたたび創作サークルを立ち上げられたことがうれしい。
どうやら私はどこかに所属するよりも、旧知の仲間とサークルを作り、自分で主宰する方が性に合っているらしい。
いずれはネットプリントなどでも配信できればと考えている。
同人誌はこのご時世なのでなかなか難しいけれど、コロナ禍が明けたらまた彼女と顔を合わせてリアル歌会をしてみたいと思っている。
そういうわけで少し気持ちも前向きになったところにネグリジェが届いた。
開封してみるととても可愛らしい。薄手の生地で綿100%なのも肌にやさしくて着心地が良さそうだ。
そうしていくらか持ち直したかに思えたのだが、相変わらず不調がつづき、水だし緑茶でお茶をして、ひと息ついた。
それでもやはり調子は上がらず、やむなく横になって短歌を10首詠んだ。
夏の虫の声が聞こえてきて、あと何度この声を聞けるのだろうと思うと、妙に侘しくなってしまった。
それからTwitterで七夕の短冊メーカーというものが流れてきたので、便乗して作ってみた。
小説はまた詳しくは創作ブログに書くつもりだが、いったん投稿から離れて、同人に徹して書いてみようと思っている。
投稿を目指すだけの気力も、プロを目指すバイタリティも今の私にはないし、もう少しその競争や闘争から離れたところで、静かに自分の創作と向き合いたい。
昨日はブログを通じて、改めて自分のアイデンティティや立ち位置を確認できた有意義な日になったので、その心の灯火を絶やさぬように、励みたい。