ココア共和国を読んで詩を投稿した。
『ココア共和国』2021年8月投稿詩傑作集Ⅱまで読んだ。
篠崎亜猫「雨の日の詩情」、岩佐聡「仮形成」、片野翠子「もうどうでもいいわ」、林やは「羊水の春」が素晴らしい。詩の自由さと、本質を感じた作品の数々で、詩を読む喜びを与えてくれたものばかりだった。
詩作の励みになるなと感じた。
それからようやく自作の折本を作った。
療養短歌をテーマに詠んだ、短歌30首を収めた折本歌集のPDFです。 失われた恋への挽歌、過ぎ去った夏へのノスタルジーをサブテーマとし、ダークでゴシック、耽美な作風を志向しています。
世の終わり詩神は死せず海の果てきみとふたたび巡り逢うまで
AnthemはCoccoだったね沈黙を守ってふたり白百合の園
幸いにもフォロワーさんも出力して折ってくださったようで、大変うれしかった。
ご感想もいただき、主人に「生気を奪われる」と評されてだいぶ凹んでいたのだけれど、それでも評価していただけたことが励みになった。
それから角川短歌7月号を読み進めた。
ここのところ読みたい本が多くて、読み差しの本もいくつもあって、なかなか集中して本を読めずにいる。
ひとまず読み終えたら投稿をしようと思っている。
詳しいことはこちらの記事にまとめた。
神棚を新たに設け、思想は保守に拠りながら、それでもキリスト教へのあこがれや、ノンバイナリーとしての自我を完全に切り捨てることはできないし、それが創作の糧となっているのなら、むしろ生かすべきだとも思う。
ここのところ急激に視野が狭くなっているという自覚があり、あまり好ましいことではないなと思っている。
カトリックに帰依することはないかもしれないし、あるいはいずれどこかで帰依するかもしれないけれど、いずれにせよ創作のイマジネーションの泉として、拠るところは大きい。それはそれでいいのだろうと思う。
白黒をつけてどちらかを選ばねばならないと考えれば自ずと苦しくなる。
そして自然と自分の思想というものは短歌に表れていくのだろうし、その結果生まれてきたものが、たとえ歌壇に歓迎されないものであったとしても、私は私の作品を掲げていくしかない。
そうして短歌を詠んだのだけれど、まだうまく自分の立ち位置が定まらなくてもどかしい。上の記事にはこのように書いたけれど、短歌と思想とはやはり切っても切れないのだなと思い至る。
神棚をお迎えして、毎朝お詣りしていると、やはり私は神道を奉じていたいのだなと思うし、それでいくらか気持ちが安定したのもたしかだ。
しかし信仰を歌に詠んでみると、どうにもつまらないものになってしまった。私の技量がまだまだ足りていないということなのだろう。
カトリックには聖歌があり、日本にはanthemとしての和歌がある。
記紀万葉の時代から、神々を讃える歌は受け継がれてきた。
やはり古典和歌を読んだ方がいいなと思う。
古今和歌集と新古今和歌集、中西進先生の『万葉の秀歌』は読んだけれど、ずいぶん前に読んだので、できれば積んでいる塚本邦雄の『定家百首』『王朝百首』なども援用しながら読みたい。
また『万葉の秀歌』はかれこれ5年ほど前に図書館で読んだきりなので、記憶が薄らいでいる。ぜひ手元に迎えて読みたい。