ANIRON

ひとりごと日記

2021.08.16 #1 文化相対主義とジェンダーと

私は親中派なので、ここのところインフルエンサーの李子染さんの動画を観て癒されることが多い。

www.youtube.com

日本にもこうした善きナショナリズムがもっと根づけばいいのにと思ってしまう。

都市部から農村部への移住を促す国策の一環として彼女は活動している、という記事を観たけれど、日本もまた農村部の過疎化や高齢化は深刻な問題で、都市部への一極集中は、災害時の脆弱性につながってしまう。

現に熊本では令和2年7月豪雨で地域社会が深刻なダメージを受け、その復興もままならない状況だと聞いた。

私もわずかばかりの募金をしたけれど、一時的な募金活動などではどうしようもないだろうし、このコロナ禍でボランティア活動も難しくなっている。

国土強靭化のために老朽化しつつあるインフラ整備を強化するとともに、過疎化・高齢化になんとか歯止めをかけなければ、地方から日本は滅んでゆくのかもしれない。

外国人によってその過疎化・高齢化を補おうとするのはやはり危ういし、日本人の手でなんとかこの国を守るすべを模索しなければならないのだと思う。

災害もつづいているし、その規模も頻度も年々増している以上、国防の一環としてこうした災害対策にもっと力を注いでほしい。

私がこのように書くのも、故郷のある長崎が今現在豪雨によって被害を受けている状況が背景にあって、ふるさとの状況はかねてから危機的な状態にある以上、決して熊本のことは他人事ではない。

長崎、九州という視点から、国という視点に広げることも大事なのだろうけれど、とにかく愛郷心が人一倍強い人間なので、やはりふるさとのある長崎のことはどうしても気がかりだ。

公務員を長年勤めている父は、「公務員が保守でなければどうする」とかつて語っていた。頼もしい言葉だと思う。一地方公務員に過ぎないけれど、それでも40年以上の長きにわたって公務員として勤め上げてきた父には、ふるさとを守りたいという気持ちがあるとたびたび聞いてきた。

そうした父を心から誇りに思うし、敬意を表したい。

 

朝から調子が悪く、動画を観たあとに出身地・長崎の彼杵茶でお茶をしながら瓜生中『よくわかる山岳信仰』を読み進めた。

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 これがめっぽう面白く、雨ということもあって集中して読み進めることができた。

学生時代の復習というのが大きな目的ではあるけれど、その目的に適う本だし、ところどころ筆が行き過ぎている部分はあるにせよ、おおむね妥当なことが書かれているので安心して読める。

北海道だけでなく、東北地方にもアイヌ民族が分布していたということは寡聞にして知らなかったし、やや強引なところもあったり、理論が飛躍するところもあるけれど、読んでいて知的好奇心をそそられる。

その知的好奇心を今は大切にしていたいと改めて思った。

 

そうしているうちに「ひどい民話を語る会」なるツイートが流れてきて、ショックを受けてしまった。

 

思想を語っている鍵垢で以下のツイートをした。

さまざまな教訓や伝承、歴史的史料としての価値がある民話に「ひどい」と接頭語をつけるのはどうなんだ……。ざんねんな生きもの事典みたいなノリなのかな……。 

 

人柱伝承とかも「ひどい」民話になるのかな。人柱が実際に行われていたという事実はないというのが現在のところの学説だけども。現代から観て「ひどい」からとセンセーショナルに扱うのも、断罪するのも間違ってる。やっぱり私は文化相対主義者なんだろうな。

 

読んでた『よくわかる山岳信仰』にも山は女人禁制であったことを記す上で、女性差別の問題はセンシティブだから客観的事実を書くと注意書きがあって、本当にジェンダー学の横暴さを感じる。伝統的な信仰のあり方はフェミニズムで規定されたり批判されたりするべきじゃない。本当に横暴としか云えない。

 

どうして注意書きが必要なのかというと、それに傷ついたと噛み付く人が必ずいるからで、そういうフェミニズムの暴力性を自覚しないまま非難するの、本当に理不尽だと思う。

 

伝統的な信仰や文化など、不可逆なものに対してまで、センシティブだから配慮が必要で、注意書きや但し書きが必要というのは、それを他人に強いる時点でもはや弱者でもなんでもないと思う。文化の破壊者としての自覚がない。

 

学問上のコンセンサスとしてジェンダー学にも留意するというのはたしかにあるんだけど、最近見かけた桃太郎のジェンダー問題とか、どんどんおかしい方向に進んでいることをフェミニストは自覚してるんだろうか。

この件のように民話に「ひどい」というレッテルを貼るのも、いわば現代の価値観ありきの解釈であって、極めて粗雑な扱いだとしか云えない。

 

ちなみに夜に男性向けのミソジニー的な単語を使っている画像のツイートをしていたとある人をRTしていた人が、フェミニズムについて語っていたけれど、彼がフェミニズムについて語る資格なんて一切ないと思う。

徹底した筋金入りのフェミニストはもっと知性があるのだろうし、そうでないと願いたいけれど、感情論的にフェミニズムを語る人があまりにも多くて辟易としている。

 

ジェンダーなのか文化なのか 文化人類学にとっての難問

http://www2.igs.ocha.ac.jp/wp-content/uploads/2016/07/Matsuoka.pdf

念のため検索して出てきたこちらの論文にも目を通したけれど、やはりジェンダー学というものは帝国主義的側面を持っているという認識を新たにした。

文化人類学的に文化の多様性を尊重する私としてはやはりどうしても受け入れがたい。

それはグローバリゼーションへの違和感としてこれまでも抱いてきたし、ポリティカル・コレクトネスも極めて西欧諸国の帝国主義的価値観だと思っている。

そうして「弱者を守る」というお題目の「善意」によって文化が破壊されようとしていることはやはり受け止めねばならない。

 

ところで今飾っているディスプレイにも飽きてきて、額装するのにちょうどいいクリアファイルがないかと探していたら、なんとコノハナサクヤヒメのクリアファイルがあったので、月読命天照大神とともに購入させていただいた。

booth.pm

booth.pm

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月読命天照大神のはポストカードで、額装できればいいなと思っている。

額はできるだけ部屋の雰囲気に合うものが良い。木製だと少し侘しいし、アンティーク風の瀟洒なものにすると、統一感も出るはずだ。

その分値は張るけれど、ディスプレイでインスピレーションが左右される身としては、やはりこだわりたい。

展示替えも考えれば、たとえば敬愛する西條冴子さんのポストカードを飾る時にも使えるものが良い。

ただ、今はキリスト教カトリックの誘惑はできるだけ遠ざけておきたくて、自分のアイデンティティである神道を重んじたいという気持ちが強い。

そのアイデンティティをエンパワーメントしてくれるものが欲しいと思っていたし、できれば先だって深く傷ついてしまった男性向けのイラストではなく、女性作家の描いたイラストを飾りたいと考えていたので、またとない機会に恵まれたことに深く感謝したい。

ディスプレイもちょくちょく変えているのだけれど、毎日家や部屋にいる時間が長いと、だんだんと気持ちが薄れてしまうこともあって、そのリフレッシュを図りたいと思っている。

 

追記

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結局こちらのフォトフレームをお迎えすることにした。

予算が妥当だったのと、イラストにも合いそうだと思ったのだった。

以前もウエディング向けのフォトフレームをお迎えしたことがあったけれども、そうした華美なものが私はどうにも好きらしい。

ポストカードもフォトフレームも、届くのが今から待ち遠しい。