緊急事態宣言で不眠の影響がでて眠れずに徹夜をしてしまった。
LGBTQの記事を読みあさって、さまざまなファッションを見て回って夜を明かした。
詳しくはこちらの記事に書いたので割愛する。
それから無気力きわまりない一日がはじまった。
短歌はかろうじて詠めたけれど、記事はこの一本しか書けず、全体的に低調だった。
ここのところようやく持ち直してきたかと思っていたところだったので、どうにも気が重い。
緊急事態宣言に慣れてしまっている人も大勢いるのだろうと思うけれど、基礎疾患持ちなので、この状況が長くつづくと精神的にも肉体的にも影響が大きい。
なんとか生き延びなくてはと思うけれど、この一年小説を書けなくなってしまっているし、自己肯定感もぐんぐん下がる一方で、毎日必死の想いで生きている。
いい加減楽になりたい。そうはいっても死ぬわけにもいかないし、本当につらい。
そうしているうちにキリスト教への憧憬がふたたび頭をもたげてきた。
やはり改宗すべきなのかとか、神前式は決まってしまっているので、せめてフォトウエディングだけでもチャペルで挙げるべきなのかということが頭をよぎる。
以前にもそうしたことは記事に書いた。
あれから2ヶ月が経ち、ふたたびその想いが巡ってきた。
日々アンティークの聖テレーズの胸像を眺めながら、やはりあこがれを抱かずにはいられない。
もともとコロナ禍が明けたら改宗したいと願っていたこともあり、こう何度も絶望の淵に叩き落されてなお切実に求めているのなら、それが答えなのかもしれない。
周囲の反対は根強いので、なかなか改宗はできないかもしれないけれど、心のよりどころとして、キリスト教のことをふたたび学びはじめるというのは良いことなのかもしれないと思う。
そういうわけでふたたびディスプレイの模様替えをしたい。
折しも母が私のミッションスクール時代の卒業時に贈られた、合唱部の聖歌が入ったCDを流しているとLINEが送られてきた。
タイミングが重なったという他ない。
9月の挙式の折りに持ってきてくれるそうなので、その時にはぜひ聴きたいと思う。
今日のきちんとした形のお茶は一度きり。
和香園の颯をいただいた。
それにしても本を読めない日々がつづいていて心苦しい。
せめて買った歌集や歌誌を読みたいし、読み止しの本も溜まっていて収拾がつかなくなってしまっている。
そのことがストレスを肥大化させているように思えてならない。
いったん図書館の本をすべて返してすっきりさせたいし、読み差しの本はひとつずつ片づけたい。
部屋がすっきりしないとどうにもメンタルの調子に差しさわるので、こちらもなんとかしたい。
そういうわけで本をいくらか片づけて、ディスプレイをキリスト教寄りに変えてみた。
視覚的にも統一感が出て、ようやく落ち着いた気がする。
しばらくこうして様子を見て、また気分が変わったらその都度変えていきたい。