ANIRON

ひとりごと日記

2021.07.12 弱さを生きる

毎日毎日、何のために生きているのかわからない。

それほど調子を崩していて、メンタルもフィジカルもすこぶる悪い。

朝、食欲がなかったのでじゃがいもと玉ねぎのコンソメスープをつくりながら、フォロワーさんのツキャスを聴いていた。

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体調が悪いさなかで生きていくのがやっとだと思って過ごしているけれど、それでももっと大変な病気で苦しんでおられる方もいるのだ、と改めて思う。

私も頑張って生きねばならない。

泣き言を云いたくなることもあるし、むしろ365日泣き言しか云っていないけれど、それでも生き延びねばならないと必死に思っている。

 

しかし相変わらず体調は優れず、ここ一ヶ月胃腸の調子が悪いので、主治医に内科に行くようにと勧められたけれど、あいにくとその元気もない。

それでも今日は薬局に心療内科の薬をもらいに行かねばならないことを思い出し、気がめいりながら支度をして出かけた。

暑さと湿気でマスクをしているとすぐに息苦しくなり、歩くのも遅くなる。

もともと過呼吸持ちなので、この季節の外出はかなり苦行だ。よほど差し迫った用事がない限りは命取りになりかねないので、あまり外出しないようにしている。

 

それでもなんとか薬を受け取って、苦手なスーパーへ行って食料品を補充して、帰路についた途中、交通マナーの悪さに辟易してしまった。

この土地の土地柄なのだけれど、それでも重い荷物を抱えて弱りながら歩道を歩いているさなかに、後ろから我が物顔で歩道を走る自転車のベルを鳴らされるのはつらい。車道を走ればいいのにと、さすがに舌打ちしてしまった。

こうして毒が溜まっていくのだろうなと思う。

歩道を歩いていると、さまざまな人に出会う。特に私の目に留まるのは、杖をつくひと、よたよたとした足取りで歩く人、小さな子どもを連れた親子など、弱い立場の人々だ。とても他人事とは思えない。

彼らを追い越したいと思うのは仕方のないことなのかもしれないけれど、それでも自分が車道側に出て追い越すとか、対面では路を譲るとか、私はできるだけ気をつけるようにしている。

傘を持つ時、日傘を差すときには誰が相手であってもできるだけ気を遣う。

それがマナーなのではないだろうか。守られるべき弱者はどこにでもいるのだということを心に留めておきたいし、できればそういう社会であってほしい。

無性に悲しくてしょうがなくなってしまい、弱々しい足取りで帰宅した。

 

それから帰宅して、ピザーラコラボのすみっコぐらしクリアボトルを開封した。

snowrabbit21.hatenablog.jp

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さっそく使ってみると、サイズ感がちょうど良く、とても使い勝手がいい。

水だし緑茶とルイボスティーをそれぞれ入れてみたけれど、見た目もかわいらしいし、飲みやすいデザインになっている。

主人が甘やかしてくれて買ってもらえて良かったと心から思う。

 

それからしばらく体調が優れずに横になる時間が多かった。

短歌を8首詠んだ程度で、あとはひたすらお茶をしてぼんやりしたり、横になったりして過ごす他なかった。 

最近は塩ヨーグルトにハマっていて、もともと甘いものをそれほどたくさん摂りたくないので、無糖ヨーグルトをそのままいただくこともあれば、ミックスナッツをいただくこともあるのだけれど、塩をほんの少し入れるとディップソースのようになって美味しい。

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 ルイボスティーとともにいただいた。

こうして少しでも気持ちを休める時間がないと、到底やっていけそうにない。

毎日毎日ギリギリの状況が続く中で、それでも短歌が共にあること、詩が友として傍らにありつづけていることだけが支えになっている。

願わくば信仰もそこにいてほしいのだが。

母からミッションスクール時代の卒業CDアルバムのデータを送ってもらって聴いた。

さまざまな想いが去来する中でも、あの時ミッションスクールに通っていて良かったと心から思っている。

ベルを鳴らす自転車に舌打ちするような人間は、カトリックはお呼びではないのかもしれないけれど。

主人に少し前に希望が欲しいと云ったら、「そんな大それたものじゃなくても、楽しみがあればいいのよ、それで」と返ってきた。

それでも私は救済を求めずにはいられない。そうでもないと到底生きてはいけない。

かつては小説がその役割を果たしていたし、私は救済を求めて小説を書いてきた。

それでも小説を書くことが叶わない今、その救済をカトリックに求めたいと思ってしまう。

詩歌は喜びを与えてくれるけれど、同時に産みの苦しみも味わう。

カトリックもまた全うするだけの人格たりえないと分かっているけれど、それでもやはり奉仕の心をそれでも持ちたいと思わずにはいられない。

ここ数日は弱ってばかりで、それも叶わずじまいだけれど、せめてこうして文章を書くことでどなたかの心に届くことを願っている。

 

創作のことも書こうと思ったのだけれど、長くなるのでこちらに書いた。

併せてお読みいただけるとうれしいです。

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