ANIRON

ひとりごと日記

2021.08.24 今後とも学びつづけたい

朝は12時ごろ起床。

月経の関係もあって情緒不安定な一日だった。

結局思想に拠っても、私の精神は少しも安定しそうにない。病める個人としての「私」があり、そこから創作物が生まれることを考えれば、私は「病める私」を受け入れる他ないのかもしれない。

リモートワーク中で昼休みにさしかかった主人と話して、かねてから心療内科で内科を受診するようにと云われていたことから、内科を受診した結果、過敏性腸症候群と診断された。

snowrabbit21.hatenablog.jp

内科の先生から「メンタルが安定すれば治まりますよ」と云われたけれど、私のメンタルは一生不安定なままだろうし、服薬する薬が増えて、持病も増えて、本当に気がめいってしまう。

病とともに生きていかざるを得ないのはもう諦めていることだし、今更健康になりたいとも思わないけれど、それはそれでなんとかして生きる道筋を探るしかない。

 

気落ちしたまま帰宅して、院内で読んでいた芳賀日出男『神さまたちの季節』を読み終えた。

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今では失われつつある民俗芸能の秀逸な写真の数々に深く心を打たれた。

学術書ではなくエッセイだが、美文の数々に魅せられ、日本の信仰の文化の豊かさに知的好奇心をそそられる。

秩父の養蚕についても触れられていて、もっと深く知りたくなった。 

失われゆく伝統的な民俗芸能を写真に収めたという意義は大変大きなものがあるし、それをこうして手元に置いておける喜びもひとしおだ。

もともと民俗学には学生時代から関心があって本を読んできたけれど、ビジュアルとして触れる機会はそう多くなかったので、買って良かった一冊となった。

学術書というよりはエッセイなので、今後ともさまざまに本を読んで民俗学を引き続き学んでいきたい。

 

最近書店で見かけて気になっているのが『土葬の村』という新書で、買わねばなるまいと思っている。

amazonより概要を引用する。

これは恐らく、現存する最後といっていい土葬の村の記録である。
村人は、なぜ今も「土葬」を選ぶのか?

日本の伝統的な葬式である「土葬・野辺送り」が姿を消したのは、昭和の終わり頃とされている。
入れ替わるように火葬が増え、現在、日本の火葬普及率は九九・九%を超える。
土葬は、日本の風土から完全に消滅してしまったのだろうか。

筆者は「土葬・野辺送り」の聞き取り調査を三十年にわたって続け、平成、令和になっても、ある地域に集中して残っていることを突き止めた。
それは大和朝廷のあった奈良盆地の東側、茶畑が美しい山間にある。
剣豪、柳生十兵衛ゆかりの柳生の里を含む、複数の集落にまたがるエリアだ。

日本人の精神生活を豊かにしてきた千年の弔い文化を、まだ奇跡的に残る土葬の村の「古老の証言」を手がかりに、詳らかにする。

 

【本書の内容】
はじめに
第一章 今も残る土葬の村
第二章 野焼き火葬の村の証言
第三章 風葬 聖なる放置屍体
第四章 土葬、野辺送りの怪談・奇譚
おわりに

民俗文化は村落共同体の崩壊と過疎化によって急速に失われつつある。

それを保存してゆくのは民俗学という学問の重要な役目だと考えているし、生きた文化として残してゆくことが難しいという危機的な状況をどうにかしないと、この国の根幹をなしている文化は失われてしまうのではないかと懸念している。

 

朝、縄文神社という本を見かけて、強い違和感を抱いた。 

あなたの近所にもきっとある!
1万年!?続く最強の聖地!!

境内から縄文時代の遺跡が発掘された神社は、
実は日本に「かなり」ある。
それは縄文期から「聖地」だった証であり、
「祈りの場として現在までつながってきた」という点で、
世界的にもほとんど例がない奇跡の場所である。
本書では、そうした神社を「縄文神社」と定義する。
古より伝わる御神体とは何か!?
普通のさんぽが一変する「縄文×神社」の入門書!
東京、神奈川、埼玉、千葉......厳選の40社紹介!

 縄文時代に神社はないし、縄文神社という単語は妥当性を大きく欠いている。

そもそも当時の祭祀と、明治時代の神仏分離以降の信仰には大きな乖離があり、神道の成立も時代がずっと下って、江戸時代になってからはじめてできたもので、ヤマト王権以前の神祇信仰と、江戸時代以降の国学によって生まれた神道とは大きく性質を異にする。神祇信仰の古層に迫ろうと、研究者は日夜史料を読み、議論を交わしている。

史学の出身でもなく、ただ趣味的に縄文文化なるものに触れてきた人間に書ける代物ではない。

もっともこうした本を読むに値しないことは云うまでもないし、批判するまでもないのだけれど、スピリチュアリズムによる信仰文化の破壊は目に余るものがあるなと強く思う。

これも氏子や彼らが奉ずる氏神など、地縁や血縁によって人々が強く結びつき、神道神道として土地に根づいていた時代が終わってしまったためで、スピリチュアリズム個人主義的な信仰の行き着いた果てにあるものだと考えている。無知の賜物と云うべきだろう。

神道や私が学んできた古代史はこうしたトンデモ論やトンデモ本が跋扈する世界なので、それらにいちいち目くじらを立ててもしょうがないのだけれど、それだけに読むべき本をしっかりと見分けなければならないことは云うまでもない。

 

それから無縁社会関連の本が届いたのでひとまず写真に収めた。

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社会学はほとんど素人なので、類書をできるだけ読んでおきたいと思って三冊を注文したのだった。

ひとまず出版年が新しいものから読むという鉄則に従って、2020年発行の『家族遺棄社会』から順に読みたい。

私の問題意識はここのところこの無縁社会に端を発するものでもあるし、いずれは過疎化の問題や、ふるさとも脅かされている獣害の問題など、自分の問題意識を強く持って読書に励んでいきたいと思う。

これから30代という10年間を過ごしていく上で、知識をアップデートさせることは重要だし、自分の興味関心を常に広げておくということは、精神的なアンチエイジングにもつながるだろう。

 

 佐藤優は『調べる技術 書く技術』の中で、仕事の役に立たないことは学ばないことを説いていたけれど、前半ではAI社会に対抗することを強く説いておきながら片手落ちもいいところだなと感じた。

 私は専業主婦だし、ビジネスマンではないけれど、それでも生涯にわたって学びつづけることはより良く生きる上でも欠かせないことだし、佐藤優は学ぶのは45歳までと説いているけれど、年齢的な制約を設ける方が間違っていると思う。

人間は何歳になっても学びつづけることができるし、学ぶ意欲を失わないことが生きる上での活力にもつながっていくと私は信じている。

もともと学生時代から勉強が苦にならないタイプだったので、今後ともさまざまな興味関心に沿って本を読み、たとえ直接的に創作に結びつかなかったとしても学びつづけたい。

 

今日のお茶は主人のお気に入りのジャンボチョコモナカとダージリン1stフラッシュだった。

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チョコモナカは主人と半分こにしていただいた。