ANIRON

ひとりごと日記

2021.08.20 毒親と保守思想と

詳細は書かないでおくけれど、母と昼間に電話していろいろとつらいことが重なって、医師に云われたことに従って母のLINEをブロックし、実家のグループLINEも抜けたのだけれど、そこから情緒不安定になった。

帰宅した主人が元気づけようとしてくれたけれど、それも何もかも虚しくて、私は血縁関係を断とうとしているのだということが罪悪感のように膨れ上がってしまった。

前にも書いた通り、他人は何とでも云えるのだ。他人にとって私のよりどころのひとつである実家との関係が失われようと、それは何の痛みも伴わないことだ。

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私は母との関係が悪化し、葛藤が高まったあまり18歳の時に自殺未遂をしているけれど、その時のつらさは医師にも、そして主人にも一万分の一も伝わらないのだ。

その18歳の時から時間をかけて、お互いが折れる形でなんとか仲を修復してきたものを、今更断つことなんて私にはできないし、それには宗教上の理由もある。

血縁という軸を抜きにしては神道は成り立たないし、その関係を断つことによって罪悪感に苛まれつづけるぐらいなら、居心地が悪いながらもなんとか折り合いをつけて、実家との関係をより良く保った方が良い。

話せば分かる人たちではあるし、言葉が足りないことが募り募って最悪の結果をもたらすよりは、きちんと不安や不満を言葉にして伝える努力も必要なのだと思う。

 

今の社会はあまりにも毒親という言葉が一人歩きしているけれど、血縁を失って、主人とふたりだけで生きていくことは、私にはどうしてもできない。

神棚には毎回ふるさとのことをお祈りしているし、そういう地縁・血縁を自分の中で大切にしておかないと、たちまち毎日死にたい日々に逆戻りしてしまう。

それだけは絶対に避けねばならない。

やはり私は保守的な人間で、おそらくパターナリズムと呼ばれる思想に与していることになるのだろうけれど、それでもそうした濃密な関係性の中で生まれ育ってきたから、そこを捨てるということは、これまで歩んできた路を自ら断つということに他ならない。

そうまでして「自由」を求めた先に、果たして幸せはあるのだろうか。

毒親から「自由」になることが絶対的な善だと果たして云いきれるのだろうか。

「自由」には代償が必ずつきまとう。それはアイデンティティのひとつの喪失であり、私はその喪失に堪えうる精神を持ち合わせていない。

主人の他にも友人は少ないながらもいるけれど、彼ら彼女らはあくまでも他人だ。

やはり血縁・地縁という太い基軸がなければ、人は生きてはいけないのだという思いを新たにする。

嫌なことがあっても、そこから逃げることだけを良しとする現代の風潮もいかがなものかと思う。人間関係で折り合わないことはもちろんあるけれど、すべての責任を親に押しつけることもまた、現代の病理のひとつなのかもしれない。

それで本人は罪悪感から解放されるのかもしれないが、親を捨てたという後悔は生涯つきまとうだろう。

私の父も実家との折り合いが悪い人ではあったけれど、母に対して「それでも俺にとっては親なんだ」と云っていたことを思い出す。父はあまり思いの丈を語らない、九州男児然とした寡黙な人だけれど、おそらく私が想像している以上の苦労があったのだと思う。じっと耐えながらも、地方公務員という職を勤め上げてきた父をやはり誇りに思う。

そういうアイデンティティを今後とも大切にしていきたい。