比較的マシな一日だったが、朝から低気圧で動けなかったので、薬局に行く予定を日延べした。
ワクチン接種2回目の予約はかねてからの懸案事項だったのだが、なんとか早起きしてちょうど3週間後に取れてほっとしている。
それから朝食を摂って何本か記事を書いた。うち一本はすでに公開された。
試験的にすべてのブログのTwitterとの連携を切った。
Twitterからの流入はネガティブなタイトルや内容の記事に偏ってばかりで、どうしても気に引っかかっていた。
そういう場所なのだと思うと嫌悪感しか抱かないし、後述するが、特に今は距離を取っておくにこしたことはないと思う。
しばらくは鍵垢のリア垢での投稿をメインにしようと思っている。
このブログは当初からTwitterにはつないでいない。秘境駅としての日記という場を大切にしたかったし、Twitterの喧噪から離れたところで日々の想いを綴りたいと思ってきた。
もはや自分の作品や投稿を広く世に問い、注目を集めることだけが良しとされる時代ではないと私は考えていて、少なくとも自分の作品や記事は、ひっそりと書いていきたいと思っている。
届く人にだけ届けば良い。それで何者かになりたいと考える人たちに、私はずいぶんと気を滅入らされ、傷つけられてきたから、そういうギラギラした欲望は極力遠ざけたい。
Twitterからの流入を抑えることで、自分にとってより良い執筆環境が整い、そうして届けられる人に言葉を届けられれば、それが一番だなと思う。
それから主人とノリで買った鬼滅コラボのキメツラーメンをいただいた。
主人は胡蝶しのぶちゃんの油そば、私は禰豆子ちゃんのチキンラーメンを選んだ。
チキンラーメンを食べるのはこれが生まれて初めてだった。
そうして主人が牧場物語をプレイするのを眺めてから部屋に戻り、しばらくTwitterを眺めていると、すみっコぐらしのアームレストが発売されたと知って、最推しのしろくまのものを即座に注文した。
こうして枕のように使えるとのことで、体調が悪い時に何かと役立ってくれそうだなと思う。
私は横になるのが苦手で、いつもPCの前で死んだようにぐったりするのが常なのだが、こういうものがあれば、いくらか楽になるかもしれない。
それから家族とLINEを交わした。
主治医からも、主人からも、母との連絡を絶つようにと云われたけれど、やはりどうしてもうまくいかない。
それが私のなけなしの情けなのかもしれないし、あるいは単に母を憎み切るだけの力ももう残ってはいないのかもしれない。
母を憎むのにエネルギーを使い果たした18歳の頃、私は飛び降り自殺未遂をしているので、同じことはもう繰り返したくない。
何より私には神道という信ずる宗教があり、また私は保守思想に拠っているから、家族という共同体をそれでも信じている。
他人だから分かり合えないこと、許し合えないことは山のようにあるけれど、家族だから許し合えることはこれまでにもたくさんあった。
そうして乗り越えてきて今があるから、それを壊したいとは思わない。
毒親とは絶縁すべしという風潮は根強いけれど、そう云う人間は無責任だと思う。絶縁した結果のあとのことに対して、その人が責任を取ってくれるわけではない。
身近な共同体や、よりどころを失くしたまま人間は生きてはいけないのだという想いは日に日に強くなっている。
たとえ一度は危機的な状況に陥ったとしても、血のつながりがあるからこそ分かり合えることもある。いったん亀裂が入ると修復しがたい傷も、血のつながりがあればつなぎ直すこともできる。
それは私自身体感してきたことで、実家との絆はそうして培われてきたものだし、それはおそらく封建的で前時代的なのだけれど、私はその中にいる方がよほど楽だ。
そのつながりを断った結果、根無し草のようになってしまっては、待っている未来は明るくないと思っている。私は主人とふたりだけでは到底生きてはいけない。
たとえ許しがたいことがあったとしても、それでも水に流すという言葉もある。もちろん虐待などの例はもってのほかだが、毒親という言葉にすがりすぎず、ひとりの人間としてどうありたいかを自分に問いたい。
それからヨーグルトとミックスナッツ、炭酸水でお茶をして、主人とともに買い出しに行って、主人が夕食を作ってくれた。
夜、Twitterで #幸せそうという理由で私たちを殺すな というTwitterデモが起こっているのを見かけて参加した。
私はフェミニストではないけれど、それでもこの事件は到底容認できない。いかなる理由であれ殺人は赦されない。
そうしているうちに、私自身も男性との関わりでさまざまに不快な思いをしてきたことを思い出した。Twitterにはその一連のことを投稿したものだが、Twitterという場ではあまりにも人目につきすぎるので消した。
3月以降、複数の中年男性によるネトスト被害によってPTSDが再燃したことや、創作において度々男性に嫉妬の言葉を向けられることに、耐えがたい想いを抱いてきた。
それはこの日記を読んでいただければわかると思うし、毎日のように希死念慮がこみ上げてきて、これまでの人生で一番つらい時期になった。
誰かに助けを求めようにも、誰にも理解してもらえず、唯一とある相談窓口の女性だけが「つらい気持ちをがまんしなくていい」と云ってくださった。
それでも私はフェミニズムに拠りたいわけではないし、男性への恐怖心はあるけれど、同時に私は専業主婦であって、主人をはじめとして、彼らの庇護下にもあると思っている。だからフェミニズムとは距離を置いている。
女性の自立や社会進出を目指すことだけが、女性の幸せを保証することなのだろうかと私は疑問に思っているし、そのような事情があって「『どんな理由であれ』殺人は赦されない」としか書けない。
こればかりは思想のことなので致し方がない。私はあくまでも保守的な人間だし、そこに誇りを抱いている。