もともと持病が複数あって病弱ということもあり、30代になって無理が効かなくなってきた。
20代の頃はがむしゃらに小説を書いていたけれど、今同じことをすれば途端に体調を崩すことは分かっている。
20代の頃まで作家になりたいと思って、カクヨムコン5では最終選考まで残ることができたけれど、そこから著しく不調をきたしてしまい、小説を書けなくなった。
プロットを練っても、構想を練っても、途端に難治性の持病の発作が出る。
小説のことを考えるだけで心身ともに消耗する日々がつづいて、医師にドクターストップをかけられた。
それ以降、それまで並行して作っていた詩歌に鞍替えして、日々作るようになったけれど、結果的に無理のない範囲で創作をつづけられていて、私には詩歌の道の方が合っていたということなのだろうなと思う。
現にココア共和国9月号に佳作として採っていただけて、折本もひとつの道筋をつけられつつある。
詩歌の道を進むと決めた時には不安も大きかったし、詩歌サークルも退会することになって心細かったけれど、ここまで来られたのはひとえに読者の皆様のおかげだと感謝しています。
結果的に自分がやりたいことよりも、できる範囲の中で最善を尽くすことの方が大事なのだと学ぶことができた。
それは分をわきまえるということなのかもしれない。
病気や家庭の事情があって、このまま作家を目指していたら、どこかで同じく作家志望の主人と衝突することになっていたかもしれないとも思う。
夫婦でそれぞれが作家を目指すということは大きな困難になりうる。
主人にその道を譲るというものでもないのかもしれないけれど、衝突しない道を模索するということも、夫婦仲を良好に保つためにも、私自身が生きやすいように生活するためにも必要なことだ。
主人のためだけに諦めるというわけではないし、私には持病があってコンスタントに小説を書くこと自体が難しいから、仮に成果が実って一時的にプロになれたとしてもつづけられる見込みはどのみち薄い。
プロ作家の道が険しいことは、周囲を見ていてもよくわかる。一冊書き上げればそれでいいというものではない。
自分自身のために長く、そして無理のない範囲でつづけられる創作を目指す。
それが私にとっての今後の至上命題となるし、小説を担うだけの余力がないのであれば別の道を考えざるを得ない。
そうして詩歌を選んだからには、しっかり励んでいくしかない。
たとえ消去法であったとしても、私には11年詩を書きつづけてきた過去があるし、まだまだ学ぶべきことも多い。
詩歌に触れて少しでも自分の糧としながらこの道を進んでいきたい。
そういうわけで夢を諦めざるを得なかった、「白い砂のアクアトープ」の宮沢風花ちゃんにはいたく共感してしまうわけなのだけど。
グッズが届くのが今から待ち遠しい。