ANIRON

ひとりごと日記

2021.08.01 「神道」という問題と信仰のゆらぎと

朝から悪夢を3本つづけて観て、最悪な気分で目覚めたのだけれど、今日も神棚にお詣りをして、気持ちを整えて過ごした。

昨日は初めてのオンライン定例会ということもあり、初めて話す人ばかりで緊張もあって疲れてしまったのかもしれない。

今日はおおむね体調を崩すこともなく過ごした。

朝から何本か記事を仕込んだ。

snowrabbit21.hatenablog.jp

evie-11.hatenablog.com

 

記事の貯金も尽きてきたし、また励まねばならない。

幸いにもすみっコ農園に復帰したので、ネタには困らないのだけれど、そればかりというのもどうにも魅力に欠ける。

やはりインプットをしなくてはと、『角川短歌』7月号を読んだ。

ここに書こうと思ったのだけれど、思いのほか長くなったので別途記事にまとめた。

evie-11.hatenablog.com

『角川短歌』とは別に瓜生中『よくわかる山岳信仰』を読み進めた。

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ところどころ飛躍があったり疑問に感じる点があったり、時代が前後したりするので、やや難点はあるのだが、おおむね基礎的なことがまとまっているので、復習にちょうどいい。

中でも

最近は「神道」という言葉が極めて無神経に使われており、神道の中にこそ日本民俗の「心」のルーツがある、といった短絡的な物言いをする人が少なくない。

(…)

伊勢神道吉田神道といった場合の「神道」は、自己の権威を高めるための極めて政治的、政策的に組織化されたものなのある。だから、そこには日本民族の心のルーツといった側面は見られない。

精神的な拠り所としての原型は、今も地方の山村などで行われている素朴な神事や祭事、そして、神社を中心とする村人たちの素朴な信仰の中に見られるのである。敢えてこのような信仰形態に名前をつければ「神社を中心とする日本固有の神々に対する素朴な信仰」ということができるだろう。どちらかというと『日本書紀』に見える「神道」という言葉に近いニュアンスで、「伊勢神道」や「吉田神道」、ましてや「国家神道」とはまったく異なる概念であるということができる。

── 瓜生中『よくわかる山岳信仰KADOKAWA、2020年、p85

という箇所は基本的な学界共通の学識に則っており、一般の読者に向けてきちんと提示されていることに好感を抱く。

私自身が神道に対して離れざるを得ないと一時期考えていたのも、まさにこの問題に他ならず、私のルーツはここに書かれているところの「伊勢神道」「吉田神道」「国家神道」ではなく、 故郷の村に現存する「神社を中心とする日本固有の神々に対する素朴な信仰」であったことから、自己検閲の枷を外すことができた。

保守的な思想を抱きながらも、やはり国家神道を許容するということは、私の記紀神話学徒としてのポリシーに反することだし、それを神道は乗り越えねばならないのに、結局乗り越えられないままここまで来てしまったと思っている。

記紀神話を学んでいて、あくまでも時の権力者の政治的な道具として神道が形作られてきたという経緯を学び、それまでの素朴な信仰が打ち砕かれそうになったことも一度や二度ではなく、大変心苦しい想いをしたものだ。

そこで私が求めたのはヤマト王権時代の三輪山祭祀だったのだけれど、そもそも記紀神話の成立そのものが極めて政治的な意味合いを持つ以上、どんなにさかのぼったとしても、それを是とすることはなかなか難しい。

一方で私のアイデンティティには依然として故郷の村の素朴な信仰が息づいており、これを完全に否定することも許容しがたい。

そこで求めたのが、神道から脱したキリスト教への渇仰であった、と今のところは整理している。

キリスト教への憧憬は完全に断たれたわけではないし、むしろこうして学識と良識に則れば、おおよそ神道というものを完全に無批判に受け入れるわけにはいかないのではないかという想いを新たにする。

それが私が学んできた学問の路だったし、どうしても否定しがたい。

そうしてふたたび神道に幻滅した時、私はもう一度キリスト教カトリックの門を叩くことになるのかもしれない。

どうにもここのところ思想の話が多い。

お付き合いくださり、ありがとうございます。

 

それからルピシアデカフェ・桃と塩ヨーグルトをいただいて、主人はオンライン飲み会をするというので、ひとり分の夕食を整えて、彼杵茶でお茶をした。

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 彼杵茶は出身地長崎の銘茶で、出身地を応援するために愛飲しつづけている。

ここのところ暑さも厳しく、リビングにエアコンを設置できない構造になっているので、なかなか温かいお茶をいただく機会がないのだけれど、こうして煎茶をいただくとやはりほっとする。

コーヒーよりも紅茶派で、紅茶よりも煎茶が好きだ。

とある方に茶道を習ってみてはと勧めていただいたのだけれど、生来の人見知りなのでなかなか叶わずにいる。

お茶についてももっと学んでみたいという気持ちはあるし、器や茶道具を美術館で観るのも好きだが、どうにも私のような人間には敷居が高く感じられてためらってしまう。

しかし茶道の本はいろいろと出ているし、それらに触れてみるのはいいかもしれない。