ファイザー社のワクチン接種、1回目の日だった。
朝から緊張で何も手につかなかったのだが、その分すみっコ農園のイベントが捗った。
お薬手帳を持参して、主治医にも確認を取っていたので大丈夫だとは思ったのだが、念のため朝から薬を飲むのはやめて、ワクチンを打って1時間後に服薬した。
今のところ特に異常はなく、朝から引き続きだるさはつづいているけれど、腕の痛みを感じたり、熱が上がっているという感じもない。
ひとまずほっとしている。
帰宅してまだ気持ちが落ち着かないので、AOKI,hayatoの日田を聴いた。
こういう時には美しいクラシックギターの音色で心を和らげるに限る。
感染拡大が止まらない中、ワクチンを打ててひとまずほっとしているが、2回目は電車で移動をして打ちに行かねばならないので、やや気が重い。
郊外に住んでいて、さらに郊外の方面へ向かう電車なので、あまり混まないとは思うのだが、もともと移動があまり得意ではないのだ。
遅めの時間に予約しておいて良かったと思う。
9月には結婚式も控えている。あまり実感がないのだけれど、月末に打ち合わせに行くことになっているので、なんとか気持ちを整えたい。
ここのところイレギュラーな要素が多くて疲れているということは昨日書いたとおりだけども、結婚式もまたイレギュラーなもので、身内だけの式にしておいて良かったと思う。緊張感もそれなりにあるし、できれば早く終わってほしいと思ってしまう。
フォトウエディングは来年にすることになった。私がアポを取ったりしなければならないので、病状が思わしくない日々がつづいていて難しいと判断した。
信仰の問題もある。神道に帰依すると決めたけれど、それでも自分のルーツのひとつであるカトリックに心が揺らぐこともたびたびあったし、きっとこの先もあるのだろう。
その揺らぎを肯定できればいいのだけれど、私はどうにも物事をゼロか百かでしか捉えられないところがあって、その分中途半端な自分をいたく責める節がある。
とにかくイレギュラーな要素がすべて煩わしいので、早く元通りの日々に戻ってほしい。
ここのところTwitterも大荒れで、日々どこかしらで炎上騒ぎが起きている。怒るべき時には怒るべきだと思うし、私自身も某件については動画の違反報告をした。
人間の命の重みは等しいし、決して彼の発言は許されるべきことではない。
とはいえ日々そうして苛立っているTLに長く居るとそれだけ消耗するのもたしかなことで、ここ一週間ほどはまともにTLを観ていない。
結局のところブログの方が居心地がいいし、Twitterを完全にやめるつもりはないけれど、それでもその場に居る時間を短くすることはできる。
もう少し付き合い方を考えたいと思ったきっかけは他にもあった。
そのことは以前記事に書いたとおりだ。
それだけ癒えがたい傷を負っているのだと思う。
ここからまだ回復できていなくて、創作意欲もなかなか湧いてこない。体調や世の中の状況を云い訳にしたくはないけれど、それでも今は少し自分の肩の力を抜くべき時なのかもしれない。
小説が書けないことへの焦りも、今はなくなっているし、何者かにならねばと思う気持ちも今は落ち着いている。そうした思いに駆られる男性たちによって傷つけられてきた過去があったから、私はそうした感情とは今は距離を置いていたい。
とはいえそのように書きながらもやはり投稿を目指すのかもしれないし、夜には詩作や作歌に励んでいるかもしれない。
5月〜7月にかけては毎日短歌を詠んでいたし、おかげさまで歌集もお買い上げいただいている。
ちょこっと文芸福岡に出展する予定だった歌集の折本です。 ゴシックな雰囲気が香る療養短歌30首を収めています。
青薔薇の冠授けよとこしえに無数の棘は言葉となれり
療養短歌をテーマに詠んだ、短歌30首を収めた折本歌集のPDFです。 失われた恋への挽歌、過ぎ去った夏へのノスタルジーをサブテーマとし、ダークでゴシック、耽美な作風を志向しています。
世の終わり詩神は死せず海の果てきみとふたたび巡り逢うまで
AnthemはCoccoだったね沈黙を守ってふたり白百合の園
まだ私はここですべてを諦めたくはない。
たとえ詩歌サークルを抜けてひとりきりになったとしても、それでも評価してくださる方や、ご感想を寄せてくださる方がおられる限り、ひとりではないのだと思う。