ANIRON

ひとりごと日記

2021.07.23-24 オリンピック開会式と疲れと

※政治とオリンピックと宗教にまつわる話を書いた。あまり好まない方はこの記事は飛ばして、明日以降の日記を読んでいただきたい。

 

 

2021.07.23

オリンピック開会式は観なかった。

私は基礎疾患持ちだし、心身の状態も悪いので、人一倍気をつけて自粛生活を送ってきた。

最寄り駅圏内からほとんど出ない生活をしているし、友人ひとりと会う予定はあるけれど、それ以外に主人以外の人と会う予定はない。

今後とも自粛生活をつづけながら、決してこのコロナ禍の一連の出来事を忘れまいと思う。

そういうわけで開会式は観なかった。

主人が一瞬だけ観ようと云って、ドラクエの音楽が流れた途端、彼はテレビを消した。

主人はドラクエ、FF、クロノトリガーで育った生粋のゲーマーで、よほど堪えたらしい。

ドラクエ作曲家の某氏のことは私もいろいろと知っているけれど、それでもこうして自分の大切な作品が醜悪な見世物の山車にされることはつらいことだろうと思う。

テレビを消して、youtubeであつ森のジオラマ制作の動画を一緒に観ながらお茶をした。

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ルピシアアフタヌーンティーと、主人が買ってきてくれたティラミスをいただいた。

それから間もなく部屋に帰ったのだけれど、Twitterがオリンピック開会式で湧き立っていることに否応もない嫌悪感を抱いて、怒りも湧き立ってきた。

Twitterには思想がない。あるのは感情だけだ。

あまりこうした場所に居座っているのも、やはりよろしくないのではないかと思う。

自分も少なからずその場に加担しているということが本当につらい。

オリンピック反対を声高に叫んでいながら、開会式に熱狂するということは、選挙に行かずに選挙特番で盛り上がっている人間とどこが違うのだろう。

私はこれまで欠かさず選挙に行ってきたけれど、次回の選挙も必ず行く。

そうすることでしか意思を示しようがない。

 

コロナに関することも、オリンピックに関することも、これまでほとんど言及しないようにしてきたけれど、今回ばかりは耐えがたかった。

しばらくエディット・ピアフを聴いた。

La vie en rose

La vie en rose

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思えばトランプが大統領になった夜もピアフを聴いていた。世界が終わりそうなときにはピアフを聴くにかぎる。

トランプ以後、分断は深まるばかりだけれど、コロナ禍とSNSによってその分断はもはや癒しがたいものとなっている。この流れは行き着くところまで行かないと止まらないし、もはや不可逆的なものなのだろう。

オリンピックというインターナショナルの幻想が壊れ、安倍政権のときには未だかろうじて形をとどめていた国家という幻想も崩壊してしまった今、共同体となるべきものはどこにもないのかもしれない。

かつては宗教が担っていた役割も今は絶えて久しいし、人々の寄る辺となるものがない。

私自身もよりどころを失ってしまった人間のひとりで、それは宗教観にも表れている。

カトリックに惹かれていたのは、故郷という地縁社会から遠ざかり、過疎化と獣害により、そこに根ざしていた土着的な信仰がほとんど絶えようとしているからに他ならない。

それでも信仰を捨てて生きていくことは、どうしても私にはできないし、たとえ幻想であったとしても、国家という枠組みが健全な形で機能していくことはどうしても必要だと思う。

そういう点において私は保守的なのだろうし、オリンピック反対派だから云々という安易な物差しで測れることではない。

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ポリティカル・コンパスで診断した結果、私は保守左派になった。 

 

2021.07.24 

evie-11.hatenablog.com

ここからさらに気持ちが揺らいだりして、ここのところつらい日々を送っていた。

自分のルーツのひとつとしてあるし、カトリックに惹かれる気持ちもあるけれど、やはり私のアイデンティティ神道にあるということはどうしても揺るがしようがなくて、占い師の方にも前世は巫女だと云われた。

また大学では記紀神話を専攻して、大物主神で卒論を書いた。

そうしたルーツの根幹にあるものは故郷の土着の信仰の祭祀で、そうしたものをやはり無下にして生きていくことはできないのではないかと思い至ったのだった。

そこでこれ以上気持ちが揺らいだり、アイデンティティに迷って不安定になるよりは、気持ちが定まったり、落ち着いたりするためのものを用意しようと、神棚をお迎えすることにした。

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届いたらしっかりお祀りするつもりだが、ひとまず暫定的に手元にあるお札やお守りを並べて飾ることにした。

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お守りは家族にもらったものや、かつて旅行先でお迎えしたものなど、種類も数も豊富だ。

私が帰依して、神前式を挙げる予定の神社のお守りもある。

また病気平癒のお守りもあるので、これは必ずこの神棚に飾りたいと思っている。

また巳様つきのお宮をお迎えするのは、卒論で扱った大物主神が蛇神だからだ。

もともと当時は蛇神に興味があって、さまざまに調べたところ、記紀神話の神々の多くが蛇体であることも分かった。故郷に祀られている水神も同様に。

またご神体が目に見える形であった方が安心材料につながるのではないかという期待もある。

 ここのところTwitterで神社の鳥居を写した写真にたまたま出会うことが多くて、拝見するたびに心が爽やかな気持ちになる。

できれば近いうちにまた神社にお詣りに行く予定ではあるが、最寄り駅圏内には徒歩で行ける神社がないので、こうして家でお祀りしたいという想いはかねてからあった。

結果的にお迎えして良かったと思えるお品になると思うので、届くのが今から楽しみだ。