ANIRON

ひとりごと日記

2021.07.29-30 思想と持病と創作と

 

2021.07.29

一日フィジカルの体調が悪く、まともに創作ができなかった。

もともと微熱を出しやすいタイプなので、今回もコロナではないと思うのだけれど、こんなご時世なので参ってしまう。

結局一日短歌も詠めず、詩も書けないまま過ごしてしまった。

弱り果てているときこそ短歌を詠めばいいのだし、日記を書けばいいのだけれど、いい加減この一向に改善しない体調に倦み疲れている。

短歌のことをさまざまに考えると気が重く、多くの言葉は割かないでおくけれど、投稿をするのはやめておこうという気持ちに傾きかけている。

今後は詩の投稿に励んで、短歌は趣味的に詠んでいきたい。

 

夕方、ひぐらしのなく声を聴いた。

やはりこの住まいから引っ越すことはしばらく考えたくないなと思う。

主人はここは自然がある方だというけれど、それまでの私は到底そのように思えなかった。長崎で生まれ育って、故郷はそのさらに辺境にあり、海と山とに囲まれた村で、水神・土神の碑があちらこちらにあって、それにお酒や花を供えて祀られている土地だったから、私が神道アイデンティティを見出すのも必然性があってのことだった。

だから東京へ来て、失われてしまった自然がなんとも恋しくて、信仰のよすがも奪われてしまった気がしてつらかった。

カトリックへ傾倒しかけていたのもそれが大きな要因だったのだけれど、日中は蝉の声がけたたましいほど聞こえてくるし、窓の外には木々が茂り、こうしてひぐらしの声にもはっと驚かされる。

そういう自然の中にいるのだと思うと、安らぎを感じる。

お宮をお迎えして良かったと心から思う。

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本当は高いところに飾らなければならないのだけれど、視界に入る方が私には安心材料になるので、棚の上にお祀りしている。

毎朝お詣りして、「今日も一日お見守りください」と祈る。

それだけのことなのだけれど、心の安らぎを得るには、この自然とお宮があれば、それで十分なのだと知った。

 

2021.07.30

大変な一日だった。

起きた昼頃から豪雨が降って、なぜかテレビがつかなくなり、水道も止まってしまって、管理会社にリモートワーク中の主人が連絡してくれて、不具合を直してもらって事なきを得たけれど、そこから天候は安定せず、情緒も不安定で、フィジカルの調子も悪かった。

胃腸の調子を一ヶ月前から崩していて、いい加減内科に行かねばと思うのだけれど、ずるずると先延ばしにしてしまう。その病院はワクチン接種も行っているから、どうにもコロナが怖い。

基礎疾患持ちでワクチンは未だに接種できていないし、どうにも気が進まない。

別の病院に行けばいいのだけれど、歩く元気がないことが多いのと、この暑さにも参っていて、日中は出歩く気になれない。

しかしそうするといつまでも内科に行けないということになる。

腹痛はないし、発熱も微熱の範囲内で、微熱は年中出るタイプなので、そう大きな病気ではないと思っているのだけれど、不安は少しずつ募る。

さらに婦人科系のトラブルもあって、こちらも要検査といったところだ。

これまでに検査したところでは毎回異常はなかったのだけれど、念のため検査した方がいいのかもしれない。

いずれにせよもし大きな病気だとして、早死にするのなら願ったり叶ったりだという想いも正直ある。

主人より早く死んでしまいたいし、未来への希望もまったく抱けない。自殺する元気も勇気もないまま生きているから、病気で死ぬのならそれはそれでいい。

どのみち長生きはできないのだろうなと腹を括っている。

 

そうしているうちに今度はメンタルの発作が出て、こちらは昨夜から発作が出ているので、医師に話さねばと思う。

レキソタンでは発作を抑えられないのは自明で、抗精神薬で無理に抑えている状態なので、また増薬か、と他人事のように思う。

発作に耐えかねて呻いていたら主人がやってきて、体をさすってもらって、横になってお宮を仰いで、それでいくらか気持ちは楽になってきたけれど、夏場は体調を崩しがちだから、どのみちこうしてあと何度も同じような状態になるのだろう。

とにかくこんな有様ではどのみち小説を書くことはできないだろうし、せいぜい詩作に励み、作歌をつづけるしかない。

今日もまともに創作ができないまま一日が終わろうとしていて無駄に焦りが募る。

 

そうして夜になり、主人と短歌や政治、オリンピック、思想、詩といった話を交わしながら飲んだ。私は飲むヨーグルトルイボスティーをいただいた。

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短歌を投稿することは励みにもつながるのだし、歌壇というものをあまり意識しなくてもいいのではないかと云われて、いくらか気持ちが楽になった。

私はあまりにも悲観的に捉えすぎていたのかもしれない。

左派の主人に冗談まじりに「右翼短歌を作って」と云われて少し悲しかったけれど、それでも思想の違いはあっても、話しながら互いの主張を重ねていくのは有意義だったと思う。

ナショナリズムを完全悪だと捉えることにはやはり異を唱えたいし、愛郷心がひいては愛国心へとつながると考えているし、そこにあの戦争に起因する深い断絶があることこそが、この国の悲劇的な問題なのだと思う。

私は家父長制の崩壊と伝統的な宗教的基盤の崩壊こそがこの国に危機をもたらしていると思っている。

そういう点ではどうしてもフェミニズムとは相容れないし、行き過ぎたポリティカルコネクトレスにも異を唱えたい。

 

とはいえいかなる差別主義も排外主義も、それらと同様かそれ以上に理解しがたい。

ナショナリズム自国第一主義というわけではないのだろうし、たとえば自国のために他国を戦略的に援助するということは、これまでにも行われてきたことだ。現に中国も同じ手法で一帯一路政策を推し進めてきた。単なる排外主義ではこの世界情勢をサバイブすることはできない。

自国が生き延びるために他国と手を結ぶ。他国を手助けする。そういう視野の広い戦略が必要なのだと思っている。単に食料自給率を上げるべきとか、半導体の生産力を上げるべきとか云っても、もはや他国の協力なしにはこの国際競争は勝ち抜けない。

ましてや隣国を口汚く罵るのは、もはや愛国心でも何でもなく、ただの知性なき差別主義や排外主義で、これは絶対に遠ざけねばならない。学ぶべきところは学んで、生かすべきものは生かす。

是々非々で柔軟に考えるべきなのだろうと思っている。

 

……何の話だ。

話を飲み会に戻す。

主人に私が詩誌に投稿した詩の一節を暗誦してもらえて、八十八ヶ所巡礼の「紫光」のようだと評してもらえたことは少なからず励みになった。

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主人は私の作品をめったに褒めないし、詩に関しては意に介さないことが多いのだけれど、それだけに暗誦してもらえたことがうれしかった。

それから主人の朗読する『声でたのしむ 美しい日本の詩』を聴いた。

高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」や田村隆一草野心平の詩の朗読を聴いて、声の通る主人の朗読は心地が良いなと思う。

私自身は朗読を前提に詩を書いているわけではないけれど、やはり心の中で音をたしかめながら詩を書いている。

詩は調べなのだということを改めて感じたし、それ以上に詩というものの自由さ、間口の広さを改めて魅力に感じた。

ここのところツイートで共感することの多い、最果タヒさんと岩倉文也さんの詩集はぜひ買って読みたいと思っている。