ANIRON

ひとりごと日記

2021.08.26 思想家になりたいのではなく、創作者でありたい

evie-11.hatenablog.com

私は個人主義に立脚することにここのところ強い懸念を感じてきたけれど、それでも小説の誕生が近代化による個人主義の台頭と不可分な関係にあり、「私」に拠って立つものだとするならば、それをやはり否定することは難しいのかもしれない。

どこかの地縁的・血縁的共同体に属している私から、個人としての「私」を深く見つめなければ小説が生まれ得ないのと同様に、近代以降の詩がそうであったように、詩もまた個人主義と無縁ではいられない。

要するにここのところ私が拠っていた保守的な考えというものは、創作をする上では打破せざるを得ないものであり、その痛みを今は受け止めなければならないのだと思う。

もはや前近代には戻り得ないし、私は「病める私」を書き、歌い、詠むしかない。

その共同体の喪失が物語において必要な要素を占めているのは、何も小説に限った話ではないのかもしれない。

 

ということを創作ブログに書いた。

私は思想家になりたいのではない。

あくまでも一個人として創作に励む人間でありたい。

そういうわけで、いったんここに思想のことを掘り下げて書くのをやめてみようと思う。

私は保守思想を掘り下げることでいくらか気持ちが安らかになったことは確かだけども、かといってこのまま脳筋のようになってしまっては元も子もない。

私が私であるために必要としているのは創作であって、思想ではない。

そのことを失念して少し創作から離れてしまっていたけれど、またもう一度新たなスタートを切りたい。

それが今のところの私の結論で、これはここ数日ずっと考えていたことでもあった。

自分の軸を思想から文学へ、そして詩歌へと向けることで、また新たなものが見えてくると信じている。

そういうわけで、いったん思想関連の記事は下書きに戻しておきたい。

自分の思索の旅の過程でもあるから、大切にはしたいけれど、ここを打破しない限り、私は創作に臨めそうにない。

ここをいったん閉鎖しようかと思ったのだけれど、夜中に文章を書ける場がなければ私は死んでしまうので残しておく。

思想の転換も、それはそれで軌跡として残しておきたいので、記事も残す。