朝7時まで眠れず、著しく調子を崩した一日だった。
私は眠る元気がない時や、自傷の代わりに徹夜をするのだけれど、気がつけばエアコンを自分で止めたり、水すらも飲まないまま夜を越してしまった。眠気は一向にやってこなかった。
やはりファスティングが影響しているのかもしれないが、とにかく食欲がない。
体重も1キロ近く落ちているし、間食ぐらいは摂るべきなのかもしれない。
もう少し様子を見たいけれど、3月以降、これまで散々鬱々とした日々を送ってきて、今日ほど気がめいった日はなかった。用法用量を守って薬を飲んでも一向に希死念慮が頭から離れない。
このままだと死ぬかもしれないと思って、主治医に連絡したら実母との連絡を絶つべしとのことで、主人からもそう云われた。
実家を頼れないことの不安感に押しつぶされそうになっている。
この十年というものの、実母と対立し、私が飛び降り自殺未遂をして発達障害と謎の精神疾患が明らかになり、やがて私が折れる形で和解したものの、そこから母の毒は年々強まるばかりで、押しつぶされそうになっていた。
今回の件もさかのぼれば8/2の出来事で、そこから徐々にダメージが大きくなってしまったらしい。
昼頃、母から電話がかかってきて一日気がめいって落ちこんでいた。
お金の話は身内であってもしたくはないのに、あれこれとお金がない自慢をされてしまって、辟易しながら聞き流していると、妹が「あの子は恵まれているからいいよ」と云ったと聞いた。
親元にいた時には親友から嫉妬され、結婚をすれば働いていて未婚の妹から嫉妬される。
嫉妬されるほど豊かな生活を送っているわけではないし、毎日死にたい気持ちをこらえながらなんとか生き延びているのに、そうして嫉妬されるたびにエネルギーを吸い取られてしまう。
主治医に話すと「なんでそんなことを云うんだろうね」「娘であるあなたに云うのもなんだけども、あなたはお母さんのゴミ箱にされているということだね」と云われた。
ゴミ箱にされていることぐらい、もう100万回ぐらい同じことを考えてきたし、今更どうということでもないのだけれど、他者に断言されると傷つく。
LINEをブロックすればいい、電話番号を変えればいいと主治医と主人にアドバイスされたけれど、まだ実践できずにいる。弱り果てていてどうしようもない。
消耗しきっていると、誰の言葉も心に入ってこない。薬もまったく効く気配がない。
何もする気持ちになれないまま一日が終わり、また不全感に苛まれている。
とにかくあらゆる人間のあらゆる感情が煩わしくてしょうがない。
今は同じ地獄に立ってくれるものとしかシェイクハンドできそうにない。
そこでホラーを読もうと思い立ち、それでも活字を追う元気がないので、懐かしの小花美穂『水の館』の表題作を読んだ。
90年代りぼんっ子には懐かしい小花美穂『水の館』の表題作のみ読了。
この方のホラー漫画は幼少期はトラウマだったのだけど、「水の館」は好きだった記憶があって再読。ホラーというよりも幻想怪奇譚で、美しい絵のタッチと相まって、とても魅力的です。
真子の「私の姿は… 恨みと哀しみだけでできてるの 優しい心は苦手だな…」という台詞にいたく共感してしまった。この言葉と出会いたかった。
そうして美しくなれない心、清らかになれない心を持て余して、今日も夜を越すしかない。
今はCocco「荊」の
倒れていたい 飛べなくてもいい
という歌詞そのままの気持ちでいて、病み臥してその先に光があるとは到底思えないけれど、それにつづく歌詞と同じく
きっと走れるだろう
この体は生きられるはず
裸足でも
と信じていたい。
ここのところずっとCoccoばかり聴いていて、それもこの2001年に出たベスト盤を延々とループしているのだけれど、音楽が私とともにあるように、きっと文学の中にも今の私と同じところに立ってくれるものはあるはずだ。
そのあとふたたび著しい希死念慮に苛まれて、部屋にやってきた主人としばらく話した。
今受診している病院はもう十年通っていて、病状が一向に良くならないので転院を考えてもいいのではないかという話になった。
ひとまず友人が通っている精神科が良さそうなので、友人に連絡を取ってセカンドオピニオンという形で受診したいのだが、今は何もかも気が重くて、そういう元気もない。
ひとまず友人にコンタクトを取るところからはじめたい。