ANIRON

ひとりごと日記

2021.09.04 #2 健全なナショナリズムを奉じたい

ワクチン接種2回目の2日目ということで、副反応が不安だったのだけれど、9/4 18:21現在で37.2℃で、昨夜も熱が上がった様子もなく、薬を飲むほどではない軽い頭痛と持病の神経痛がややあって、倦怠感がある他はおおむね大丈夫といったところだ。

接種前は不安もあったけれど、結果的に接種して良かったと思う。

snowrabbit21.hatenablog.jp

このことはもう少し経過を見てまとまったらこちらのブログに書きたい。

snowrabbit21.hatenablog.jp

 

朝から昼にかけては彼杵茶をいただいたり、本を読んだりしてのんびりと過ごした。

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今読んでいるのは『別冊100分de名著 ナショナリズム』で、冒頭の『想像の共同体』の箇所を読んだ。

そこではナショナリズムが近代の個人主義とともに台頭したことや、地縁・血縁を離れたひとつの民族という想像上の共同体こそがナショナリズムを形成しているということ、19世紀のヨーロッパの印刷技術と資本主義がもたらした小説や、その基軸となる国語という概念の登場もまた深く関わっていることが指摘されていた。

正直なところこの箇所を読んで、私にはナショナリズムは持ち得ないのではないかという想いに駆られた。

私にとって重んじるべきなのは何よりも血縁であり、地縁であって、たとえばそれは家族であったりふるさとであったりする。その延長線上に国というものを置いて、愛郷心を敷衍させた先に愛国心があるというのが私の考えで、はじめに国家ありきというわけではない。

どちらかというと前近代的なふるさとを意味する「お国自慢」という時の「お国」の方がしっくりくる。それはナショナリズム以前にあった愛郷心であって、やはり愛国心とは呼べないのかもしれない。地縁・血縁から離れたところにある、想像上の共同体としての国を、私は純粋に信じうることは難しいのだと思う。

私は近代人ではなく、前近代的な人間と云った方がいいのかもしれない。

 

そもそも私は文化相対主義の立場を採るから、アイヌ民族琉球民族(という語が適当なのか、調べた限りでは議論の余地があるが)は別個の文化として尊重すべきと思っている。調べたところによると、琉球民族日本民族の一部ということになっているらしいけれど。

そうした事情を無視するような単一民族幻想を私はやはり支持することはできないし、日本人という括りで語ることが、そうした人々への暴力となりうることを自覚せねばならないとも思う。

こうした考えはどちらかというと左派的なのだろうし、国家を前提とするナショナリズムを私は持ち得そうにない。

 

しかし、コトバンクで調べてみると、ナショナリズムとは多義的で、私の云うところの「私が持ち得ないナショナリズム」というものは、国家主義という悪しきナショナリズムに属し、「私が持ちうるナショナリズム」とは民族主義国民主義であり、健全なナショナリズムということになる。

kotobank.jp

このように、ナショナリズムという語のもつ意味内容はきわめて多様であるが、これを民主主義の発展という観点から価値付けしてみれば、(1)の国民主義、(3)の民族解放主義や民族自決主義などは「健康なナショナリズム」とよばれる。その意味では、近代国家の形成と文明開化の推進を目ざした明治維新直後から明治啓蒙期(けいもうき)に至る10年間ぐらいの日本も「健康なナショナリズムの時代」であった、ということができよう。そして、(2)の国家主義超国家主義などは、自国民はもとより、他民族の人権や自由を侵害・抑圧することを正当化したから「悪(あ)しきナショナリズム」の典型といえよう。

そのように考えると、私は良識的な保守ということになるし、このままの姿勢を堅持したいと願っている。

ひとまず自分のポジションが誤っていないことを確認できただけでも良しとしよう。

引き続き『100分de名著』を読んで、他にもさまざまな書籍に触れながら、より理解を深められればと思う。

 

すっかり長くなってしまったし、後述に書こうと思っていた日記の文章はこちらにまとめることにする。

snowrabbit21.hatenablog.jp

 

ただ、外出先から帰宅して、お宮に無事に帰り着いたお礼を申し上げた。

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もちろん主人の協力あってのことで、時々椅子に座って休ませてくれたりと気遣ってくれたことへの感謝は伝えた。

しかしやはり平時から「お見守りください」とお祈りしているお宮にもお礼を申し上げたかったのだった。

そうして心のよりどころとして神道が傍にあるということが私には何よりの喜びだし、今後とも神道を奉じつつ、健全なナショナリズムを堅持していきたい。