※以下の記事には政治的な主張が含まれます。関心のない方は「神話なき世界」を飛ばしてお読みください。
神話なき世界
低気圧の影響で一日体調が悪かった。
コロナのことはあまり書かないと決めているのだけれど、感染者数が過去最多に上ったとのニュースで、ますます気力を奪われる。
ワクチン接種の2回目の予約も取れていない今、基礎疾患持ちの身としては自粛生活をつづけるしかない。
9月に結婚式を控えていて、それも気が重い。
両家だけのこぢんまりとした神前式になる予定だけれども、実家は地方住まいということもあってか出かけ放題だし、先日は妹が東京から地元に帰省したとのことで呆れてしまう。
危機意識を身内と共有できないつらさはなかなかつらいものがある。
こうした危機的状況のさなかで開催されるオリンピックのことも、やはりどうしても許容できない。
今日はずいぶんとTwitterに居座ってしまったけれど、結果的に精神的に参ってしまっただけなので、やはり今は距離を置いておきたい。
オリンピックの善性という仮面が失われてしまった今、分断は深まるばかりだ。
この分断を癒すためには物語が必要で、かつてはそれを宗教や国家という幻想が担っていたのだけれど、今はその幻想も破壊し尽くされてしまった。
私は安倍政権を全面的に支持していたわけではないけれど、安倍政権が示したナショナリズムは、やはり国家という神話を多くの国民が共有し、そこに精神的なよりどころを感じていた人が多かったのだろうと思う。
ナショナリズムは排撃すべきものとして高等教育を受けてきた身としては、まったく盲目的にそこに与するわけにはいかないけれど、それでもナショナリズムという幻想、あるいは神話は、やはりどうしても人々には必要なものなのではないかとも思う。
それがより善き方向にはたらくことが重要なのであって、排外主義に偏った悪しきナショナリズムとは峻別する必要はあるのではないか。
そうしたことを学ぶべく、以下の本を注文した。
そして今検索してみるとこうした本も出ているとのことで、上の本を読み終えたらこちらも読みたい。
もちろん『想像の共同体』を読めればいいのだけれど、大学の講義である程度かいつまんで学んでいたこともあり、またそこまでの体力的余力は今の私にはないので、追々の課題としたい。
とにかく保守を自認するにせよ、感情だけに流された排外主義とは距離を置かねばならないと強く思っている。
そのためにもしっかり学ばねばならない。読むべき本は多い。
日記パート
一日食欲もなく、思い返せばここ一週間ほど一日二食で過ごしているなと思い至った。
食欲のない時には無理に食べないと決めているので、今の私にはそれぐらいの食べ方がちょうどいいのかもしれない。
メンタルの状態も今日は不調だけれど、いつものように烈しい気分の落ち込みがあるわけではなく、なんとなく気分が悪いというところにとどまっている。
体重も47kgから、キープしていたい46kg台に戻ったし、無理に食べるのは今後ともやめておきたい。
昼食を摂らないかわりに、のむヨーグルトをいただいた。
主人が買ってきてくれていたもので、糖分が控えめなところが飲みやすくていい。
糖分の摂取は気をつけたいところなので、アイスコーヒーは控えているし、基本的にはノンシュガーの飲み物をいつもは飲んでいる。
「おなかがすいたときに食べ、満腹になったら残すのが大人の食べ方。食欲が湧かないときは1食抜いてもいい。体が欲する自然な食べ方をすることで体形も引き締まります」
これを実践していきたいと思う。
体調の悪い時には無理に食べない方がいいという言説も見かけるし、あまり身体に負担をかけない方がいいのかもしれない。
今はできるだけゆっくり身を休める時間を作らないと、昨今の世の中のギスギスとした雰囲気に呑み込まれて参ってしまいそうだし、自然音や、広橋真紀子さんの音楽も活用しつつ、できるだけ自分をいたわる時間を設けたい。