solalisさんという推しているイラストレーターさんの原画が届き、サブディスプレイが完成した。
今回お迎えさせていただいたのはドローイング原画の「空と雲と 星」とペン原画の「呼ぶ声」で、いずれもココア共和国に嘉村詩穂名義の「ニライカナイ」を佳作として採っていただいたことの個人的なお祝いとしてお迎えさせていただくことにした。
初めは「呼ぶ声」だけお迎えする予定だったのだけれど、数日経っても「空と雲と 星」が忘れられず、これはもう運命かもしれないと思ってお迎えするに至った。
念のためあらかじめフォトフレームを置いてみて、問題なさそうなことを確認してから注文させていただいた。
また昨日はKDPを出版したということもあり、そのお祝いにもなったと思う。
ブログ「広寒宮」で綴ってきた図書館にまつわるエッセイに書き下ろしを加えた、図書館エッセイ集です。「もうひとつの家」としての図書館との付き合い方や、蔵書にまつわること、一利用者から見たコロナ禍の図書館の記録、幼少期に通った図書館との思い出など、今だから読みたい内容をぎゅっとまとめました。本書が図書館を愛するすべての人の友となりうることを心から願っています。-収録作品-図書館という希望ふたつの棚図書館という友人ふたたび図書館へ一図書館の使い方を模索するコロナ禍の図書館について蔵書の整理ふたたび図書館へ二先達の目とBANANA FISHにみる図書館の精神図書館という知の海に漕ぎ出す図書館で知を拓く学校の図書室の思い出非常事態宣言下の図書館本書に登場した書物
おかげさまでぽつぽつとお読みいただいているようで、今後ともよろしくお願いいたします。
またこの日は朝から母のご友人からcutipolのカトラリーをいただき、そのお礼やら、引き出物の準備やら、結婚式に必要な品物の準備やらに追われた。
とにかく間違いのないように、失礼にならないようにと気を張りつめてしまったせいか著しく消耗して、結局日記を書けずじまいになってしまった。
田舎の人間関係、それも未だに中流階級に属する人たちの人間関係というものは贈答品の如何で決まるところがあり、特に両親の年代の人々はそうした傾向が根強く残っている。
いわば文化人類学の云うところの「贈与」の関係が未だに色濃く反映されていて、礼を失さないようにしなければならない。
母も年齢を経るとともにだんだんそうした傾向が強まってきつつあるので、引き出物を贈る際には品物や色やブランドなど、事細かにヒアリングをした。
あらかじめ決まったものを渡すということに疑問を感じないでもなかったけれど、下手なものを贈って不満を抱かれるよりはよほどいいのかもしれない。
こちらが気遣ってそれで良好な関係を保てるのなら、それに越したことはないと思うし、結婚式や療養を目的とした帰省を控えている手前、ここで関係をむやみに悪くするのも愚かしい。
私はできるだけ事を荒げたくないタイプの人間なので、できるだけ穏便に済むのなら気遣いをして疲れ果てる方がまだマシだ。
今から介護の問題が不安ではあるけれど、それでも最後まで面倒を見なければならないと思っている。
帰省をする前に美容院へ行って髪を手入れしておく必要があったり、手持ちの服だととやかく云われかねないので、もう少し見栄えのいいものを買いそろえておく必要があるかもしれない……と思うと、いくらか気が重くなるけれど、とにかくそういう気風の家なのだから致し方ない。
髪はまだ結婚式で伸ばさざるを得ない事情があるので致し方なかったと逃れられるかもしれないが、服に至ってはここのところプチプラ服しか買っていないので、あれこれと口出しされるのは必定で、あとはどれだけスルーするかにかかっている。
とはいえ自分の今の状態が結婚前に比べて著しく見劣りすることは分かりきっていることなのだけど。
持病などさまざまな事情があって、今は着心地の良い服しか着られないし、ドラム缶式洗濯機で洗える服がクローゼットの中心なのだけど、母から見て不満があればまたあれこれと口出しをされるのだろう。
主人の沽券にも関わることだし、せいぜい及第点程度に身なりを整えていきたい。