小説の執筆にドクターストップがかかって気持ちの整理がつかず、日記も書けずじまいになってしまった。
それでも日記を書かなければますます参ってしまうことは目に見えていて、現に今日も一日ダウンしていた。
詩歌に賭ける方向にシフトチェンジすると心に決めていても、それでもやはりいざ書けないとなるとつらい気持ちになる。
それでも今はせいぜい自分にできることを精一杯やるしかないのだと思って、Twitter企画のテレッテレーに参加して、詩の校正をして、これなら投稿してもいいのかなと思える作品もできたが、消耗しきってしまった。
短歌を詠むモチベーションもがくっと下がってしまっていて、ここ数日滞りがちになってしまっている。
本を読むことも、なんだか気力が湧かなくて駄目で、ブックオフに行っても書店へ行っても読みたい本を見つけられずに凹んだ。
小説を書くことが読書意欲を下支えしていたのだなぁということを強く実感する。
小説の棚を見ていてもつらくなるばかりだった。
今は詩歌があると思いたいけれど、それだって人に嫉妬されて作風を真似されて、心はもうぼろぼろだ。
そうやって生きていて何が楽しいんだろうという気持ちにもなる。
……ということを11日の昼間に書いて猛烈に死にたくなり、あえなく途中で書くのをやめて夜になった。
結局この11日もずっと低調で、芳しくない週末になってしまったのがつらい。
それでも今はここで終わってたまるかという気持ちがふたたび兆しつつある。
やはり投稿を目指したい。それが今の私にとっての唯一の希望なのだから、精一杯やるしかない。
Twitterにいて嫉妬されてばかりで参っているので、より高みを目指したい。
何も彼らの言動に振り回されて引き摺り下ろされるままになっているわけにはいかないし、私は私のやるべきことがある。
たとえ誰かに見てもらえなかったとしても、それでも励みたい。
片柳神父の『こころの深呼吸』をふと開いたら、次のような一節と出会った。
たくさんの人の前に立つときでも、
緊張する必要はありません。
ただ、自分に与えられた使命を
精いっぱいに果たせばいいのです。
誰も見ていなくても、
たくさんの人に見られていても、
それは全く変わりません。
──片柳弘史『こころの深呼吸』
実は主人と話して、こう何度もカトリックに惹かれるので、やはり改宗をしたいと伝えると、GOサインをもらった。
そういうわけでフォトウエデェイングは候補地だった青山のセントグレース大聖堂で行うことになりそうだ。
こうして心のよりどころが生まれてきたことが今はただありがたい。
改めて詩歌を中心に、自室にあるキリスト教関連書籍を読みあさりたい。